5月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 芸術家女星編 第28回
剪画・文
とみさわかよの
声楽家
井上 和世さん
本格フランス歌曲に取り組み、神戸フォーレ協会を率いる、声楽家の井上和世さん。パリ国立音楽院を一等(首席)で卒業した実力者でありながら、いつも控えめで温厚なお人柄は、音楽家にも教え子にも慕われています。ご自身の声質を「アルト」とおっしゃる井上さんは、その温かくふくよかな声で聴衆を魅了してきました。「フランスで見聞きしてきた、子どもの育て方を、子育て中の人たちに伝えたいわ。フランスオペラも、もっと紹介したいわねえ」と意欲的な一方、ご実家のお寺を継がれ、これからはお寺のことにもっと力を注がなくてはと語る井上さんに、お話をうかがいました。
―女声の「ソプラノ」と「アルト」の違いは、何なのでしょうか。
一般的に高い声がソプラノで低い声がアルト、と思われがちですが、違いは音域ではなくて「声の色」なんです。アルトやメゾと称する人も、高音域の声が出ないわけではないの。でも、声の太さと言うか、幅と言うか、響きが違う。声の色がアルトで、低くて柔らかい声が自分の持ち味だと思っています。
―声楽の道に進まれたきっかけは、何だったのでしょう?
お寺育ちなので、ピアノも無い環境で大きくなりました。実は中学生の時、声楽の先生に憧れてね、その先生の指導を受けたくて、歌を習い始めたんです。声楽を情熱的に語る人でした。ピアノを始めたのは、なんと高校一年生から。受験曲だけ猛練習して、神戸女学院の音楽学部声楽科に進学しました。だから、スタートは遅いんですよ。卒業後パリへ留学して、6年くらい滞在しましたが、向こうでは仕事をすればそれなりにギャラが貰えました。日本ではギャラだけでやっていくのは、至難の業ですけど。
―ご実家は、再度山大龍寺ですよね。帰国後、お寺を継ぐことになったとか。
弟が亡くなって、お寺の跡取りが結局、長女の私にまわってくることになったんです。大龍寺は、千二百年以上の歴史のある真言宗のお寺で、国指定の重要文化財の木造菩薩立像もあります。お寺の仕事は、朝のお勤めから境内のお掃除、いろいろな行事、お参りの方のお接待、お寺同士のお付き合い…とても忙しいんですよ。お寺の手伝いをしながら、音楽の教員をして、ソロ活動もして、それはもう大変な毎日でした。お寺のお祭りの後なんか、ガラガラの声で教えて…教え子たちに申し訳なかったです。
―お寺という世界は、ちょっと想像がつきません。
お寺というのは聖域でもあり、また事業体でもある。お寺を継ぐ、守るということは、跡取りが居なければ養子縁組をする場合もあり、家族が血縁者でなくなることもあります。私も若い頃は、「お寺」が自分の人生にのしかかっている気がしましたけれど、お寺に助けてもらったから、活動して来れたんですよね。今は夫が住職で、跡取りも居ますし、お寺に恩返ししなくては、という思いが年々強くなって。お寺って、奥さんの力が大きいの。母は「困った時はあそこの奥さんと話すといい」と言われるくらい、参拝者に慕われていました。私はまだとても母には至らないけど、そう思ってもらえるよう、これからはもっとお寺のために時間を割きたいと考えているところです。
―ご両親は、跡取りである娘の、音楽活動を応援してくれていたのですね。
両親は大きな存在で、「和ちゃん、お寺は私らが守るから、あんたは歌いなさい」と言って、私の活動を支えてくれました。もともと母は、「これからの女の子は、手に技術が無いとあかん」という進んだ考えの人で、ずっと私の理解者でした。父はいつも私の舞台を、最前列で見て泣いていました。そんな父を見ると、私も泣いてしまうので、上を向いて歌って…。お寺の参拝者からすれば、私は自分の好きなことをやってる「ドラ娘」でしたけど、両親は喜んでくれていたと思います。
―そんなご両親に支えられて音楽の道を歩み、お寺も継がれました。声楽家として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?
声楽家は、悲しいけど体の衰えが出ます。声帯の運動能力は年齢とともに衰えるし、横隔膜の筋力も弱くなるし…。でも、ずっと歌ってきたことは、私の精神的な糧。志を持って始めたわけでもない私みたいな者が、たくさんの舞台に立って歌い続けて来れたのは、先輩や先生方のおかげです。いつも応援していただき、自分の力以上の事ができたと、本当に感謝しています。女性としても、もちろん幸せですよ。ノロケですけど、主人とは旅行に行くのもいつも二人一緒境内の野良猫たちの餌を買ってくれたり、和世はいつもかわいいねと言ってくれたり、とても優しい人です。公私とも、いろんな人に支えられてここまで来れたんですから、これからは私が人のために何かしてあげる番なんでしょうね。夢かなえても、まだまだ頑張ります。
(2012年3月8日取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。