2月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol63 ■映画監督■ 河瀨 直美さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第63回はカンヌ国際映画祭を始め数々の国内外の映画祭賞レースを席捲してきた河瀨直美監督が登場。今月6日に封切られる新作『たしかにあった幻』は〝神戸っ子〟のお膝元、神戸や芦屋などの街並みが主要な舞台の一つとして描かれる。日本が誇る〝カンヌに愛されたミューズ(女神)〟に製作秘話を聞いた。
文・戸津井 康之
撮影・鈴木 厚志
〝移植と失踪〟…
困難なテーマに真正面から斬り込む覚悟
現代人へ突きつけられた課題
「人間にとって死は必ず訪れる。しかし、死は決して終わりではなく、その先にも命は続いていく…」
新作『たしかにあった幻』の物語を着想した出発点について、河瀨監督はこう前置きしたうえで、「〝死=終わり〟という概念とは違う考え方に辿り着けるのではないか…」。そんな強い覚悟を胸に脚本の構想を練っていったと明かす。
「前作から公開は6年ぶり。オリジナル脚本では8年ぶりとなります」
大阪での試写会場に姿を現し、新作へ込めた思いを熱く語る河瀨監督の充実した表情に、長い時間を費やして完成させた作品への確かな自信を伺わせた。
「撮影期間は昨年6月から11月。ロケ地は屋久島に神戸、芦屋など兵庫県から岐阜県、そしてフランスのパリなどです」
国際派監督らしく今作は日本とフランス、ベルギー、ルクセンブルクとの合作だ。
《移植手術を待つ小児患者たちが入院する神戸市内の臓器移植医療センター。ここで働く移植コーディネーターのサポートスタッフとして働くコリー(ヴィッキー・クリープス)は約3年前、フランスから日本へやって来た。だが、西欧とは異なる日本人の死生観や倫理観の壁は厚く、移植を待つ子供たちを思うように救うことのできない状況に疲弊していた。医療現場の体制、意識の違いに戸惑い、葛藤する彼女の心の支えは、旅で訪れた屋久島で運命的に出会った恋人、迅(寛一郎)の存在だった。だが、七夕の7月7日、迅は二人が暮らす神戸のマンションから忽然と姿を消す…》
「この映画で描きたかったテーマは二つ。臓器移植と失踪問題です」
河瀨監督は、現代の日本社会に突きつけられた、この二つの難題と呼べるテーマに真正面から斬り込んでいく。
脚本を執筆するために、医師や看護師、移植コーディネーターなど臓器移植の医療従事者を取材。国内だけでなく、「移植の先進国であるスペインやフランスなどにも取材へ行きました」と語り、「西欧に比べ、日本のドナーの数は圧倒的に少なく、先進国のなかで、最も臓器移植への意識、対応も遅れていることを実感しました。この事実を一人でも多くの人に知ってほしい」と語気を強めた。
片や、もう一つのテーマである〝失踪〟。「年間約8万人もの人が失踪しているという事実をどれだけの人が知っているでしょう?」と切り出し、一見〝平和で豊かな国〟で起きている「この厳しい現実を映画で伝えるために」と、警察関係者たちに会い、取材を進め、その実態を調べていった。
舞台に選ばれた神戸や芦屋…
試写会は大阪市の「専門学校大阪ビジュアルアーツ・アカデミー」の映写室で行われた。河瀨監督が映画製作を学んだ母校(当時の大阪写真専門学校)だ。
試写会から数日後。「ロケの撮影で協力してくれた芦屋市で取材しませんか」と、河瀨監督からの提案で取材場所は芦屋市立打出教育文化センターに決まった。
今作の劇中、神戸や芦屋市内の街並みが随所に登場する。
「コリーが勤務する医療センターは神戸市内にあり、彼女が暮らすマンションは神戸と芦屋の中間にあります。彼女が通勤し、買い物など日常生活を送る動線のなかで描かれる場所は地元の人たちに協力してもらい、街を歩きながらロケハンして選びました」と河瀨監督は説明する。
コリーが迅と一緒にマンションの部屋から眺める神戸の美しい夜景。芦屋市民に長年親しまれてきた伝統の秋祭りの場面では、地元の人たちが、だんじりを曳くシーンが臨場感豊かに再現されている。芦屋の商店街を散策するコリーが、商店主から七夕の笹をプレゼントされる場面も印象的だ。
「大勢の人たちが快く撮影場所を貸してくれたり、エキストラとして協力してくれ、とても感謝しています。日々暮らす地元の街並みをスクリーンを通じ、改めてその魅力を感じてもらえれば」と河瀨監督は期待を込めた。
〝河瀨組〟常連の結束
今作では、臓器移植を待つレシピエントの子供たちも物語の重責を担った〝主人公〟だと河瀨監督は言い、「子役は約300人のなかからオーディションで選びました」と説明する。
幼い患者が亡くなるシーンを撮影した翌日のこと。「コリー役のヴィッキーが自分の部屋に閉じこもったまま撮影現場に来られなかったことがありました」と河瀨監督が明かす。
院内の友達を失い、悲しむ子役の男児の涙に、「ヴィッキーは心打たれ、立ち上がれなくなった」のだと言う。
「劇中、亡くなる少女にはモデルがいます」と河瀨監督。
「少女は病院でずっと心臓移植を待っていましたが、ドナーが見つからないまま、10歳で亡くなったんです…」
河瀨監督はこの少女の話を聞くために、北海道で暮らす両親に会いに行った。
カンヌ国際映画祭で、河瀨監督が史上最年少で「カメラ・ドール」(新人監督賞)を受賞した『萌の朱雀』(1997年)で、デビューした女優、尾野真千子も今作に出演している。
オーディションでヒロインの子役が見つからず、奈良・西吉野の中学校で掃除をしていた、当時、中学3年生だった尾野を見つけ、声をかけたのが河瀨監督だった。
その後、河瀨組常連となった尾野は、今作では、〝移植が間に合わなかった子〟の母の心情を細やかに体現する。
『萌の朱雀』でデビュー後、尾野は映画やドラマなどで欠かせないスター女優として成長していく。今作の子役の話に触れながら、「なぜ、地元の中学生だった尾野を抜擢したのか?」と聞くと、河瀨監督は「(尾野)真千子の眼は明らかに他の子供と違ったから」と言い、次に、「現在の人気女優となる姿を想像しましたか?」と問うと、「もちろん。確信していました」と即答した。
今作には、尾野と同じく河瀨組常連の永瀬正敏も出演。ドナーとなる男児の父役を好演する。「セリフは彼の故郷、(宮崎県)都城の方言で話してもらいました」と河瀨監督。永瀬の胸の奧底からふり絞るようにして発せられる〝魂のセリフ〟が涙を誘う。
映画で生きる覚悟と宿命
取材の冒頭、「新作は6年ぶり、オリジナル脚本は8年ぶり」と語ったことには理由がある。
2020年開催の東京五輪の公式記録映画の監督に指名され、「東京2020オリンピック SIDE:A」と「東京2020オリンピックSIDE:B」の2本のドキュメンタリー映画を製作。今年開催された2025年日本国際博覧会「大阪・関西万博」ではテーマ事業プロデューサー兼シニアアドバイザーという重職を務めた。
方や映画監督という範疇を超え、2021年から2年間、バスケットボール日本女子リーグ(Wリーグ)の会長を務めた。奈良市立一条高校時代にバスケット部主将として国体に出場した経験などの〝縁〟もあってのことだが、年々依頼される仕事の幅は広がる一方だ。
27歳で「カメラ・ドール」に輝き、鮮烈な世界デビューを飾り、来年、30年の節目を迎える。
次作の構想を聞くと、「社会の陰で生きる人たちにスポットライトを当てたい」と、今作と同様、〝世の中が目を伏せている現実〟に切り込む覚悟を口にした。
弱き者たちにフォーカスを絞り、光を当てる―。河瀨監督が、一貫してスクリーンから伝えようとしてきたテーマは不変だ。
昨年秋。今作の製作期間中のことだった。
記録的な猛威の台風が屋久島へ近づいている…。「このニュースを聞き、すぐに撮影機材を抱えて飛行機に飛び乗り、屋久島を目指しました」と河瀨監督は言う。
悠久の大自然のなかで、何世代にもわたる人の営み、人の命を見守り続けてきた樹齢1000年を超える屋久杉と、都会で生きる人間の寿命…。この〝命のコントラスト〟の対比を鮮やかな映像でスクリーンに活写し、観る者に死生観を問いかけてくる―。
暴風雨に見舞われる臨場感に満ちた屋久杉の威容は、台風が迫る屋久島で河瀨監督が自らカメラを回した映像だ。

神戸市東灘区の「シティヒル西緑地」での撮影風景(右から3人目が河瀨監督)

〝河瀨組常連〟の尾野真千子(右)と北村一輝が夫婦を演じる

『たしかにあった幻』のワンシーン

撮影現場で脚本を確認する河瀨直美監督
『たしかにあった幻』
キャスト ヴィッキー・クリープス 寛一郎 尾野真千子 北村一輝 永瀬正敏
監督・脚本・編集:河瀨直美
製作: CINÉFRANCE STUDIOS 組画
プロデューサー: DAVID GAUQUIÉ et JULIEN DERIS 河瀨直美
制作プロダクション: CINÉFRANCE STUDIOS 組画 / 制作協力:カズモ
日本宣伝・配給: ハピネットファントム・スタジオ /
フランス配給:advitam / インターナショナルセールス: CINÉFRANCE STUDIOS © CINÉFRANCE STUDIOS – KUMIE INC – TARANTULA – VIKTORIA PRODUCTIONS – PIO&CO – PROD LAB – MARIGNAN FILMS – 2025

河瀨 直美(かわせ なおみ)
奈良県出身。大阪写真専門学校(現・専門学校大阪ビジュアルアーツ・アカデミー)卒業。1997年、『萌の朱雀』で第50回カンヌ国際映画祭「カメラ・ドール」(新人監督賞)を史上最年少で受賞し、一躍脚光を浴びる。2007年、『殯の森』で第60回カンヌ国際映画祭「グランプリ」を獲得。2013年には第66回カンヌ国際映画祭「コンペティション」部門の審査員に選ばれ話題となる。昨年、ロカルノ国際映画祭のクロージング作品としてワールドプレミア上映された新作『たしかにあった幻』が2月6日、全国で一斉公開される。












