9月号
第七回 兵庫ゆかりの伝説浮世絵
中右 瑛
光源氏・須磨の巻(概要・潤色)
世界一のドン・フアンこと光源氏の君は、平安の王族という高貴のご身分、立ち振る舞い、容姿容貌ともに優れ、世のご婦人方の羨望の殿方でございます。
ときの帝の御曹司で、母君は桐壺の更衣という大そう美しい女御でございました。帝にはたくさんのお妃がおいでですが、桐壺さまのご身分はそう高くはないのですが、帝からは大そう愛されていたのです。そして、待望の皇子がお生まれになりました。この皇子が成人して光源氏の君となる御方であります。しかし、周囲のお妃たちの嫉妬心が強く、桐壺さまはひどい嫌がらせを受けて病になり、早くに亡くなられました。光源氏の君がまだ若宮のころで三歳の時でございました。帝はこの若宮を、愛する桐壺さまの忘れ形見として大事に育てられたのです。若宮は成長するたびに母君の桐壺さまに似て美しく磨きがかかり、文才にも恵まれ、人々から「光る君」とまで呼ばれるほどになりました。
「光る君」は周囲の者から羨望されてはいたのですが、帝の心は愛する桐壺さまを失った深い哀しみを和らげることはできません。帝は日ごとにおやつれになり、心配した周囲の者たちの計らいで、桐壺さまによく似た女御・藤壺の宮を帝の新しいお妃にお迎えしたのでございます。
帝は藤壺の宮さまに心ときめかせ、元気を取り戻され、時間さえあれば、若宮をお連れして藤壺の宮を訪れ、幸せな時を過ごされたのでございます。
「光る君」は12歳の時、元服され、臣籍を下し、「源氏」の姓を授けられ、左大臣の御息女・葵の上の婿殿となられたのでございます。しかしながら、源氏の君は、義母に当たる藤壷の宮への密かな思慕、いや恋が芽生えていたのでございます。
それからは、いろいろのご女御とのお付き合いがあり、天下のドン・フアンぶりが始まるのでございます。
藤壺の宮、葵の上、帚木、空蝉、夕顔、若紫、末摘花、朧月夜、花散里、紫の上などなど放蕩三昧の女性遍歴。父君である帝が薨り、帝が変わり、時の権力者の弘徽殿や右大臣の怒りを受けた源氏の君は、官位を奪われ、自ら身を引かなくてはならず、都を離れ、遠く須磨の浦に隠棲することになりました。質素な田舎家で、訪ねる人とてなく、つらくて寂しい毎日でした。源氏の君が須磨に移住して1年たった三月のはじめ、禍や万能の汚れをを祓うために、小さな舟を作って人型を乗せ流しました。すると俄かに天かけ曇り、雨、風、激しくなり、雷鳴轟き大嵐となったのです。このような状態が幾日も続き、それどころかますます激しくなり、遂に、光源氏の館は落雷の被害を受けてしまったのでございます。
やがて騒ぎも一段落し、源氏の君も疲れ果てて眠り込んでしまいました。その夜、源氏の君の枕元に、亡き父君が現われ、須磨を去ることを勧告したのです。
(つづく)
*注
『源氏物語』瀬戸内寂聴著・講談社発行
『源氏物語』ささきようこ編集・表現社発行
を参考にしました。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。