11月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から90 嘘さえも
行きたいと思っていた喫茶店があった。
源氏物語ゆかりの古刹「現光寺」(須磨区)のすぐ北にあるアート&ギャラリー喫茶「あいうゑむ」。オーナーは詩人の福永祥子さん。
因みに福永さんは、最近ベネチア映画祭で、黒澤明監督以来となる銀獅子賞を受賞して話題になった濱口竜介監督の映画に出演経験を持ち、また野原位監督の「三度目の、正直」にも出ている。その映画をわたしは昨年元町で観たが好演だった。それを言うと彼女は恥ずかしそうに否定するが、二作のみとはいえ女優経験があるのだ。
コロナやわたしの体調のことなどでお店を訪れたことはこれまでなかった。
ところが、川柳作家の茉莉亜まりさんの個展がここで開かれているのを知り、これは行かなけりゃ、と出かけた。詳しいことは省くが、わたしは茉莉亜さんとも交流がある。
個展は魅力的なものだったが、そのことは略す。
実はその会場で思わぬ人に出会ったのだ。
フリーアナウンサーの久保奈央さん。
わたしは知らなかったのだが、久保さんはラジオ関西の名物番組、「田辺眞人のまっこと!ラジオ」で田辺さんのお相手をなさっていた人。その番組にはわたし、3年前に出演している。その時、久保さんは番組を卒業した直後だったと。しかし、わたしの出演したのを聞いてくださっていて興味を持ち、一度会いたいと思っていたのだと。
ということで、彼女、大いに今回の偶然を喜んでくださった。
これにはもう一つ裏話がある。
川柳作家時実新子さんのごく近いところにおられた川柳作家、中野文擴さんが以前からわたしに紹介したい人があると言っておられた。「そのうち連れて行きます」と。それが久保さんだったのだ。ということで、紹介者抜きで先に会ってしまったというわけだ。
偶然と言えば偶然だが、茉莉亜さんも中野さんも時実さんの愛弟子。そして久保さんもそれにつながる人だった。必然だったのかもしれない。
久保さんが「これ、読んでいただけましたら…」とバッグからおずおずと取り出したのは彼女の第一句集『Ferris Wheel』(2021年)。
実はわたし、どうせアナウンサーさんの遊び半分の余技だろうと、見くびっていた。
「あとがき」を見ると、2017年に川柳句会に初参加。そしてこの句集発行が2021年。
ということは、たった4年間の句歴だ。
ところがページを開いて読み進むと「これは!」と思った。
作品は全てで160句以上もある。みんないいが、わたしの独断でいくつか紹介しよう。
先ず、ガツンとわたしの胸を撃ったのがこれ。
嘘さえも信じてくれた父が逝く
お父さん、あの世で泣いちゃいますね。というより、わたしが泣いてしまう。奈央さんと同じ年頃の娘がいるので。
まだかゆい肩甲骨の2ミリ上
「2ミリ」、心憎い、この微妙な数値。
猫じゃらし無口な人に振ってみる
そうだ、あの人に試してみよう。
集合の笛に飛び散る雀たち
一瞬のチャンス。シャッタースピードは?
閉店後ハードロックを聴く大将
わたしは喫茶店マスターの時、閉店後、有線放送のチャンネルをクラシックからブルーグラスに変えていた。
この手紙結ぶ言葉を探してる
そうそう、誰もが経験すること。この原稿の結びはどうしようか。
父の靴ちいさき指がみがく朝
泣かさないで。
鼻歌でギリギリ嘘をはぐらかす
口笛では無理か。人生の機微。
幼な子の柩に眠るきりんさん
「きりんさん」の目に涙。
似なかったところばかりが欲しくなる
似なくていいところが似ちゃったね。
きっちりと時実新子さんの命脈を継いでおられる。つまらないダジャレ川柳や、わけの分からない言葉を組み合わせただけの深みのない川柳が世の中に出回っているが、このような文学の香りする句こそ川柳界の主流にならないといけないと、門外漢ながらわたしは思う。
新子さんも月から拍手を送っておられることだろう。
注「月の子忌」新子さんの命日
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。