12月号
神戸で始まって 神戸で終る ㉝
3年ぶりに神戸に行った。コロナ禍で世間が委縮してしまったことが僕の行動を阻めたことに間違いはない。老齢と共に体力の低下も伴って、コロナを理由に全く外出しなくなってしまった。また、そんなあり余った時間を利用して絵を描く時間がうんと増えた。ここ1年だけで、100点(100号と150号)近い作品が描けた。50〜60代の最も精力的な時期でさえ40点は描けなかったことを思えば、86歳の現在、100点は我ながら感心している。コロナの野性的なエネルギーが乗り移ったのかな?
今回、急に神戸に行きたくなったのは、目下開催中の『横尾さんのパレット』展を観た人からの評判があんまりいいので、作家の僕が見てません、知りませんじゃお話にならないので、これを機に重い腰を上げたというわけである。3年ぶりの新幹線の車内からは、富士山の登頂部と裾野だけが見えて、中間部分は霞か雲かに覆われていたが、やっぱり富士山はいいなぁと、子どものようにはしゃいで、久しぶりの旅の醍醐味にしばし陶酔したものだった。
3年ぶりで訪れる美術館は1階の係の人やミュージアムショップの顔見知りの人達の姿も変わっていて、一瞬戸惑いを覚えたが、蓑館長、以下学芸員スタッフが暖かく迎えてくれたのは3年ぶりの感動であった。何はともあれ、その話題の評判の『横尾さんのパレット』展を観なければならない。まるで、期待していた他人の展覧会を観に来たような不思議な感動を覚えながら、館長や学芸員の案内で会場に足を踏み入れた。3年ぶりの肉体的感触が急に蘇ってくる思いだった。
この本展のキュレイションは平林恵さんによるもので、僕の作品をいくつかの色彩で分類して、作品の主題や様式というごく一般的な分類の仕方ではなく、色彩を主流に、例えば、赤、青、黄、緑、白、黒という具合に6色の壁の色の表面に、それに該当する色の作品を展示し、壁の色の中に溶け込むように展示された作品。それによって、作品を主題や様式から「解放」させて、鑑賞者にいやが上にも「色」を認識させるという、かつて、どの展覧会でも試みなかった、ごく単純な方法で、作家も意図しない次元に作品と鑑賞者を結びつけるという、誰もが気づかない、ごく当たり前の、子どもでもわかるような方法で、しかも中々気づかない方法で、誰も気づかなかったやり方の展覧会を提示した。
この展覧会は作家の作品展である以上に、平林という「遊び」に長けた学芸員の、誰もが考え、誰もが気づきながら、誰もが試みなかった展覧会に仕上げてしまった。本展の「パレット」という命名は、平林が横尾忠則現代美術館に赴任する以前に、金沢21世紀美術館で、僕の個展をキュレイションした時に展示した、使い古した沢山のパレットを壁面に展示したその時の経験から発想された、今回の「パレット」展であったと思う。そんなパレットの中に残された色を眺めているうちに、この複数の色によって描かれた作品を分類すれば、どのような展覧会ができるだろうか、と想像した結果、実現した今回の「パレット」展であったと思う。学芸員にとってのキュレイションは、作家とは別のクリエイションで、そういう意味では美術展は両者のコラボレーションと考えるべきかもしれない。
頭をひねって考えるだけ考えた結果のキュレイションは、それはそれで、なかなかの論理的な展覧会になるが、大衆は論理よりも感覚を優先する。学芸員の観念がそのまま展覧会の構成になっている展覧会は近年の傾向ではあるが、今回の平林のように、かつて体験した「パレット」を観念ではなく肉体という感覚によって直感した「パレット」展が、大衆の人気を呼ぶのも、そうした彼女の子どもでも感じそうな発想をそのまま、大真面目に美術館の広い空間に、展開させたということは、ある意味で学芸員に対する批評になっている気もする。従って大衆はそのキュレイションの本心に共鳴共感したのではないかと僕は思う。
実際この展覧会にショックを受けたのは、他の館の学芸員だったのではないだろうか。本展をまだ12月25日まで開催しているので、地元・神戸の方々にもぜひ鑑賞していただいて、このプリミティブな発想の「パレット」展で、精神の遊びを堪能していただければ嬉しいと思う。
本展を見て作家の僕が気づいたことは、僕自身が如何に色に無頓着であったかということである。普段、絵を描くときは、そんなに色のことを考えない。目の前にある絵の具のチューブに無意識に手が伸びて、そこにあった色を使うという、ある意味でチャンスオペレーション(偶然の行為)によって気がついたら絵が描きあがっていたというわけだ。いちいち6色の色に分類して描いたわけではない。意図的に色を意識して描いたのは、赤のシリーズの作品と「Y字路」画面を真っ黒にしてしまったこの二種類の作品ぐらいである。黒い「Y字路」は如何に見えないものを見えるように描くかという、画家の一般的な論理に対して、「如何に見えるものを見えないようにする」実験として描いた作品群である。
とにかく、一度足を運んでいただいて、学芸員の発想と作家の発想の差異を確認して遊び心で鑑賞していただければ楽しいのではないかと思う。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。令和2年度 東京都名誉都民顕彰ほか受賞・受章多数。3月に小説「原郷の森」(文藝春秋社)が刊行された。横尾忠則現代美術館にて開館10周年記念展「横尾さんのパレット」を開催中。
http://www.tadanoriyokoo.com