8月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第145回
かかりつけ医の制度化をめぐる歴史的経緯と各国の状況
─かかりつけ医とは何ですか。
多田 基本的に、みなさんが日常的に診てもらったり、病気になって最初にかかったりするお医者さんのことで、国際的には家庭医とよばれています。総合的な診察をおこなっており、臓器別や病気別の専門医に対して一般医や総合医ともいいます。
─わが国で近代的な家庭医はいつ頃誕生したのでしょう。
多田 長崎蘭方医の相良知安らが、1871年に東大医学部へドイツ人軍医2名を招聘したことに始まります。相良の意見書には専門医と一般医・総合医の違いについての言及があります。1874年には医制公布により現在に通じる医師開業免許制と自由開業医制という日本の医療供給制度の根幹が確立します。1903年には内科学会が立ち上がりますが、以降臓器別の学会ができても「内科」というワードを含まないことからも、内科こそが総合診療、つまり家庭医に近い概念でした。
─それが現在に続く訳ですね。
多田 紆余曲折はあります。戦後、GHQの占領政策により改革がおこなわれますが、これにはマッカーサー元帥の信頼が厚かった公衆衛生福祉局の軍医、サムス大佐の考えが大きく影響し、彼はインターン制度を強力に推進する一方で、専門医制度の導入には賛同しませんでした。その理由として、医療全体のレベルの底上げを重視したとされていますが、当時のアメリカでは専門医養成に重心が傾いていて一般医とのアンバランスが問題になっていたこと、サムス大佐自身が一般医で専門医に対しコンプレックスを抱いていたことも背景にあるようです。主権回復後、1956年度版の『厚生白書』では「家庭医は専門医制度においてとても大切である」と触れられています。GHQ改革によるインターン制度は1968年の学園紛争で廃止になり、その後30年以上の空白期間を経て専門分化が進み、現在のように臓器別・病気別の専門医に直接かかるのが当たり前になっていきました。つまり、日本独自の進化を遂げてきた訳です。
─家庭医とよばれていたものが、なぜかかりつけ医とよばれるようになったのですか。
多田 1985年に設置された「家庭医に関する懇談会」の影響があります。これは1983年当時の厚生省保険局長、吉村仁氏が発表した「医療費亡国論」に基づいて招集され、当時の日本医師会と激しく対立しました。以降、家庭医という用語自体が禁句となり、1992年に就任した村瀬敏郎日本医師会会長が「かかりつけ医」という用語を使用するように提唱し、それが定着していったのです。
─本来の家庭医とはどのようなものなのでしょうか。
多田 世界家庭医機構(WONCA)ヨーロッパの定義ですが、例えば「全ての健康問題においてファーストコンタクトとなること、人間中心のアプローチや患者の自己効力を引き出すこと」とされており、家庭医自身の人格や高い教養に強みがあることが伺えます。また「他の専門医にない“ユニークな診療プロセス”を持ち、健康問題を身体的、心理的、社会的、文化的、そして実存的次元で扱う」とありますので、特別な訓練が必要となります。
─家庭医もひとつの専門領域なのですね。海外での家庭医制度はどのような状況ですか。
多田 医療制度の根本が異なっているので単純な比較はできませんが、イギリスでは税方式かつ国営の医療システムのもと、ファーストコンタクトはGP(General Practitioner)という家庭医に限られています。GPは1948年に制度化されており、長い歴史があるのですよ。ドイツでは1924年に専門医制度が確立し、家庭医と一般医は明確に区分されています。フリーアクセスは保障されていますが、家庭医中心診療が一般化し、ファーストコンタクトは家庭医です。フランスでは家庭医の登録が法律で義務付けられていますが、家庭医への受診は義務ではなく、フリーアクセスも法律で保障されています。ただし、専門医へ直接受診すると自己負担額は増えます。
─どの国でも紆余曲折を経て、いまの医療制度ができているのですね。
多田 社会心理学の古典であるギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』に「制度は結果であって、原因ではない」という一節があるように、各国の諸制度は民族性や国民性を強く反映したものであり、政治的妥協を含めた歴史の結果です。医療制度もその例外ではなく、微調整を繰り返しつつ、政治問題化しながら、少しずつ現在の状態に落ち着いたと考えて良いです。
─日本では専門医に直接かかれるから医療費が高騰しているという指摘がありますが。
多田 いいえ、日本は専門医にかかることができますが、諸外国と比べ医療費は決して高くはありません。GDP比の医療費を比較すると、アメリカとイタリアを除いた各国は10~12%程度に収まっており、かかりつけ医が制度化されていない我が国の医療費が特段多い訳ではありません(図1)。また、2010年比の医療費増加率や1人当たりの医療費においては、日本は最も高齢化率が高い状況ながら緩やかな増加に留まっています(図2)。
─かかりつけ医制度導入の議論には問題がありそうですね。
多田 欧州各国では一般医が20~50%を占めており、概ね医師の半数が一般医でなければ欧米型かかりつけ医の制度化は困難ですが、日本では総合診療専門医が「19番目の専門医」として2015年に位置づけられたばかりです。最大の問題は、制度改革の目指すところが異なることで議論が混乱していることです。患者が直接専門医にかからないようにするゲートキーパー(門番)としてかかりつけ医の制度化を持ちだしていますが、財務省は医療費抑制を期待しているのに対し、病院経営者や勤務医は働き方改革や経営強化を期待しています。そもそも今回のかかりつけ医の制度化で引き合いに出されているイギリスは、前述のように税方式かつ国営の医療システムでGPの歴史も長いですから、イギリス方式で3つの円の共通部分へ一気に持ち込もうとするのはあまりにも非現実的です(図3)。
─改革することが良いこととは限らないのですね。
多田 政治思想家のエドマンド・バークは「祖先を顧みようとしない人々は、子孫のことも考えまい」と述べています。歴史的経緯を無視した性急な制度改革は多くの方を苦しめますので、少しずつ制度の不具合を調整していく方が望ましいと思います。