10月号
浮世絵にみる 神戸ゆかりの「平清盛」 第10回
中右 瑛
福原の別荘で怪奇現象に悩まされる清盛
武士としての力と政治家としての才能を発揮した平清盛は、上皇や天皇に取り入って院内では確固たる地位を築く。49歳で内大臣、仁安2(1167)年、50歳でついに従一位太政大臣にまで昇進を果たす。3ヶ月後、太政大臣を辞任し、翌2月、病により出家した。しかし、法衣をまとって鎧を覆い隠したにすぎず、横暴ぶりは日に日に増す。清盛のイメージは坊主頭の姿が定着する。
清盛はついに遷都までも遂行する決心をした。
都を神戸に移すことは、平家にとっては願ってもないこと。対宋貿易を拡大するには「神戸こそその利に叶う絶好の地である」と確信したのである。仁安5(1170)年頃から、清盛は神戸福原に移り住み、大輪田泊を国際貿易港に改修。みなと神戸の基礎を築いた。
福原の日々は決して平穏ではなかった。反平家勢力や源氏再興の声に怯え、絶えず妄想に悩まされ続けた。
ある日、福原の別邸で雪見の真っ最中、庭の樹木や築山、灯篭までもが髑髏となって清盛に襲いかかった。平治の乱(1159年)で殺された武士たちの怨念である。
絵師・広重は奇想な絵に仕上げた(図①参照)。美しい雪景色であるが、妖怪性を織り込んで、迫真力のある超現実の世界を展開させている。広重の数少ない武者絵の傑作といわれている。
髑髏のシーンは多くの絵師が、さまざまに表現した。
明治の絵師・芳年は、座敷のふすまに描かれた秋の月が髑髏に見え、怯える清盛を描いている(図②参照)。
広重はシュール(超現実)性を狙ったに対し、神経病をわずらっていた芳年は怯える清盛の幻覚をあらわし奇抜な発想で見る者に迫る。
神戸での清盛は、さまざまな怪奇現象にまどわされ続けた。
次回は、布引きの滝で雷と出会うお話である。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。