6月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 芸術家女星編 第29回
剪画・文
とみさわかよの
衣文化・更紗研究家
稲垣 和子さん
NHKの講座番組、「おしゃれ工房」が、「婦人百科」だった頃、絵更紗の講師を務められた稲垣和子さん。絵更紗は、筆で線描きしたり、藷版で捺染したり、小麦粉や蠟を用いて防染し、布を染める工芸です。講座は大人気で、番組終了後にも要望が高く、再放送の上技法書が出版されるほどでした。そして稲垣さんは、神戸大学の名誉教授で、医学博士の称号をお持ちの研究者でもあります。今回は、絵更紗作家としての活動だけでなく、「女性が職を持つだけでも、様々に抵抗のある時代」に専門職を貫かれた一面も含めて、語っていただきました。
―絵更紗の作家とばかり思っていたのですが、神戸大学に研究職として勤めあげられたのですね。研究の道に進まれたのは?
もともと先生になりたくて、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)に進学したのです。卒業後、奈良学芸大学(現奈良教育大学)に勤め、武庫川女子大学の非常勤講師も務めました、その後神戸大学の助手になったのですが、当時、女性の助教授、教授への昇任は厳しく、男尊女卑の時代で、多くのいじめにも逢いました。私は生活上の理由もあり、結婚・出産後も仕事を続けましたから、それはもう白い目で見られました。でも研究は好きで、奈良学芸大時代は「直接染料の堅牢性に関する実験的研究」、神戸大着任後は医学部教授・衛生学の戸田嘉秋博士のもとで「衣服の保温力に関する実験的研究」に従事、毎年学会で発表を続け、論文を提出し、学位を授与されました。私の世代は学徒動員も経験し、戦後の動乱期をくぐりぬけていますから、たくましいのかもしれませんね。
―今でこそパワハラ・アカハラという言葉もありますが、当時は女性が専門職に就き、結婚後も仕事を続けるなど、考えられなかったのでしょうね。
妊娠がわかった時、周囲は当然職を辞すると思ったんですね。「子どもを預けてでも働く」と言ったら、「そんな馬鹿な!」という人がほとんど。オーバーブラウスでお腹を隠して、産前産後の休みも十分に取らずに復帰しましたが、あの頃は本当に、無我夢中でしたね。そんな私に、「やり過ぎたらあかん。女性は男性の二倍働かねば一人前として認めてもらえないが、三倍働くとひどい目にあわされるから」と親切に助言してくださる方がありました。
―研究職と絵更紗は、どうつながるのでしょう?
私は被服文化の研究家ですから、染めの一つである絵更紗は、多少研究と重なる部分はありますね。絵更紗のもととなる更紗は世界各国に存在し、発祥の地と言われるインドの印度更紗、インドネシアのバティック、ジャワの爪哇更紗、オランダの阿蘭陀更紗、中国の印華布、フランス更紗、ロシア更紗も有名です。外国の更紗が日本に伝えられたのは十五~六世紀、伝来の更紗は茶人に好まれ、珍重されました。そして大正十年に、従来の更紗に東洋的な美意識と日本的な芸道精神を生かした、日本独自の技法による更紗が、元井三門里先生によって発表され、「絵更紗」と命名されたのです。絵更紗には不思議な魅力があり、心身に元気を与えてくれますね。
―その創始者に師事し、絵更紗の作家としても活躍されるようになったのですね。
実は絵更紗との出会いは、母校の米沢光先生のおかげなんです。初めて見た絵更紗は、米沢先生のお宅のテーブルセンターでした。「これ、何と言う染色ですか?」と訊ねる私を、「そういうのに興味があるのか?」と、元井先生のお宅へ連れて行ってくださったのです。それまでにも染色は好きでいろいろ手掛けていましたが、どの染色も自分にどこか合わなくて。元井先生の作品を見て、初めて「これだ!」と直感し、すぐに直弟子として入門許可をお願いしました。米沢先生といい、元井先生といい、先程申し上げた戸田先生といい、本当に私は師に恵まれましたよね。
―絵更紗も、これまた道を究めておられます。
絵更紗は絵画と図案の中間にあって、線・形・色が三大要素です。線の味わい、素朴な形、気品のある色があいまって、美しい作品が生まれます。制作していると、次第に心が浄化されるんですよ。思うように色が出た時は、何とも言いようのない幸福感と喜びを感じます。会心の作は、なかなか描けませんねえ。でも、絵更紗に出会えて、本当によかった。創始者に直弟子として教えてもらえたのは、幸運としか言いようがありません。神戸大学教育学部に大学院修士課程(美術教育専攻)を設置する折、倉敷市立短期大学に服飾美術学科を新設する折、私の微々たる研究がお役に立ちましたことは最大の喜びで、感謝の一言です。
―職業人として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?
学徒動員も、日本の貧しい時代も、男性優先時代も経験して言えるのは、人生に無駄は無いと言うことです。女性の生き方は、専業主婦もいいし、ずっと独身で仕事を続けるのもまたいいと思いますよ。何らかのことを全うし、世の中の役に立てるならば、それぞれの生き方があっていいんですから。私は思いがけず、神様からの贈り物「絵更紗」と出会って、今日まで落ち込まずに生きて来れたのだと思います。あれもこれもしようとした人生ですが、夢がかなったのは、恩師はじめ諸先輩、周囲の温かな支援、そして家族の支えがあったからです。多くの皆様と、神の無限の愛に感謝しております。
(2012年4月17日取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。