11月号
映画をかんがえる | vol.32 | 井筒 和幸
いきなりだが、思い出の映画たちを語る前に、今の世界情勢のことに触れたいのでお許し願いたい。それは「戦争」のことだ。虚構ではない現実の戦争だ。ロシアのウクライナ侵略戦争もいまだに終わらず、悲しくてやりきれないが、新たに起きたイスラエルとパレスチナのガザ地区の戦争地獄も痛ましい限りだ。人間はどうしてここまで愚かで野蛮なんだろう。たった数日間に何千人もの命が奪われる現実を前に、映画も音楽も小説も無力でしかないことを、痛感させられている。独裁者の領土欲だけでなく、国家、人種、民族、宗教。そんな曖昧なものの為に戦争が起こるのなら、それらの意味を改めて問い直す時だろう。「戦争」がなければ、朝鮮半島も中国台湾も分断されなかった。人は戦時に平和を思い、平時に戦争を思ってきた。文明人は敵の頭蓋をかち割って不毛な争いをする代わりに、反対する者の頭数を数えてモノゴトを決めることで「民主主義」を発明したともいう。なのに、いまだに野蛮から抜け出せないでいる。この嘆かわしい現実には絶句するばかりだ。
映画の話に戻そう。86年の晩秋にニューヨークに出向いて、東京から運んでいった日本製のプリン菓子のCM撮影をした思い出は前号で書いた。休みの日に、下町の古い映画館を探し歩いたのも忘れられない。セントラルパークの森の遊歩道で小リスにホットドッグの端切れを分けてやったのも懐かしい。街の住人たちが思い思いの自由を愉しんでいた。ジョン・レノンが凶弾に倒れた高級アパートの前でスタッフ仲間が花を手向けるのにも付き合った。摩天楼のマンハッタンに雪が降り、CMに出演してくれた同い歳の“さすらいのピン芸人”、九十九一さんら仲間たちと広場で雪合戦もした。まるで、『さらば冬のかもめ』(76年)の、ジャック・ニコルソンが扮した気ままな海軍兵みたいに、束の間の自由を愉しんだ。東京に戻るのが嫌になり、帰りの予定便を一日遅らせて、ミッドタウンにあるスリル感のある怪しい25ドルの窓無し部屋に泊まったり。受付係はメキシコ人だったが、簡単な英語で用が足りて、ボクはもうすっかり、“さすらい人”の気分だった。
この頃に観た、さすらい人を描いた映画は『クロコダイル・ダンディー』(87年)だ。オーストラリアのワニ捕り名人の風来坊がニューヨークに現れる、心地よい作品だ。気取った都会文化を風刺していた。『モナリザ』(87年)という、ロンドンを舞台に、刑務所を出たばかりの純情な中年やくざが、黒人の美人娼婦に恋して、悪党一派から彼女の妹分を救い出して戦う話も人間味溢れる切なくて胸にしみる会心作だ。予感通り、主演のボブ・ホスキンスはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。『スタンド・バイ・ミー』(87年)も切なかった。田舎町の少年四人組が遠くの森で列車に轢かれたという少年の“死体”探しに行く、二度と巡ってこない青春の記憶だ。気ままに野原を駆け回った日々を想い起こした。
東京で、CMの仕上げを終えた頃、洋画配給会社の宣伝部から連絡があり、春公開の『プラトーン』(87年)は感動のベトナム戦争モノなので、コメントを欲しいと伝えてきた。試写を見終わると呼び止められ、「如何でした?」と訊かれた。ボクは「殺し合いの戦場で正義も悪もないやろ。いい軍曹、悪い軍曹、そんなもん分けるのがおかしいわ」と言った。ベトナム従軍体験者のオリバー・ストーン監督作品だが、「オリバーさんには悪いけど、そう言うとって」と言い残して帰った。コメントにならなかった。ベトナムものはこれを最後にあまり覚えていない。『地獄の黙示録』(80年)もボクには退屈だったが、コッポラ監督の戦争ものは、この年に観た『友よ、風に抱かれて』(87年)ぐらいかな。戦闘場面は一つもないが、兵士の心情は理解できた。戦死者を埋葬する軍務に就いた兵たちが戦争について語り合う、静かな作品だった。徴兵制のない国に生まれた今の若者たちは、これらを観て何を思うことだろう。
PROFILE
井筒 和幸
1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。