11月号
いい夫婦の日|楽しいときも試練のときも、 二人で前だけを見て歩んできた
同じ趣味と共通の話題で話がはずむ加藤さんご夫妻。お二人ともクヨクヨと思い悩んだりしない性格。震災という大きな試練も乗り越え、前だけを見て歩んでこられた56年間です。
加藤名誉宮司は、薬師寺から吉祥天を奪った男?!
―お二人の出会いは。
隆久 生田神社のお茶室「梅蔭亭」で裏千家のお茶を教えておられた先生が、一度、会わせたい人がいると連れて来られたのが、この人でした。
昌子 私は先生のご自宅に通っていました。先代の宮司から年頃の人はいないかと頼まれていたようで、ちょうど私が年齢も合うのでと、毎月1日と15日に開いていたお茶会に同行することになったようです。
隆久 昭和37年11月1日のお茶会で彼女がお茶を点て、私がそれを飲む。それが見合いのようなものでした。
―その後、デートを重ねたのですね。
隆久 彼女は関西学院文学部美学科で源豊宗先生に学び、私は甲南で古美術研究会を立ち上げて源先生を講師としてお迎えしていたという不思議なご縁もあり、美術鑑賞という同じ趣味を持っていましたので一緒に奈良や京都へよく出かけました。些細なことでよくけんかもしました。
昌子 奈良の秋篠寺に行ったときのこと。結婚後はお茶室の2階が住まいになるので、お茶会に駆り出されるのではないかと両親が心配していると話すと「そんなことは結婚とは別の話だ!何ならどこか外で家を借りて住んでもいい」と言ってくれて、この人と結婚して付いていこうと決心しました。
―情熱的ですね!
隆久 まあ、まあ、そんなこともありましたね(笑)。そして、翌年3月30日、生田神社で結婚式、元のオリエンタルホテルで披露宴をしました。有名な神社の宮司さん方、私と彼女がお世話になった先生方などから、たくさん祝福をいただきました。薬師寺の花会式という大きな行事の時期にもかかわらず、当時副管長で、私とは兄弟のような親交があった高田好胤さんがわざわざ来てくださって、彼女が吉祥天に似ているとかで「うちの吉祥天を加藤君が奪った」と。今でも忘れられない思い出です。
同じ趣味と共通の話題で、楽しく過ごした時間を経て
―新婚生活は。
隆久 当時は甲南で教えていましたので、毎晩、教え子たちが冷やかしに来る。あまりに頻繁に来るので、家内に「もう玄関を開けなくてもいい」と言うと、今度は屋根に向けてバラバラバラと石を投げてくる。迷惑な話で…そんな彼らも、今では大企業の社長さんやら立派な大人になっています(笑)。
昌子 その子たちが帰りがけに、「先生、ええ所に住んでるなあ、酔っぱらっても這って家に帰れる」と(笑)。
隆久 景気のいい頃には、東門街をはじめこの周辺には2700件もの飲食店があるといわれていましたからね。お酒は一切飲めない私も、夜な夜な出かけて多くの文化人たちと楽しい時間を過ごしていました。
―自分だけ楽しんで…などと思わなかったのですか。
昌子 「楽しそうにやっているな」と思うだけで、「自分ばっかり」なんて思うことは全然なかったですよ。家で皆さん集まることもありましたし、主人はいつも、その日あったことを面白おかしく話してくれるので、私も笑わせていただいていました。
隆久 二人で一緒のこともたくさんやりましたよ。蛭子神社の井上宮司夫妻をはじめ、職員たちや知り合いなど含めると50組以上の仲人を二人で務めました。地元郷土芸能を集めた日本民俗芸能団では団長としてカナダ・ドイツ・エストニアをはじめ55カ国へ出かけましたが、ほとんど全て家内も一緒に行きました。フランスに行った時はパリで恐ろしい経験もしましたし…。
昌子 そんなこともありましたね。
隆久 こんなふうに共通の話題があるのも、56年結婚生活が持ち堪えてきた理由の一つでしょうね。ところが、楽しく過ごしていたところにあの日がやってきました。
神戸の街の復興は生田神社から!と立ち上がる
―平成7年1月17日、生田神社も甚大な被害を受けましたね。
隆久 拝殿が落ちている、楼門が傾いている…しばらくは呆然としていました。
昌子 私は拝殿が崩れているのを見て「主人、どうするのかしら、かわいそう」とまず思いました。でも、主人はすぐに立ち上がりました。
隆久 私には父親の声が聞こえてきたのです。「私は三つの神社を復興させた。お前はまだ神社を建てたことはないだろう。今がチャンスや!お前は、神主として生田神社から神戸のまちを復興させるために、この震災でも生き残されたんや!」と。ここから私の気持ちがコロっと変わりました。家内の応援もあり、1年6カ月という驚異的な早さで生田神社復興に至りました。
―そこからまた、お二人の順調な日々が続いているのですね。
隆久 お陰さまで平成22年には神社本庁から鳩杖と、全国の神職の中で10人にだけ贈られる長老の称号を頂きました。600人もの方にお祝いいただき、私が詠んだ和歌を、家内が大きな用紙に筆でしたためてくれました。生田神社崇敬会の会長を務めていただいていた貝原俊民さんから祝辞をいただき…。その4年後にあんな事故に遭われるなど思いもしませんでした。神戸にとって大切な方、私たちにとっても忘れられない方のお一人です。
たとえ挫折しても、気持ちを切り替えることが大切
―お互いが認める良いところは。
昌子 主人がしょげているのは見たことがなくて、いつも前向きです。私ものん気な質ですから、どんなことがあっても「主人ならきっと何とかするわ」と思っています。
隆久 家内がクヨクヨしているのも見たことがない。明るい性格ですから、すごく助けられてきました。細かいことでは毎日、怒られてばかりですけどね(笑)。
―人生を夫婦円満に全うする極意は。
隆久 極意は、何事も難しく考えずに二人で前だけを見て歩むことでしょうか。人生は常に順風満帆などということはなく、必ず挫折する時がある。その時、どう心を切り替えるかが大切。私たちは二人よく似た性分、いつもこんな調子ですから、それができたのだと思います。
―80年余の人生と結婚生活56年の重みを感じます。ありがとうございました。