6月号
神戸で始まって 神戸で終る ㊴
第27回展『Curators in Panic 〜横尾忠則展 学芸員危機一髪』は、学芸員のあるったけの知恵を絞った前代未聞の企画展であるらしい。「らしい」なんて無責任な言い方をしましたが、学芸員からすれば、恨みつらみの企画展であったと思われます。まあ、わかり易く言えば、学芸員ヤケッパチの自虐展であったらしい。何しろ、僕は恐ろしくて、この展覧会を見ていないのです。
では、なぜこの展覧会名が「学芸員危機一髪」かということを説明する必要がありそうです。つまり、こういうことです。この27回展の同時期に、僕は東京都現代美術館で、過去最大のスケールの大きい展覧会『GENKYO』展をすることになってしまったので、わが横尾忠則現代美術館所有の代表作が、ほぼ全部、都現美の『GENKYO』展に出品せざるを得なくなってしまった。なので「危機一髪」だというのである。
他人事のように僕は言うかもしれませんが、人間は、追い詰められた方が底力が出るので、僕は全く心配していなかった。きっと、知恵を絞った、アッと言わせるアイデアを出してくると思っていたので、むしろ期待していた。この展覧会タイトルは、僕の作品を語ったものではなく、学芸員自身の心境を語ったもので、展覧会名としては傑作中の傑作である。何だかわからないけれど、ぜひ美術館に足を運んでみたいという気持ちにさせるだけでも、大成功ではなかったかと思う。
この展覧会を担当した平林恵は、主役級の作品が全部、都現美の『GENKYO』展に出てしまったために、二番手、三番手の、日頃あまり陽に当たっていない作品を掘じくり出して、僕も忘れているようなムカシの作品などを、まるで虫干しをするように、暗い倉庫から引っ張り出してきて、陽に当ててくれたために、観客もかつて見たことのないような作品を目にすることになって、大喜びされたのではないかと僕は推察するのであるが、結果は如何なものであったでしょうか。
展示作品の選択は、なんでも3人の学芸員がそれぞれ25点を選択して、計70点をほぼ制作年順に展示することになったらしい。また、作品と共に個人的な思い入れや展覧会制作の裏話、時にはマニアックな調査報告を担当学芸員の似顔絵付きで「私が選びました」と責任の所在を明確にして、「もし、選択に文句があるならば、この似顔絵の学芸員に文句を言ってください」と開き直ったようです。何しろ「危機一髪」だから、捨て身のキュレイションと言うところであろうか、と思うのであります。
でも、「危機一髪」のコンセプトは結構評価されて、人気を得たそうである。予定調和を廃したプロセスであったが、選択作品があらゆる年代を網羅しており、思いがけず、僕の画業を通覧する機会となったらしい。また、テーマ性のない展覧会ゆえに、個々の作品との対話が生み出され、結果的に作品本位の展示となったことも収穫であったと、担当学芸員の平林さんは、そうおっしゃっています。今後も、二度、三度の「危機一髪」に遭遇されるかもしれませんが、その都度、再び底力を発揮して、第1回の「危機一髪」を凌駕する傑作展を期待したいところであります。
さて、5月27日(土)にオープンする展覧会では、僕の小説の題名「原郷の森」展が開催されます。この展覧会については、来月号の本誌で触れたいと思いますが、担当の小野尚子さんのキュレイション展覧会で、展覧会には最も難しいテーマではないかと思います。5月26日の記者会見とオープニングには、久しぶりに帰神して出席の予定でおります。この展覧会は学芸員の力量が発揮されるというか、試される難しい展覧会に挑戦されたものだと僕は今から楽しみにしています。
開会と同時に拙著「原郷の森」(文藝春秋)がミュージアムショップで販売されますが、この本の装幀や、本展覧会のポスターが、ボーダーシャツの柄をヒントにデザインをしたもので、もしボーダーシャツを着用して来られた方には、何やら特典があるとか、ないとか聞いております。前もって美術館にお問い合わせの上、ぜひ来館をお待ちしております。ボーダーシャツを着用された観客は、この展覧会にパフォーマーとして参加していただいたことになります。
では、次号はオンタイムで開催される「原郷の森」展について、この「神戸っ子」で触れてみたいと思います。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。横尾忠則現代美術館にて「原郷の森」開催中(~8月27日)
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/