1月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.26 中江 功さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第26回は、フジテレビの演出家で、公開中の映画「Dr.コトー診療所」の監督を務めた中江功さん。文・戸津井 康之
ドラマ制作一筋34年…〝代表作〟の映画化に込めた思い
ドラマ演出の名手
「これまで、さまざまなドラマを手掛けてきましたが、今の自分にかなり影響を与えてくれた作品だったと、改めて強く感じています。これは自分の代表作だったのだと…」
こうしみじみと中江監督が振り返る作品。そのタイトルは「Dr.コトー診療所」である。
2003年に放送が始まり、シリーズ化された人気ドラマ。2004年のスペシャルドラマ、2006年のシーズン2、そして現在公開中の映画版、全シリーズを通じて制作に関わってきたのが中江監督だ。
「ひとつ屋根の下」(1993年)や「若者のすべて」(1994年)など約30年にわたり、今も語り継がれる数々のヒットドラマを手掛けてきたベテラン演出家だが、「あのDr.コトーの…」という枕詞を付けて紹介されることが多かったという。
それだけに、「他にもいろいろなドラマを撮ってきたし、もっと〝数字〟を取っているものもあるし…」と本音を吐露するが、一方で「今回、映画を撮り終え、撮影方法もお芝居の考え方にも、監督として大きな影響を受けていた」。そう素直に認めることができたと語る。
俳優、吉岡秀隆さん演じる外科医、五島健助が、東京の大学病院から、南の孤島、志木那島の診療所に着任。〝コトー先生〟として、島民に親しまれながら、地域医療に奮闘する物語は、多くのドラマファンを魅了してきた。
惜しまれながら、ドラマ版最終話が放送されたのは2006年12月。今回、16年ぶりに映画版を撮ろうと決めた、その理由とは?
「実は、これまでにも数年に一回は続編のドラマ化の話が出ていたんです。でも、正直、映画化はあまり考えていなかったですね」と打ち明け、こう続けた。
「でも、あの青い海や島の大自然。この美しい風景を伝えるためにはテレビ画面で見るドラマのサイズよりも、劇場の大スクリーンこそ、ふさわしいのではないか…。そんな思いもしだいに強まってきて…」
スクリーンサイズでの試み
映画の舞台ももちろん志木那島。沖縄本島から船で6時間かかる孤島に建つ唯一の診療所で、コトー(吉岡)は19年の間、たった一人の医師として、島民すべての命を背負ってきた。看護師の彩佳(柴咲コウ)とは数年前に結婚し、彩佳は妊娠7カ月。コトーは父親になろうとしていた…。
2003年のドラマ第一話は、大海原に浮かぶ小型船を上空からとらえたシーンから始まった。そして今回。映画が始まった瞬間、往年のドラマファンは心躍らせるに違いない。
真っ青な海に浮かぶ客船を上空から俯瞰したシーンが鮮やかにスクリーンに映し出される。船の大きさこそ違うが、あの19年前の冒頭の場面を彷彿とさせるのだ。
中江監督が「大スクリーンがふさわしい」と、ドラマではなく映画で撮る覚悟を固めたその理由を、この壮大な場面を見た瞬間、誰もが理解するだろう。そして16年前に一度止まっていた〝コトーの世界観〟に再び没入してゆくことができるだろう。
「当時はヘリコプターによる空撮でしか撮影する方法はなく、大掛かりで大変でしたが、今回はドローンを使っての撮影でした。CG(コンピューターグラフィックス)技術なども、あの頃から格段に進化し、撮影方法も変わりましたね」
16年の時の流れは、映像作りの方法を変えたが、「島もこのシリーズの主人公のひとり」と語るように、〝変えてはいけないもの〟にもとことんこだわったという。
「撮影では久しぶりに(架空の志木那島のモデル)与那国島に行き、ロケを約3週間敢行しました。現在、島にはスタッフ全員が泊まることのできるホテルはありません。キャストもスタッフも島の民宿などで合宿のように分宿しながらの撮影でした。技術の進化で、セットでの撮影やブルーバックのCG合成などで撮れたとしても、ロケだからこそ映し出せるものがある。だから本当は3週間でも足りなかった」と苦笑した。
約20年前。ドラマ撮影のために海岸沿いの丘の上に建てられた診療所の平屋の家屋は今も健在。「ドラマが始まるとき。実際に人が住める頑丈な造りで建てていますから。16年が過ぎてもびくともしてませんでしたよ」
屋根の上には、島の子供たちが「Dr.コトー診療所」と描いた旗が風になびいている。
「あれは3代目の旗なんです」
ドラマ演出で培ったもの
中江監督は大学卒業後、1988年、フジテレビに入社。「希望した制作部に配属され、初めて演出補(助監督)をしたドラマが『抱きしめたい!』でした。演出家(監督)がいて、その下に何人もの演出補がいましたが、中でも私は一番下っ端でした」と振り返る。
80年代、人気絶頂で〝W浅野〟と呼ばれた女優、浅野温子さん、浅野ゆう子さんがW主演した人気ドラマだ。以来、一貫してドラマ制作に携わり、「東京ラブストーリー」(1991年)で演出補のチーフ(チーフ助監督)を務め、「愛という名のもとに」(1992年)で念願の演出家(監督)デビューを果たした。
冒頭で紹介した中江監督の言葉。「もっと〝数字〟を取っているものもある」は、1993年に放送された大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下」のことだ。第11話で記録した視聴率37・8%は、フジテレビ連続ドラマ史上最高視聴率を叩き出し、未だにこの記録は破られていない。
一貫して制作部でドラマを作ってきた。その過程で、「吉岡さんと初めて一緒に仕事をしたのが、『北の国から,89帰郷』でした」と言うから、そのつきあいは30年以上に及ぶ。
人気ドラマ「北の国から」シリーズは2002年に終了。そして翌年、吉岡さん主演で始まった新ドラマが「Dr.コトー診療所」だった。
映画化を決意した中江監督は当時のキャスト、スタッフの再集結のために動き出す。
映画版に託す魂
盟友の吉岡さんは「最初に脚本を読んだときは、本当に切なくて涙があふれた」と明かす。
「吉岡さん始め、16年前のキャスト17人が次々と出演を快諾してくれた。スタッフも撮影カメラマンに照明、美術など当時の撮影メンバー十数人が集まってくれたんです」
コトー役の吉岡さんに看護師でコトーの妻となった彩佳役の柴咲コウさん、彩佳の父役の小林薫さん、診療所でコトーを手伝う市職員、和田役の筧利夫さん…。
「映画に出演してもらえないですか…と一人ずつ会いに行って一人ずつ承諾を得ました」
これまで数多くの映画やドラマを取材してきたが、監督自らが出演依頼のために、これだけ多くのキャストに直接、会いに行って、一人ずつ説得したという話はあまり聞いたことがない。
「そりゃあもちろん出ます」。ベテラン俳優、小林薫さんのこの答えを聞くだけでこのシリーズに懸けてきた俳優たちの並々ならぬ熱意が、16年経っても少しも失われていなかったことが分かる。
「わざわざ来なくていいのに。決まったら、やるからさ…」。中江監督は小林さんら俳優たちのこんな温かい言葉を聞く中で、「演じる側の人たちが、視聴者側の気持ちになっているのかもしれない。作品を見ることを楽しみにしている雰囲気が伝わってきました」とうれしそうに語った。
続編が望まれ続けた人気シリーズ。なぜ16年もかかったのかが知りたかった。
「ある程度、やり尽くしたという思いがありましたからね」と中江監督は言う。
映画化を考えなかった…というのも、「内心もうやれないだろう」という思いも強かったからだとも。
そんな最中、コロナ禍に見舞われた。
「人の生死について考える時間が増えて…」。そんな中で映画化についてとことん吉岡さんと話し合った。「もう一度、同じメンバーでDr.コトーをやりませんか」と。
「監督がやるなら…」。吉岡さんも同じことを考えていたことを中江監督は知る。
映画版では、ドラマから継承された温かいヒューマンドラマが描かれるが、同時に日本の地方で深刻化する過疎化、高齢化、そして厳しい地域医療の現状をまざまざと伝える。
寂しいが、もうコトーのシリーズはこれで終わりなのだろうか。
「ええ、吉岡さんも私も最後のつもりで撮りましたよ」。20年来のドラマファンにとっては残念だが、中江監督の柔和な笑顔は、すべてをやり遂げた自信と安堵感に満ちていた。
中江 功(なかえ いさむ)
1963年6月13日生まれ/宮城県出身
【主な監督・演出作品】
『冷静と情熱のあいだ』(01)監督
「Dr.コトー診療所」シリーズ(03・04・06/フジテレビ)演出
『シュガー&スパイス 風味絶佳』(06)監督
『ロック ~わんこの島~』(11)監督
「教場」シリーズ(20・21/フジテレビ)演出・プロデュース