2020年
6月号
6月号
「21世紀の神戸は右脳的発想で」|井深 大 さん(ソニー株式会社名誉会長)|月刊神戸っ子 アーカイブ集
アマチュア無線に夢中だった神戸一中時代
―井深名誉会長は少年時代を神戸で過ごされておられます。今日は、まず、神戸時代の思い出からお話しをお伺いしたいと思います。
井深 私が数えで三歳のときに父が亡くなりました。父が亡くなってから、母が東京で女子大の幼稚園の先生をしていたので、母と二人で小学校の初めまで東京で住んでいたのです。さらに祖父母が愛知県の安城に住んでいたので、そこへ移りました。そこで母が再婚しまして、嫁いだ先が神戸だったんです。
ところが私はおいてけぼりを喰らいまして、休みの日にだけ神戸へ行ったんです。だから神戸がものすごく羨ましかったですね。それで五年生の初めだったかなぁ、神戸へ来て入学したのが諏訪山小学校だったんです。
―諏訪山小学校を卒業されたのが大正十年三月。それから一中(県立神戸第一中学校)へ入られていますね。
井深 そうです。考えてみますと、諏訪山小学校には、たった一年半しか在学しなかったのに、非常に強い印象がたくさん残っているような気がします。これは、多くの同級生が一緒に神戸一中に入り、ずっとその交りが連続しているので、諏訪山小学校と一中との区切りがはっきりしないままで両方の印象が重なっているからかも知れませんね。
(1986年3月号)