8月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第一一〇回
健康寿命延伸政策
─健康寿命とは何ですか。
吉田 健康寿命とは2000年に世界保健機関(WHO)が新たに提唱した指標で、平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態の期間を差し引いた期間、つまり日常生活に制限がなく元気に過ごせる期間のことをいいます。健康寿命を延ばすだけでなく、平均寿命と健康寿命の差を縮めることも大きな課題になっています。わが国では健康寿命は延びていますが、平均寿命の延びも同じくらいなので、差はあまり縮まっていません(図1)。
─これまでの健康寿命延伸政策の経緯を教えてください。
吉田 2000年に厚生労働省主導で健康日本21推進国民会議が開かれ国民健康づくり運動がはじまり、2002年に健康増進法が制定され特定健診事業が開始されます。2012年には平均寿命と健康寿命の差を縮小することが目標として掲げられるとともに、社会保障と税の一体改革の議論の中で健康寿命を延ばして支えられる側から支える側にまわる高齢者の増加を目指しました。2013年には内閣府の日本再興戦略の中で健康寿命延伸政策が採り上げられ、健康・医療戦略推進本部の立ち上げやヘルスケア産業の育成が掲げられます。また、同年には社会保障制度改革推進本部が立ち上がり、社会保障と税の一体改革として持続可能な社会保障制度の確立に健康寿命の延伸が必要とされ、以降、官邸から発表される経済財政運営と改革の基本方針、いわゆる「骨太の方針」には健康寿命延伸政策について毎年記されています。
─健康寿命延伸政策には社会保障と経済活性化という2つの方向性があるのですね。
吉田 その通りです。社会保障の側面は厚生労働省が、経済活性化の側面は経済産業省が施策を推し進めています。
─社会保障面ではどのような施策がおこなわれていますか。
吉田 健康寿命を延伸して年齢にかかわりなく働くことができる環境を整備するとともに、個人の主体的な健康の維持促進・介護予防への取り組みを奨励し、保険財源を節約することで社会保障の持続可能性を目指しています。具体的には、若いうちから健やかな生活習慣を形成して健康増進すること、高齢になったら疾病予防や重症化予防をすること、要介護になりかけたらフレイルや認知症の予防をすることなど、世代別に施策が組まれています。また、強制的な検診ではなく、行動経済学による心理作戦を応用し、個人や保険者にインセンティブを与えるような施策というのも特色です。
─インセンティブで自発的な行動を促すのですね。
吉田 医学的管理と運動プログラムのモデルを具体例として紹介しましょう。保険者、医療機関、体操教室の事業社が(図2)のようにお互い情報をやりとりして、生活習慣病にならないよう、重症化しないように個人に運動習慣をつけさせる戦略です。本人、医療機関、体操教室の事業社それぞれに補助金などのインセンティブをつけることにより、公的保険外活動で健康増進を目指しています。
─経済再生面ではどのような施策がおこなわれていますか。
吉田 2013年の日本再興戦略の中で、健康寿命延伸はエネルギー、インフラとともにテーマにあがり、経済活性化はもちろん、効率的な予防サービスや健康管理の充実により健やかに生活し老いることができる社会づくりも視野に入れています。具体的には健康寿命伸長産業の育成、医療介護情報の電子化、医療関連産業の活性化、医薬品や医療機器の開発、早期社会復帰に向けた医療介護ネットワークの構築などが進められています。また、健康・医療戦略推進本部の主導によりヘルスケア産業を創出するとともに、ALL JAPANで世界最高水準の技術を用いた医療を提供し、それを国内のみならず海外にも拡大することによって収益を上げ、経済成長へ寄与することも目指しています。
─ヘルスケア産業は有望な産業なのですね。
吉田 2030年に国内市場37兆円、海外市場525兆円、雇用規模223万人と予測されているんですよ。健康・医療戦略推進本部の下部組織にあたる次世代ヘルスケア産業協議会や経済産業省では、個人に健康への関心を持たせ、保険者によって検診をおこない、未病のうちに保険外ヘルスケアサービスの消費行動を喚起することを目指し、切れ目なく健康サービスを提供できる仕組みの構築を進めています(図3)。根拠のしっかりとしたヘルスケアサービスを築くためビッグデータを用いますが、そのためのITインフラやAIなど他分野の成長産業への波及効果も期待できるでしょう。
─日本の健康長寿政策について、先生はどう思われますか。
吉田 わが国は国民皆保険やフリーアクセスなど素晴らしい医療保険制度が確立しており、病気になってもすべて国家が保障してくれるためか、個人の不健康習慣に関しては無頓着で、医師の役割はもっぱら病気になった患者さんを元に戻す努力をすることになってしまっているのではないかと感じます。ですから、社会を挙げて健康ブームを起こし、正しい方法で疾病を予防し、健康長寿が達成できれば素晴らしいことではないでしょうか。確かに課題もありますが、健康を保つことに対して企業や個人が価値を認め、その方法論に金銭的な価値を付与し、開発競争をおこして産業化することは間違いではないと思います。