9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から100 湯気の向こうから
この連載「喫茶店の書斎から」もついに百回目を迎えました。
この間、何度も入院するなどピンチがありましたが、一回も休まずに書かせて頂けました。感謝です。
そこで今回、百回を記念して、というわけでもありませんが、わたしのことを書かせて下さい。
富田砕花師の「他に対って自己を説明し、自分を理解せしむるの愚」という言葉を知らぬわけではありませんが。
最近、新著を出したのです。『湯気の向こうから』という随想集。この「喫茶店の書斎から」の姉妹編のようなもの。でも決して売らんがための宣伝ではありません。
本誌『KOBECOO』のほかに毎月随想を書かせてもらっているところがある。
『六甲』という短歌誌。
『六甲』は昭和8年創刊というから兵庫県では最も伝統のある短歌誌だろう。通巻1050号を超える。
過去には兵庫県文化の父といわれた富田砕花師はじめ、兵庫県の錚々たる文化人が執筆してきておられる。
厚かましくもそんなところへ、2016年5月号からもう8年を超えて書かせていただいている。
その随想は「湯気の向こうから」というタイトルでスタートしたのだが、一昨年、9月号までの77回を終えたところで一旦区切りをつけ、今はテーマを衣替えして新しいシリーズを書かせてもらっている。
それはさておき、今年になって「湯気の向こうから」全編を改めて読んでみた。すると、これは一冊にしておきたいとの思いが募った。
内容は本誌の「喫茶店の書斎から」と同じく書籍や文学が中心。しかし、わたしの身のまわりの人間臭い話も多く載せている。世界を狭めて書いていると言っていいのかもしれない。
ということで内容が個人性の強いものだから出版社による企画出版には向かないと思い、私家版で作ることにし、2年前に『恒子抄』という詩集を作ってもらった印刷屋さんに頼むことにした。
ここの社主はわたしの長男の小学校時代の同級生。心安くおつき合いしてもらっている。なんでもわがままが言えるのだ。
その水間君(君づけで失礼)と何度も何度も校正を重ね、このほどやっと出版にこぎつけた。
水間君はわたしの思いを大切にしてくれ、わたしのイメージ通りの本が出来上がった。
ただし、部数はたったの150。
先に書いたように、個人性が強い本だ。拡売するつもりはない。わたしの身の周りの人、またこの随想を書く上で協力してくださった人などの少人数にお配りすればよいと思ったのだ。多く作っても無駄になる。
215ページ。巻末には130人余りの人名索引を付しているが、そこにはわたしの家族の名前も載っている。
そんな中から略しながら一篇紹介しよう。北条の五百羅漢のこと。
「わたしの心です」(後半部分)。
わたしは「五百羅漢」には40年近く昔にも訪れている。子どもがまだ幼い時だった。今回は、昔はなかったボランティアガイドさんの案内で境内を一巡し、茶席でお抹茶を頂いた。陽射しの厳しい日だったので、これは喉においしかった。
そのころほかのお客さんはほぼバスに戻っておられたが、わたしには探し物があった。前に家族で来た時のこと。娘の季代が、ある石仏を見てこんなことを言ったのである。
「わたしの心です、って言ってはる」と。
その言葉はわたしの心を捕らえ、メモして帰り、のちに作った口頭詩集『きよのパーティー』に収めたのだった。
ということで、ここに来たからには、もう一度あの石仏に会わねばならなかったのである。
微かに西に傾いた陽射しを浴びる石仏を、一体ずつ手を合わせながら境内を巡った。そしてついに見つけたのである。わたしの前で一気に40年の時がさかのぼっていった。あの遠い日、赤いワンピースの幼い季代が、ほとんど同じ背丈の石仏に顔を寄せ、「わたしの心です、って言ってはる」と言った時空に。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。