3月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.28 桂 春蝶さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第28回は、落語家、桂春蝶(かつら・しゅんちょう)さん。
文・戸津井 康之
コロナ禍で高まる緊張と期待…
客席の熱量を超える落語家の覚悟
緊張感漲る会場で
「新型コロナで、寄席の会場の様子がこれまでとは明らかに変わったことに気づきましてね」
どう変わったのか?
「まず、会場で携帯電話が鳴らなくなった。落語の途中で寝る人も減りましたね」
その理由とは?
「マスクをする、声を出さない…などの規制で会場の在り方が変わり、お客さんたちが寄席へ来るハードルは以前よりも上がりました。それでも会場に足を運んで来てくれるお客さんたちがいる。客席の緊張感はコロナ以前よりも確実に高まっている。それだけに客席から感じる熱量も明らかに増している」
まるで創作落語の小噺のように笑顔で語ると、一転し表情を引き締め、こう続けた。
「我々演じ手である落語家は、この客席の熱量を越える熱い情熱、強い責任感で高座へあがる覚悟が求められている。そう痛切に感じています」
コロナ禍はまだ明けていない。この熱い寄席のファンの期待にこたえるために、来月4月28日、大阪市中央公会堂で「春蝶・吉弥と一之輔 三人噺 2023」を開催する。
昨年4月4日、大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティを会場に初めてこの三人噺が開催され、今年が2回目となる。
上方落語界を牽引する桂春蝶と桂吉弥。そして江戸落語界の気鋭、春風亭一之輔…。
「今、旬の上方と江戸の落語家がぶつかりあうと、どんな化学反応を起こすのか?」と 大阪・毎日放送のプロデューサーから白羽の矢をたてられ、この企画が持ち上がったという。
「それぞれが約45分間の持ち時間で、トリネタを披露します。今回のネタですか? まだ決めていません。そのとき、その状況において、最もふさわしいネタをお披露目したいですからね」
3人とも、まだ披露するネタを明かしていないという。
「吉弥さんと私は平成6年に入門した同期組。一之輔さんとは東京・渋谷の『渋谷らくご』という落語会で長年一緒に共演してきた仲。歴史的建造物の美術館に置かれた現代アートのような噺家です。気心の知れた3人なんです」
次世代の落語界を担う個性豊かな3人だが、その共通点を聞くと、「落語とは何か? 常にそれを研究しながら落語の魅力を追究しているところ。1回目から1年経ちますが、それぞれが、この1年で研鑽してきたネタをお見せしますよ」と意気込む。
落語の「陽」と「陰」
昨年、第一回の会場として使われたシアター・ドラマシティはふだんはミュージカルや舞台などを開催するホールだ。ここに約900人の観客が詰めかけた。
一人ずつ順番にとっておきの〝トリネタ〟を披露していったが、その3人の中でのトリを任され、人情噺「浜野矩随(はまの・のりゆき)」を演じた。
彫師の名人として名高い矩康を父に持つ矩随。父亡き後、彫師の道を受け継いだものの、父とは比べ物にならない腕前だったが、糊口をしのぐために、父に心酔していた目利きの道具屋に自分の作品を安値で買い取ってもらっていた。「いつか化ける」。そう期待してくれた道具屋にも愛想を尽かされ、矩随は死のうと考える。だが、息子を案じるが故の母の苦悩と死の覚悟を知らされ、彫師としての魂が覚醒。不眠不況で渾身の観音像を彫り上げるが…。
この日の三人噺の1カ月前。2021年3月3日、母、浜田和子さんが75歳で亡くなった。
2020年11月頃から「浜野矩随」を練習し、2022年3月10日の寄席で披露する予定だったという。
「その直前に母が亡くなり、とてもこれを披露できるような心境ではありませんでした。だから、このときは題目を変えさせてもらったんです」
4月の三人噺で、母が亡くなってから初めて「浜野矩随」を披露したのだった。
約900人の観客が固唾をのんで聞き入った。まるで、矩随が乗り移ったかのような鬼気迫る姿が、それまでの笑いに包まれた会場の雰囲気を一変させた。
そこには今は亡き父、二代目春蝶への思いが、そして偉大な父を持つプレッシャーを背負いながら、父と同じ落語家の道に進んだ息子の身を案じ、ずっと見守り続けてくれた母への思いがこもっていた。亡き両親へ誓う落語家として生きていく覚悟のようにも見えた。
和子さんはこの会場に来ることを楽しみにしていたという。そんな和子さんと矩随の母の姿とが重なり、観客席は笑いではなく涙と哀しみであふれていた。
「落語には陽と陰があります。陽が笑いであれば、陰は泣くこと。落語は笑いだけではありません。陰の落語もあるのです」
そしてこうも語る。
「落語とは、その人物を演じるのでも成り切るのものでもなく、その人物の人生を生きること」と。
常々、春蝶さんが語ってきたこの落語の持論を実践して見せたひとつの完成形が、この日の「浜野矩随」だった。
50代に向かって
「落語家は50代が一番面白い。これから本当の戦いが始まる。今は、そのための武器を準備する期間でもあるんです」
現在48歳。この言葉通り、古典落語を追究する一方、創作落語にも力を入れてきた。
その一つのシリーズ「落語で伝えたい想い」では、第二次世界大戦下の鹿児島・知覧特攻隊、沖縄・ひめゆり学徒隊、北海道の占守島を守った日本兵の史実などをテーマにした創作落語を作り、毎年、終戦の8月などに合わせ、披露してきた。今年も行うという。
「50代が一番面白い…」は、父である二代目春蝶を意識した言葉でもあるだろうか。
落語家の枠を超え、テレビやラジオなどでも人気スターだった二代目春蝶を父に持つプレッシャーと戦い続けてきた。それは、物心ついた幼い頃から、そして落語家として活躍する今も変わらないという。
「小学生の頃から落語家に憧れていましたが、なかなか父には言えませんでした。やはり父が偉大過ぎたから…」
将来の進路を問われ、「保育士になろう」と思っていた高校三年生のときに転機は訪れる。
父が51歳の若さで急逝したのだ。
「お通夜のときです。つらいとき、悲しいときにあなたのお父さんの落語でどれだけ元気づけられたか…。集まった人たちからそう聞かされるうちに、どれだけ父に近づけるかは分からないが、自分が跡を継がなければいけない。落語家になるしかない。そう覚悟を決めていました」
19歳で三代目桂春団治に弟子入りするが、「小学生の頃から父の寄席には通っていましたし、父の落語を録音したカセットテープを幼い頃からずっと聞いていました」と、落語家になるための準備はずっと続けていたのだ。
新たな挑戦
「花火大会などで『た~まや~』という掛け声があるでしょう。これは玉屋という屋号から来ていて、もう一つ『鍵屋』という屋号を持つ花火屋が江戸時代にいたのです。花火大会で玉屋と鍵屋が花火を打ち上げるとき。それぞれひいきにしている観客が、『たーまや~』、『かーぎや~』と掛け声を出して応援していたんですよ」
この江戸時代の花火大会と三人噺は似てはいないか―と言う。
「三人がそれぞれの落語を同じ場所、同じ観客の前で披露する。それはまさに火花を散らすような戦いではないか…。三人噺は共演であり〝競演〟でもあるのです」
今年は、昨年の約900人を上回る約1200人の観客の前で〝戦う〟ことが決まった。
「1回目はとにかくやってみなければ分からない。そんな部分もありましたが、2回目はそれは許されません。2回目の方が緊張していますよ。このまま3回、4回と続けて開催できるのか…。それが問われますからね」
東西3人による〝火花を散らす競演〟は、さらに熾烈さを増しそうだ。
三代目 桂春蝶(かつらしゅんちょう)
1975年生まれ。1994年、三代目桂春団治に入門。2009年、松竹座 三代目桂 春蝶襲名。2009年、繁昌亭大賞爆笑賞受賞。2010年、大阪成蹊短期大学/表現文化学科・非常勤講師に就任。2012年、大阪成蹊短期大学/創造文化学科 客員教授に就任(〜2018年)。2013年、咲くやこの花賞・大衆芸能部門受賞。2015年、上方落語家として初となるフェスティバルホールでの独演会を開催。