6月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第66回
剪画・文
とみさわかよの
声楽家
田中 潤子(たなか じゅんこ)さん
椿姫、マダム・バタフライ、フィガロの結婚…名だたるオペラの主役の経験を持つ、ソプラノ歌手・田中潤子さん。舞台では華やかな印象ですが、「実は子どもの頃からおしゃべりも苦手で」という田中さんは、教鞭を取りながらソロ活動にも力を注いでおられます。神戸生まれで今も神戸在住の田中さんに、お話をうかがいました。
―音楽との出会いは?
最初はヤマハの音楽教室に1年、その後個人レッスンでピアノを習い、13歳まではピアノ科を目指して猛レッスンしていました。受験で必要なのでソルフェージュを始めたら、先生に「大きな声してるし、声楽で受けたら?」と言われて。ピアノやヴァイオリンは音大入学時にはある程度完成されてる人がほとんどだけど、声楽は本格的に習うと言っても変声期過ぎてからなので、スタートが遅くても間に合うんですね。その時に転向して、今も続いているのが不思議です。
―ピアノであれ歌であれ、音楽で生きていくのが夢だったのですか?
母によると、小学生の頃の夢は「ピアノを教えたい、お歌を歌いたい、お店屋さんになりたい」だったらしいです。本人は憶えてないけど、やはり音楽は好きだったみたいですね。その夢をかなえたことにはなるのかも…だけど夢は何と言ってもお嫁さん!専業主婦になって、尽くしたかったんですよ。
―それは意外ですね。ソプラノは何と言ってもオペラの花形、自分が前へ出たい性分の方が多いのかと。
性格的にソプラノ気質じゃないな、と思いながらやってきました。一途に自分の道を突き進んで来たというより、ひとつのことしかできなくてこうなった、という感じです。今なら両立できることも、若い頃はひとつしか選べなかった。分かれ道に来る度に音楽を選んで、やっていく中で音楽が好きになって、年を追うごとに楽しくなっていきました。
―オペラに関わるようになったのは?
卒業後1年大学に残った後、二期会の研究生になりました。大学では独唱のみだったので、舞台で男性と歌ったり抱き合ったりということすら、カルチャーショックでしたよ。端役をいただいて、いろいろな方からアドバイスしてもらって、面白かったですね。続けていくうち、オーディションを受けて役をもらえるようになりました。オペラは創る過程が楽しいんです、あれだけたくさんのスタッフに助けられて舞台に立てるって、本当にありがたいことです。
―順風満帆な時ばかりでなく、挫折や迷いもあったのでは?
実は数年前に病気をして、歌えない時期がありました。それこそ高校生レベルからレッスンし直して復帰したんですが、それで心の鎖が解けたんです。演奏自体は人のためであっても、自分を抑え込まなくてもいいんじゃないか、と。今は歌えることを喜べるようになって、いただいたお仕事に応えられる自分でありたい、と前を向けるようになりました。仲間にも、明るくなったって言われます。
―これから活動したいことは?
機会があればオペラにも関わりたいし、いろいろなジャンル、ピアノ以外の楽器とも演奏してみたい。昔は怖かった日本歌曲も、今は面白さがわかるようになったし、外国の曲も新しい物に挑戦したい。今まではイタリア物が中心だったけど、ドイツやスペイン、その他の歌曲もやってみたいし…まだやりたいこと、結構いっぱいありますね!
(2015年4月28日取材)
チャレンジ精神に溢れながら、「自分がしてもらったことをお返ししたい。若い人たちにステージの機会を」と奉仕活動にも尽力する田中さんは、その道のベテランの落ち着きを備えておられました。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。