8月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.33 怪談家 稲川淳二さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。
そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第33回は長年、俳優、タレントとして活躍。現在は怪談の公演で全国を駆け回る怪談家、稲川淳二さん。
文・戸津井 康之
怖がらせる準備は万端…
でも本音は〝田舎のおじいちゃん〟に会いに来てほしい
今年こそは…の熱い思い
「怖いだけじゃないんですよ。怪談には愛があるんです…」
怪談について語り始めると、もう止まらない。
今や〝夏の風物詩〟となった稲川淳二さんの怪談の全国公演。今年も「MYSTERY NIGHT TOUR 2023 稲川淳二の怪談ナイト」が7月8日に開幕。現在、全国ツアーの真っ最中だ。今月は関西入りし、24日から27日まで、大阪・森ノ宮ピロティホールでの公演を控える。
「今年で31年目。始めた当初はこれだけ続くなんて思ってもいなかったですね」としみじみと振り返り、こう続けた。
「関西は私を育ててくれた地だと思っています。関西のファンの人たちは会場を盛り上げるのがうまい!でも、昨年は多くのファンに大変、ご迷惑をかけてしまって。だから、今年はその分のお返しも込めて、より公演に力を入れなければと思っているんですよ」
大阪での取材時。こんな自戒とともに、今年のツアーに懸ける意気込みを新たにしていた。
実は昨年の全国ツアーでは、お盆期間中に予定されていた4日間の大阪公演がコロナ禍で中止となってしまったのだ。
8月13日は「怪談の日」
「今年もあいつがやってくる!」
こんなキャッチフレーズで人気が定着した怪談ナイトは、今から30年前。1993年8月13日に神奈川県のクラブチッタ川崎を会場に初めて開催された。
「このときはこの一回だけ。翌年も8月13日に川崎で開催され、それが次第に全国ツアーへと広がっていきました。当初は両親に連れられ、一緒に会場に来ていた小さな子供たちが、成長して大人になっても、ずっと怪談を聞きに来てくれているんですよ。30年という期間ですからね。私も年を取りましたが…」と笑う。
20年連続公演を果たした2012年には、一般社団法人「日本記念日協会」から、その功績が認められ、毎年8月13日が「怪談の日」として制定された。
「もちろん怪談ナイトでは怖がらせますが、全国の会場でファンの人たちと再会できるのが本当にうれしくてね。田舎のおじいちゃんに会いに来るような気持ちで来てほしい。今年もまた会えたね、と話すのが今から楽しみで」
怪談ナイトは、昨年11月末までに通算公演回数が960公演に達し、総観客動員数は約66万人。公演で語り続けてきた怪談の数は計486話に及ぶ。
そして、ついに今年の全国ツアー中に通算1000回の大台を達成する予定だ。
「えっ、そうなんですか?」と、意外にも本人はこの数字、その偉業を認識していなかった。
「もし、意識して回数を数えていたら、とても今まで続けることなどできなかったのではないかと思います。今まで続けられてきたことは、会場へ来てくれるファンの人たちからのプレゼントなのではないか。そう思っています」と謙虚に語る。そして、「毎年私を待っていて、応援してくれる人が全国にいるからできたこと。もちろん怪談が好きだから続けてこられたのですが、好きでやることは実は苦しいことでもあるんですよ」と心情を吐露した。
暗闇から生まれる怪談
怪談ナイトでは毎回新しい怪談が披露されるが、いったいどうやって作り出されているのだろうか。
「毎年、怪談のツアーが始まる前に別荘にこもって脚本を練りあげていくんです。今年は4月1日から5月12日まで別荘にこもって新たな怪談7~9本の構想を練っていました」
ひと月以上、人里離れた別荘にこもり、怪談は生み出されていく…。この孤独な作業を、もう30年近く、毎年続けてきたという。
「深夜に脚本を書いていて朝が近づいてくると、海岸線から太陽が昇り始めてくるんです。美しいですよ。でも夜、別荘の周辺は本当に真っ暗なんです。東京などの都会とは違って、辺り一面が暗闇。街灯がまったくない田舎ですから」
太平洋の海を見下ろす丘の上に別荘はあるという。
「最近は周囲の住人が皆、年を取り、一軒一軒…と空き家が増えていって。だから別荘の周囲はどんどん淋しくなり、暗闇が広がっています」と苦笑する。だが、ネオンや街灯などで夜も暗闇にならない都会とは違う環境の中から、聞く者たちが皆、身を震わす怪談が生み出されていのだ…ということが分かる。
気になるのは今年の怪談の内容。そのヒントを少しだけ聞いてみた。
「今年の怪談ですか?事件なんです」と突然、声を潜めた。
声を潜めた理由。それは、これまで現実の事件を、怪談のテーマにすることを封印してきたからだ。
「怪談は日常と非日常のすき間にあるもの。恐怖や怪談は娯楽にしておきたい」を自らの信条とし、怪談を語ってきたのに、なぜ?
「ある60年前の事件が絡んでいます。その事件が現在になって重なってしまったんです。私が高校生時代に初めて見てしまった事件が、今年、また目の前で新たな事件として現れてしまったんです…」
30年以上、続けてきたからこそ辿り着いた怪談の新境地のようだ。今年、初めて封印が解かれ、その恐怖の全貌が明かされようとしている…。
怪談の謎、解かれた封印…
元々は工業デザイナーとして働いていたが、舞台のセットのデザインなどで演劇に関わっているうちに、舞台俳優の道へと誘われ、そこからラジオのDJ、そしてコメディアンへ…。あれよあれよという間に国民的人気タレントとなっていく。
多忙を極める中、「怪談に専念したい」と決意したのは今から20年前だ。
「55歳のときでした。周囲の反対を押し切り、すべてのレギュラー番組やドラマ出演を断り、怪談に全力を注ぐことにしたのです。生半可な気持ちで怪談の公演をしたくなかったですからね」と語る。
この〝怪談の原点〟とは、どこにあるのか。
「幼いころ母が私や兄弟、近所の子供たちを家に集めて、よく怪談を話してくれていたんです。母は歴史も好きで講談のようでした。それを聞きながら私は育ちました。だから自然と小学生の頃から私は友だちの前で怪談を話していたんですよ」
そんな母が91歳で亡くなった直後。
「母の形見の財布の中に、小さな紙切れがきれいに折りたたんで入っていたんです」
折りたたまれた紙を広げると、それは新聞の記事だった。
「私の活躍について新聞記者が初めて書いてくれた記事でした。母はそれをずっと大切にしまっていたんです…」
大好きな母との大切な思い出…。今も母と自分を結び付けるもの。その一つが怪談なのかもしれない。
「田舎のおじいちゃんに会いに来るつもりで怪談を聞きに来てほしい」
そう語る稲川さん自身にとって、毎年、母と会う大切な場。それが30年以上続けてきた怪談ナイトなのではないか…。
今回披露する恐ろしい怪談の真相について、まるで子供や孫に優しく教えてくれるような稲川さんの柔和な表情を見ていてふとそう感じた。
「ところで、さっきの30年前の事件の話ですがね…まだ、続きがありましてね」
怪談ナイトの新作の話は、まだ終わっていなかった。
「絶対に、誰にも話しちゃだめですからね…」
そう言いながら語る怪談を聞いているうちに、しだいに身体が震えはじめた。
稲川 淳二(いながわ じゅんじ)
1947年8月21日東京都渋谷区恵比寿生まれ。現在75歳。桑沢デザイン研究所を経て工業デザイナーとして活動し、専門学校や短期大学において立体構造の講師として教鞭をとる。1996年、個人でデザインを手がけた「車どめ」が、当時の通商産業省選定のグッドデザイン賞を受賞。元祖リアクション芸人、怖い話を得意とするタレントとして茶の間を賑わせたが、45歳の年に怪談ライブを始め、55歳の年、怪談を探求することを決意。あらゆるレギュラー番組やドラマ出演から降板し、“怪談家”に。2012年、”MYSTERY NIGHT TOUR 稲川淳二の怪談ナイト”の20年連続公演の偉業が認められ、8月13日が「怪談の日」として制定された(日本記念日協会)。昨今は障害者の子供を持つ親の見地からバリアフリーや人権がテーマの講演会にも精力的に参加。2021年からはパラアーティストの活躍の場を拡げる団体に助力し、『稲川芸術祭』と称する絵画作品コンテストを開催。