9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から88 放射線治療体験記
「その話、ぜひ聞かせて下さいっ!」
とカウンターを挟んで前のめりになられたのはYさん。
年に一度、損害保険の更新手続きに来てくださる人だ。
「一年が早いですねえ」のあと、「体調はお変わりなかったですか?」と、おっしゃった。
そこでわたし、
「いや実は、がんになりまして」
「え?それは…」
「いや、お陰様で無事に治療も済みました」
「で、なんの?」
「前立腺でした」
彼も今、PSA(前立腺がんを早期発見するための血液検査)の数値が上がってきていて、心配しているのだと。がんと診断された時の治療法で迷っていると。また、親しい友人が同じがんで困ったことになっているとのこと。それで余計に心配なのだ。
そこで、わたしの体験を縷々おしゃべりさせていただいた。Sさん、むさぼるように聞いて、
「良かった。いい話をお聞きすることができました」と大いに喜ばれた。
そこで思い至った。
わたしの体験を一冊にしようと。Yさんのような人に読んでもらえればお役に立てるのではないかと。
わたしのメーンブログ「喫茶・輪」は、たくさんの人が見て下さっているのだが、別に、読者限定のブログを持っていて、そこにはごく個人的なことを書いている。これを整理して簡易製本ではあるが一冊に仕上げた。50ページある。
読んでみると、ああ、こんなのがあったらわたしが大いに助かったのに、と思えた。
冒頭はこう始まる。
《五、六年前にかかりつけのクリニックで前立腺がんの血液検査を薦められ受けたところ、微妙な数値が出て専門医を受診することになった。(略)その時は異状がなかったが、定期的に血液検査を受けることになった。》
それが、このほど数値が上がっているということで精密検査を受けることになった。
《MRI検査で疑いが深まり、生検へと進んだのだがその間の時間がなんとも不安なものだった。
その結果、
「やはり出ました」と主治医。》
わたしは放射線治療を選択し、やがて第一回目の治療。
《事前の担当医の説明では「なんの痛みもありませんので、安心して受けて下さい」とのこと。
その通りでした。
大きな機械に圧倒される感じでした。
仰向けに寝た体の周りの空間を機械が右へ左へグルリグルリと回転。
数分で終わったのでしょうが、10分以上に感じました。
膀胱に尿を溜めておく必要がある治療ですので、その加減が難しいと言えば難しいです。尿が溜っていないと受けられないのです。水を飲んで時間をおいてからになります。
終ってすぐにトイレでした。
これを、土日を除いて毎日20回。丁度一ヶ月です。途中で止めることはできません。それでわたしの場合、完治率97%と言われています。》
その後いろいろあったことを細かく記録していて、第20回目。
《スタッフのみなさんに「お世話になりました」とご挨拶。主治医のK先生も「お疲れさまでした」と言ってくださいました。そして今後の事を注意して下さいました。わたしは、「いつも丁寧に診察して頂いて安心でした。質問もしやすかったです」とお礼申しました。》
質問好きのわたしは何度も疑問点をお訊きしていたのだった。そんなこともこの体験記には詳しく書いている。
ということで、この『放射線治療体験記』、何冊か余分を作ろうと思っているので、読みたいという人があればお貸しします。
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。