2021年
8月号
(実寸タテ10㎝ × ヨコ15㎝)

連載エッセイ/喫茶店の書斎から63 縁起・小墓圓満地蔵尊

カテゴリ:文化人, 西宮

今村 欣史
書 ・ 六車明峰

新しい本を出版しました。
『縁起 小墓圓満地蔵尊』(今村欣史著・小墓圓満地蔵尊奉賛会刊)というもの。
その中に次のような引用文がある。

《寛政四(一七九二)年正月十六日大フカが西宮浦に闖入し、浦の人々をおどろかせた。長さ二丈五尺、全身浅黒く、鱗なくて皮の厚きこと三寸、眼はいたって小さく、口の広さは二尺五寸、上唇は鼻の下にあって牛に似ており、歯はこまかくて三、四通りで、サメのようである。背のヒレの高いこと五尺、厚さは五寸、腹は灰色で、砂ずりのエラは前が四尺、後が二尺余ならび、鯨のタケリのようなものがあって、出ている長さは三尺で水中で開合する。エラは五通りかさなり、中のオサは浅紫色をしており、尾のまたは七尺余り、胴体の周りは太いところで一丈五尺、その肉は黄白色をしている。あばれうごくこと一昼夜、これを見ようと人々は浜辺にむれをなした。(略)その後六日間を経過し、どうして運んだかしれないが、大坂は道頓堀の見世物小屋にはこびこみ評判をよび、その後京都にも回され、都人の目をみはらせたものであった。》
『摂陽奇観』という江戸時代の歴史書から多少修正しての引用である。
意味の分からないところもあるが、要するに、寛政四年の正月、西宮の浜に怪魚が上がった話だ。『西宮市史』第二巻にも同じような記述があり、
《翌年の正月には、買い主亀屋治兵衛が施主になり、石碑が建てられ魚供養が行われた。》
とある。
この建てられた石碑というのが、「喫茶・輪」の隣の地蔵さまの境内にあったという話。
境内にはいつも線香の香りが漂い、供花が絶えない。ご来店の際、お参りしてから来られるお客様も多いのだ。
今回の本は、この地蔵さまの縁起を書いたもの。
町の地蔵さまにしては広い敷地を持ち、台座を含めると頭頂までの高さが二メートルを超える。これほどの地蔵さまは墓地や寺院の境内ならいざ知らず、市中で見かけることは珍しい。明治初頭の廃仏毀釈の難をよくも逃れ得たものだ。
先の引用文に寛政四年とある。当地蔵尊建立の年なのだ。縁起作成のために取材する中で得た情報により、この話の魚塚が当地に有ったことは間違いないと推断した。その経緯も今回の本の中に書いた。
またこんな話もある。
境内から一体の小さな地蔵さまが盗まれて、90年後に戻って来られた話。この章「住江町の圓満地蔵尊」も一部紹介しよう。
《住江公園(津門中央公園)に祀られている地蔵尊もその名を圓満地蔵尊という。
昔(大正十三年以前)、住江町に住む人が自分たちの町でも地蔵さまをお祀りしたく思い、小墓の境内から小さな地蔵さまを一つ持ち去って行ったという。夜中に二、三人で大八車を持って来て、それに乗せて帰る途中、二ツ橋まで帰ったところ、大八車もろとも東川に転落させてしまい、運んでいた者の一人も一緒に落ちて大怪我をしたという。当時のことで橋には欄干も無かったのであろう。夜のことでもあり、その場はそのままにして帰ったのだが、持ち去った当人、てっきり罰が当たったものと思い、早速翌朝、小墓へ謝罪のお参りをしたという。ところがこの男も剛の者で、川に落とした地蔵さまを元に返すのではなく、恐れも知らず自分たちの町へ持ち帰ってお祀りしたという。そんなわけで、住江公園の円満地蔵尊は、小墓の分家といえる。
(略)
ところが別にこんな話がある。
「用海にあった地蔵さんをここに移しました。地蔵さんを移すとき、嫁入りを嫌がって住江に行く途中の川へ飛び込んだと言われています。」
おもしろいものだ。川を挟んで同じ名前の地蔵さまがあり、用海の方では盗まれたといい、住江では嫁入りと伝わっている。立場が変われば同じことについての伝説も違ったものになるのだ。》

他にも興味深い話をたくさん載せているが、街の片隅のなんでもないお地蔵さまにも、連綿とした歴史が背景にある。そのことを後の世に残すことも何らかの意義があると信じての今回の出版だった。出版とはいっても部数三百部、わずか50ページばかりの冊子である。しかし、その50ページのために、実は、40年の歳月を要している。初期に取材させていただいた古老は、今ではすべて亡くなり、わたし自身が古老になってしまった。
興味のある方には一部五百円でお頒けいたします。お地蔵さまへの御浄財になります。また、電子書籍版も出ております。

(実寸タテ10㎝ × ヨコ15㎝)

■六車明峰(むぐるま・めいほう)

一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。

■今村欣史(いまむら・きんじ)

一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。

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