9月号
有馬温泉歴史人物帖 ~其の拾八~ 鈴木 清(すずき きよし) 1848~1915
先日の都知事選、「二位じゃダメなんですか?」の人は残念でしたが、三位ってオリンピックならメダリストだし、プロ野球ならCS出られるし、誇ってもいいんじゃないですかね。三位といえば、有馬温泉とも関係がある競馬の有馬記念で3年連続三位という珍記録がございます。その主はナイスネイチャと申しまして、生まれたのも亡くなったのも北海道は日高の浦河、母の名もウラカワミユキという生粋の浦河っ子でした。ほかにも最初の有馬記念の勝者ハクチカラ、五冠馬シンザン、裸足の女王イソノルーブルに砂の女王ホクトベガ、世紀末覇王テイエムオペラオーなどなど、浦河は数々の優駿が輩出した世界的馬産地ですが、その起源は有馬とも縁が深い三田藩にございます。
ここにおはしましたのは、鈴木清なる三田藩士の子息。藩校では優秀で特に馬術は鶏群の一鶴。若くして家督を継ぐもすぐ版籍奉還となり、お殿様の九鬼隆義たちが設立した志摩三商会に参画しますが挫折し退職…。ところが天使の導きか、明治5年の秋、有馬での避暑から戻ったアメリカンボードの宣教師、本連載其の九にも登場したJ・Dデイヴィスに会い、その2年後に神戸教会で受洗します。
デイヴィスに学び進取の目を開いた清は新たな事業を模索し、缶詰に着目。明治11年に横浜の中川嘉兵衛からその技法を習得、神戸に戻って兵庫県令の森岡昌純の協力で牛肉の缶詰工場を開設します。欧米では生肉を缶詰にしていましたが、これを日本人が好むようにとすき焼き風に改良して大ヒット!
そんな清が次に着眼したのは北海道。失職した士族たちを救済したいとの思いから赤心社を設立して入植者を募り、明治14年よりキリスト教精神のもとで浦河の原野を開拓します。ところが思うようにいかず…。そこで畜産に精通していた沢茂吉をスカウトし派遣したところ、雪の少ない浦河の風土が牧畜向きだとわかります。ならばと牧場を創設し、馬を持ち込んで飼育をはじめたことが日高の馬匹産業の原点になったのですが、そこには馬術好きの清の存在があった訳でございます。
そんな清は有馬で派手にしくじっています。前述の牛肉缶詰を販売する際、関係者を有馬に集めて試食会を催して商品を振る舞うと、なんとそのほとんどが腐っておりました。清は「臭い物」に蓋をせずに己の非を認めヒラメの如く平身低頭、わざわざ新聞でこの顛末を告知し謝罪したとか。社会に隠蔽体質が蔓延している昨今、政治家、行政、企業が三位一体となって清のこの姿勢に学んでほしいですな、二位じゃダメです。