6月号
思い出のホームグラウンド、阪急西宮スタジアム
元プロ野球選手 加藤秀司さん
1975年から1977年まで3年連続日本一、かつてこの地に阪急ブレーブスの本拠地、阪急西宮スタジアムがあった。
黄金時代の阪急ブレーブスで、中核を担った加藤秀司さんに当時の思い出を語ってもらった。
チームの主力になる前、西本幸雄さんが監督の時代は練習がキツかったですね。でも当時はそれがプロとして当たり前と思っていましたけれど。シーズン終了後、今は秋季キャンプをおこないますが、当時は本拠地の西宮球場(当時の名称)で練習。怖い監督でしたが、正面向いて向かってもそれを受け止めてくれる人でした。西本さんの後を受けて監督になった上田利治さんは、良く話を聞いて理解してくれる兄貴分という感じでした。
日本シリーズで最初巨人に敗れましたが、巨人に負けたのではなく王・長嶋に負けたのです。「これを抑えたら勝つ」というときに、必ずONに打たれた。この二人がいなければ、阪急は何年も日本一になったでしょう。ですからシーズン当初からリーグ優勝なんて頭になかったですよ。日本シリーズで勝つことが目標で。長嶋さんが引退したときに「これで日本一になれる」とみんな言っていましたね。実際にそうなりましたけど。
日本一になった瞬間、興奮して涙が出ませんでしたが、弱い時代から阪急を追いかけていた担当記者が泣いているのを観てうるっときましたよ(笑)。
山田、福本、私と同期入団3人が名球会というのは、今後も出てこないでしょう。福本は社会人も一緒でしたが、守備があんなに上手になるとは思わなかったですよ。
西宮球場は、グラウンドはあまり良くなかったけれど、野球をやりやすい球場でしたね。観る人も観やすい球場ではなかったでしょうか。ゆったりとしていましたから。今は様変わりどころではなく、コロッと変わってしまいましたね。当時の面影はまったくありません。今も球場のホームベースがあった場所にモニュメントがありますが、あそこに立っていても「こんなところでプレーしていたの?」と実感がわかないですね。
現役の頃、球団の方とどうすれば観客動員ができるか話し合ったとき、阪急百貨店など人が集まる施設を西宮北口に持ってきたら良いのではないかと提案したことがありましたが、それが実現しましたね。今の状態で球場があれば、いっぱいお客さんが入ったでしょうね(笑)。
加藤 秀司(かとう ひでじ)
1969年阪急ブレーブス入団。6回のリーグ優勝、3回の日本一に貢献。阪急ブレーブスの黄金期の中核を担った。個人でも首位打者(2回)、打点王(3回)、MVP、ダイヤモンドグラブ賞、ベストナイン受賞など数々のタイトルを獲得。1987年2000本安打を達成