4月号
難病と闘う子どもたちの夢をかなえるお手伝い
「Make-A-Wish(メイク・ア・ウィッシュ)」は世界中で難病と闘う3歳から18歳未満の子どもたちの夢をかなえ、生きる力と勇気を持ってもらおうと活動しているボランティア団体。一人でも多くの人に知ってもらいたいと、公益財団法人メイク・ア・ウィッシュオブジャパン理事(前・事務局長)の大野寿子さんを迎えて、2月20日、グリーンハウス ヴァルトで講演会が開催された。
企画したのはボランティアとして活動に参加する進藤尚子さん(株式会社西出鍍金所取締役)。「2004年7月、私たち家族5人は飛行機に乗りディズニーランドへ行きました。食事も摂れなくなっている長男の病状を考えると、家族だけで旅行を決断する勇気はなかったと思います。楽しいことが子どもに与えてくれる力の大きさを感じ、メイク・ア・ウィッシュの存在は本当にありがたいものだと感謝しました。お土産を買い、ホテルの部屋で兄弟3人遊んだことは家族にとって忘れられない思い出です」とメイク・ア・ウィッシュと出会った当時のことを振り返って話した。
1980年、アメリカアリゾナ州に住むクリス君の「警察官になりたい」という願いを警察官たちが応援し実現させたところからメイク・ア・ウィッシュは始まった。今では世界中に広がり50万人以上の子どもたちが夢をかなえた。日本では1992年、沖縄で設立され、94年に事務局を東京に移した。東京本部のほか国内各地に6支部を置き、全国で3688人の子どもたちの夢の実現を応援してきた。
「頑張っている子どもたちのやりたいことを応援し、夢をかなえようと大人たちが本気で立ち向かっています。この素晴らしい活動が一人の少年の夢から始まり、世界を変えるまでに至ったことに感動を覚えます。でも決してそれは『病気だからかわいそう』という思いではないのです」。大野さんはいくつかの事例を紹介しながら話した。
5歳で筋ジストロフィーを発症した吉村和馬君。当初は「もう一生笑うことはない」と諦めかけていた家族だったが、「元気なうちにいろんな街を自分の足で歩かせたい」と一駅ずつ電車に乗り各駅の沿線を歩く旅を計画した。京都の自宅から阪神甲子園を制覇し、ゴールに定めたのは阪神甲子園駅。そこでかなえたい夢をメイク・ア・ウィッシュに相談した。6年間続いた旅のゴール甲子園球場へ車いすを押しながら自力で到着した和馬君は「憧れの赤星憲広選手に会う」という夢をかなえた。
「メイク・ア・ウィッシュを通して伝えた和馬君の願いに応えゴールで待っていてくれた赤星選手。感動のあまり気の利いた言葉も出ません。そして『僕はこの病気になったお陰で神様からいろいろな贈り物をもらいました。それは友達やたくさんの仲間です。早く治ってほしいけど筋ジスは僕のトロフィーです』という和馬君の言葉にみんなが幸せな気持ちになりました」
「バットマンになりたい」という男の子の夢の応援にサンフランシスコ市民1万人が駆け付け、配信されたYouTubeを64万人の人たちが視聴した。「応援した人、見た人、話した人、聞いた人、世界中の人たちをハッピーにしてくれたのです」
「遊園地へ行きたい」「野生のイルカと泳ぎたい」「絵本を作りたい」「自転車に乗って風をきって走りたい」…実現できない夢があってもめげずに次の夢へと思いを馳せ、実現したらもっと大きな夢を心に描く。そして、「病気になっても人と共に喜び、人を喜ばせる存在だ」と子どもたちは気付く。「夢を持つことの大切さ、手をつないで生きることの大切さ。この2つを子どもたちが教えてくれます」というメイク・ア・ウィッシュの強い思いが伝わってきた。
メイク・ア・ウィッシュ オブジャパンの活動については
こちらからご覧いただけます
https://www.mawj.org/