2月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.39 歌手 石川さゆりさん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第39回は、今年3月デビュー52年目に入る歌手、石川さゆりさん。
文・戸津井 康之
第一線で歌い続け半世紀・・・
今年は世界平和のために歌う
決意を新たに
昨年12月31日の大晦日。第74回NHK紅白歌合戦で、半世紀近く愛されてきた大ヒット曲『津軽海峡・冬景色』を歌った石川さゆりさん。2024年の目標について質問すると、力強くこう語った。
「毎年、年初にその年のテーマを決めて歌ってきました。今回のNHK紅白歌合戦のテーマは『ボーダレス』。それなら今年は、戦争や国境などを超え、世界平和のために歌を歌っていこう。そう決意しました」
紅白への出場は40年連続、通算で46回目。長年、多くのファンから支持され続ける国民的歌手が掲げた今年の目標は壮大だ。
「私たちはコロナ禍も乗り越えることができたのだから、ウクライナやイスラエルなどでの戦争や紛争も乗り越えることができるはず。私たちはみんな同じ地球人。戦争なんてやっている場合ではないですね」
紅白のステージで石川さんは、ウクライナの民族楽器の伴奏に乗せて『津軽海峡・冬景色』を力強く歌い、日本から平和の思いを世界へ届けた…。
新春をイメージした鮮やかな白を基調にした厳かな着物を身にまとい、石川さんは取材場所へと現れた。全国各地のステージの上から半世紀以上歌い続けてきた自信と風格、そして凄みが漂う。
だが、物腰は柔らかく、終始、気遣いながらインタビューに答えてくれた。
年初から全開で
2024年も多忙なスタートを切った。
年の初めは1月7、8両日、大阪・森ノ宮ピロティーホールでの新春特別公演で〝歌い始め〟。24日には女優として東京・PARCO劇場での朗読劇『ラヴ・レターズ~2024 New Year Special~』の舞台に立った。
そして3月12、13両日は、東京・有楽町I,MA SHOW(アイマショウ)で石川さんが近年、力を入れているアコースティック・ライブが開催される。
「実はこのライブもボーダレスの活動の一つなんですよ」と石川さんは語る。
「公演の前半はドレス、後半は着物で歌う2部構成のライブなんです」
タイトルは『「有楽町のさゆりさん」。ドレスと、着物で、逢いましょう。』と銘打った遊び心にあふれたライブだ。
「従来の大ホールで行うフルオーケストラコンサートとは、また趣の違った〝スペシャルなライブ〟なんです」と言い、こう説明する。
「シンプルなアコースティック・ライブで二チームの編成を考えています。一つはサックスやウッドベース、ギターのチーム。もう一つはチェロやバイオリンなどで編成するチーム。間近に歌を伝えることができ、大ホールとはまた違った歌の魅力を楽しんでほしいと考えています」
このアコースティック・ライブを思い立ったきっかけは、コロナ禍に始めたYouTube配信「石川さゆり お家(うち)でライブ」だという。
「ピアノやギターのみの伴奏で私が歌うライブ配信を聞いてくれた全国のファンの方たちから、『こんなアコースティックライブは初めて聞いた。ぜひ自分の地元でも公演してほしい』という声が届き、チャレンジしようと決めたんです」
イチローとの約束
2023年を締めくくる紅白では『津軽海峡・冬景色』を熱唱したが、同曲と同じ通算13回、紅白で歌ってきた名曲がある。
『天城越え』(1986年)だ。このヒット曲にも逸話が多い。その一つがメジャーリーガー時代のイチロー氏が、打席に立つ際の登場曲に使っていたことだ。
2008年1月。兵庫県尼崎市で開催された石川さんの公演を聴いた、当時、シアトル・マリナーズに在籍中のイチロー氏が楽屋を訪れこう言った。「今シーズンは僕は越えなければいけないことがある。そのためにこの『天城越え』を登場曲で使わせてほしい」と。
「分かりました。曲を作り直して送ります。そう約束しました」と石川さん。自信を込めて完成した曲を送った。ところが…。
「どんな返事が返ってきたと思いますか?これでは僕は打てません。そう言ってきたんですよ」と当時を思い出しながら、石川さんは苦笑しながら明かす。
「こんなことを言われ、私も負けるわけにはいきません。もう一度、音楽仲間に集まってもらい作り直しました。エレキギターの音をギンギンに響かせた曲にして…」
さらにこう続けた。
「大観衆のスタジアムで流れる曲でしょう。だから公演後、私はお客さんのいないホールの真ん中に立ち、最大のボリュームでこの『天城越え』を聞いて確認しました」
この曲にイチロー氏も満足。シーズン開幕の3月、石川さんが情念をこめた〝戦闘モード〟の『天城越え』が流れた瞬間、スタジアムを埋めた大観衆からどよめきが沸き起こった。
「これをきっかけにイチローさんと約束しました。毎年必ず試合を見に行きます」と。以来、その約束は彼が引退する2019年まで続いた。「こんな約束を最後まで果たしてくれたのは石川さゆりさんだけ」とイチロー氏は感謝を込めて語っている。
デビュー秘話
歌手を目指すきっかけはいつ頃だったのだろう。
「私が生まれたのは昭和33年。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台と同じ年。生まれ育った熊本の街も映画と同じような光景で、本当に周囲には何もなかったんですよ。ある日、母に連れられ、島倉千代子さんの歌を聴きに出かけたんです。会場は小学校の体育館でした」
小学一年生だった石川さんは一瞬にしてスター歌手、島倉さんの歌に魅了され、目の前で展開する光景に衝撃を受けた。「これまで見たことのない華やかな世界でした。私もこんな世界で歌いたい。歌手になりたい…」。強くそう決意したという。
小学五年のときに横浜へ転居すると、音楽教室へ通い始める。同じ教室に2歳年上の中学生の少女がいた。その少女が後にこう語っている。
「同じ教室にいた年下の女の子の歌声を聞いた瞬間、私は歌手をあきらめて女優の道へ進もうと決めました」。そう振り返るのは女優、高橋(当時、関根)惠子さんだ。
石川さんは1972年、ドラマ「光る海」で女優デビュー。その後も歌手と並行し、長年女優として活躍してきたが、昨年、映画ファンを驚かせるある出来事があった。
ドイツ映画界の巨匠、ヴィム・ヴェンダース監督が、役所広司主演で東京を舞台に撮影した新作映画「PERFECT DAYS」へ出演しているのだ。
「送られてきた脚本を読んで、すぐに依頼を受けることにしました。この映画の世界観の中に私も参加したい。同じ場にいたい…。強くそう惹かれたんです。でも実はそのときはまだ配給先も決まっていない状況だったんですよ」と教えてくれた。
役所さん演じるのは東京都内の公共トイレの清掃作業員、平山。質素なアパートで暮らしながら、淡々と働く平山の何気ない日常のシーンが丁寧に紡がれていく。
石川さんは、平山が休日の楽しみとして通う居酒屋の女将を演じている。
「短いですが、映画の中で、私は歌も歌っているんですよ」
日本を代表する歌手、石川さゆりさんへのヴェンダース監督からのリスペクトの思いが伝わるシーンだ。
実は撮影依頼があった時期。公演スケジュールが満杯で、周囲からは「とても映画出演は無理です」と反対されていたという。
だが、石川さんは「せっかくの依頼。何とか調整して出演したい」と無理を押しての参加だったのだ。完成した映画は昨年のカンヌ国際映画祭など数々の国際映画祭で大絶賛され、現在、日本で公開中だ。
まさにこの映画出演もボーダレスですね?そう問うと「今年もいろいろなことにチャレンジしたいと思っています」。そう答える優しい笑顔の口元には力がこもり、瞳は輝いていた。
石川 さゆり(いしかわ さゆり)
熊本県出身。1973年シングル『かくれんぼ』でデビュー。『津軽海峡・冬景色』で第19回日本レコード大賞歌唱賞受賞、『波止場しぐれ』で第27回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。他にも『天城越え』『風の盆恋歌』『夫婦善哉』とヒット曲は数多い。文化庁芸術祭(第56回:優秀賞『石川さゆり音楽会』/第62回:大賞『石川さゆり音楽会~歌芝居 飢餓海峡~』)や、第68回芸術選奨・大衆芸能部門文部科学大臣賞(平成29年度)、紫綬褒章(令和元年)を受章。2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では主人公・明智光秀の母、牧役を好演。2022年にデビュー50周年を迎えた。2023年は初の配信限定曲『愛されるために君は生まれた』、新曲『越後瞽女』など楽曲発売に加え、映画『PERFECT DAYS』(監督・ヴィム・ヴェンダース、主演・役所広司)に出演し話題を呼んでいる