10月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から77 みちくさKOBE
「良かった。お元気だったんだ」と思った。新聞の読書欄で知った本の著者名が懐かしい人だったので。
潮崎孝代さん。この人、実は20年ほど昔に宮崎修二朗翁に伴われて「喫茶・輪」にご来店下さったことがある。翁は彼女のことを「いい文章を書く人です」と紹介してくださった。しかし、その後彼女とは年賀状を交わした時期もあったが、いつしかそれも途絶え、会うことはなかった。ところがこの春、神戸新聞に彼女の新刊本が紹介されて入手したというわけだ。
『みちくさKOBE』(シーズ・プランニング・2200円)、サブタイトルを「ぶらり歩いてみませんか?」という。神戸の魅力的な案内書にもなっている。それもそのはず彼女は、1979年、さんちかタウンにあったインフォメーションこうべの窓口業務をスタートに、三宮駅前の案内所、「神戸総合インフォメーションセンター」で長年案内業務に携わってきたのだ。現在はセンター長。いわば、神戸案内のオーソリティーである。
神戸の文化と歴史そして人を、昔に照らし、今に繫げて知るのに、これほど適した本をわたしは知らない。でもしかし、単なる案内書ではない。味わい深いエッセイ集といっていいであろう。
楽しく、時には涙ながらに読めるのだから。
花時計やポートタワー、異人館など、有名スポットはもちろんのこと、世にあまり知られていない、貴重な神戸の歴史遺産についての数多がやさしく柔らかな筆致で紹介されている。しかも、すべてと言っていいほど、彼女が自分の足で確かめた上で書かれているのだ。神戸に長く住む人でも、「こんな所があったのか!」と驚くような場所も生きたエピソードを交えて紹介されている。
わたしはこの本を一気にではなく、毎日数ページずつ大切に読んだ。そんな中の、ちょっと個人的に心に響くページがあった。
中学生の時に『シャーロックホームズ』をよく借りて読んだとある。わたしも同じだ。小学生の時は江戸川乱歩を、そのころ村上春樹さんも利用していたという西宮図書館で借りて読んだが、中学になってからは学校図書室で『シャーロックホームズ』を次々に借りて読んだのだった。
潮崎さんはわたしより一回りほど若いが、読書傾向に似たところがある。このページにはほかにもわたしに馴染みのある作家名がある。
大江健三郎、開高健、高橋和巳、庄野英二、庄野順三ほか。しかも庄野順三については、今丁度読んでいるところだ。
この本、実は彼女が神戸消防局の機関誌『雪』に13年間135回にわたって書き綴ったものをまとめたもの。
『雪』は惜しくも2021年3月に、その使命を終えて終刊となったのだが、初期からずっと、わたしの文章の師、宮崎翁が深く関わっておられた雑誌であり、わたしも定期購読していた時期がある。
ということで、「追悼、宮崎修二朗さん」というページもあり、翁が亡くなったことを新聞の訃報記事で知った」と記されている。
因みに、その訃報記事は、わたしの知らせによって掲載されたものであり、後日、追悼記事を文化欄に書かせていただいたのだった。
そのページから略しながら引用させていただく。
《4月1日、宮崎修二朗さんが、芦屋市内の病院で亡くなられた、ということを「神戸新聞」の訃報記事で知りました。98歳でした。私が初めて修二朗さんにお会いしたのは、今から40年近く前のことです。》と始まる。
そうか、40年ほど前か。ならわたしとほぼ同じだ。
《修二朗さんは、当時まだ65歳ぐらいでしたが、“いたずらっ子”といった感じのくりくり動く大きな目にハンチング帽、独特の長崎訛りの語り口で、私には、芸術家のような雰囲気の人という印象でした。(略)修二朗さんは、仲の良かった松田さんと、「願わくは花の下にて春死なむ…」(西行法師)のように春に死にたいね、と言われていました。その通りに、芦屋川の桜がはらはらと散っていった春の日に、誰にも見送られることなく、神戸大学医学部に献体され、この世からあちらの世界に身を移されたのでした。お・し・ま・いーと言って。
(2020年5月)》
潮崎さんの文章を久しぶりに読んだが、離れていた距離がまた近くなった気がする。
やはり、潮崎さんとわたしは兄妹弟子だ。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。