9月号
新刊 『芦屋の和洋館よ とわに』刊行
福嶋 忠嗣 著
芦屋モダニズムの記憶をとどめる
洋風建築と生活文化へのオマージュ
芦屋洋館建築研究会や芦屋の景観を考える会を主宰し、兵庫県ヘリテージマネージャーとしても活躍する建築家・福嶋忠嗣さんの長年の研究成果をまとめた本、『芦屋の和洋館よ とわに』が8月末に出版された。
阪神間モダニズムの核であった芦屋には、近年まで昔ながらの落ち着いたまちなみに洋風建築が点在していたが、阪神・淡路大震災でかなりダメージを受け、市民に親しまれていた建物も多く失われた。「洋館の煙突が倒れて建物を直撃、修復できないものもあったんですよ」と福嶋さん。そんな洋風建築を記録して残そうと本の作成をすることに。納得いくものをと作業を進めた結果、震災から20年の節目に出版する運びとなり、今はなきお屋敷たちへのレクイエムにもなりそうだ。
かつてタウン誌『アシヤアドプレス』を手がけ、福嶋さんとともに芦屋の景観についてのシンポジウムを開催していた編集者の吉田光夫さんとタッグを組み、地道な作業を重ねて出版にたどり着いた。吉田さんは出版社探しにも奔走、大阪で詩集などを多く発行する出版社、澪標からリリースされることになった。
本編はAからZまで、26の建築を紹介。一つひとつの物語が映画のように展開する。芦屋には洋館だけでなく、和の粋を集めた和館や、和洋を折衷した芦屋独自の和洋館もあり、それらをフラットな視点で織り交ぜながらピックアップしている。特に和洋館は芦屋ならではの建物で、和と洋のせめぎ合いの中に大阪船場の伝統文化と神戸の西洋文化が見え隠れし、この地でしか綴れない面白いストーリーが織り込まれている。
芦屋川上流にはかつて、何万坪もある広大なお屋敷、右近権左衛門邸があった。和館は戦争で焼失、迎賓館だった洋館は近年取り壊されたそうだが、鉄筋のコンクリート造りの蔵に山小屋風の木造建築を入れ子にしたような特徴的な宝物庫は現存している。「それを何とか残して欲しいという願いを込めて、最終章のZに選びました」と福嶋さん。
図表が約百点、写真も2百点以上と充実。福嶋さんでなければ入手不可能な古い図面や、今はなき建物などの貴重な写真もふんだんに掲載している。初公開となる資料も多く、見る人が見れば得難い価値がある。
洋風建築を「建築物」ではなく、「住まい」として捉えていることもこの本の特徴だ。様式や技術など、建築の専門家としての解説も見逃せないが、一住民としての視点から生活や住む人の思い、価値観にも踏み込んでいる。家は住むためのもの。それゆえのエピソードにもスポットを当てるという、これまでありそうでなかったコンセプトがユニークだ。
一方でプライバシーへの配慮には慎重に慎重を重ねたという。住人の生活にまで踏み込むことは難しい。信頼がないと取材など不可能だ。ゆえに、芦屋で生まれ育っただけでなく、震災時の被害調査の先頭に立ち、地元・芦屋で真摯に建築物の保存や景観保全に尽力して信頼を積み重ねてきた福嶋さんにしかできない仕事だろう。「建物の記録と人の記録が同じ距離というのが、この本の面白いところですね」と吉田さん。住民と福嶋さんの心の交流や芦屋への愛情もまた、この本の見所のひとつだ。
「貴重な建物でも、全てが残せる訳ではない。保存とはどういうことかを考えるきっかけになれば」と福嶋さん。建築の専門家のみならず、“古き佳き”を愛する人ならばぜひ本棚に揃えたい。ここには、モダンな芦屋の記憶とロマンが詰まっている。