6月号
音楽のあるまち♬20 表現の仕方は一つではない。 だから音楽はエンドレスで面白い
ジャズボーカリスト 楠元 なおこ さん
偶然目にした1枚の楽譜が、聴くだけだったジャズを本格的に始めようと決断させたという楠元なおこさん。プロボーカリストとして活動しながら、誰でも集える生の音楽スペースを提供しています。
―ジャズとの出会いは?
学生のころ、大人の雰囲気に憧れのような気持ちもあってライブハウスに行き「ジャズっていいなあ」と聴いていました。卒業後は自分の専門分野で公務員として仕事に就き、離職後、久しぶりに聴きに行ったライブで、偶然ジャズボーカリストがテーブルの上に置いたA4用紙1枚の譜面をチラッと見て、衝撃を受けました。
―どんな衝撃を?
これ1枚で演奏しているの?!子どものころ習っていたピアノは2段楽譜でその通り弾けばよかったけれど、メロディーとコードだけのたった1枚の楽譜でステージではソロを順番に回しながら10分も演奏するなんて…今まで聴いていたジャズはこれだったのか!バンド活動をやっていたわけでもなくずっと演奏から遠ざかっていた私は突然、「真剣に始めよう」と思い立ちました。
―それからジャズボーカルを習い始めたのですか。
プロボーカリストの方に真剣に習おうと相談したら、癖が移ってしまうので、ピアノの先生につくといい、と紹介して頂き、ピアニスト高橋俊男さんに師事しました。高橋さんには、リズムの大切さを教わりました。レッスンを受けている頃、たまたま綾戸智恵さんのライブに行き最前列で真剣に聞いていたら、「ジャズ歌ってるやろ?」と声をかけられ、その後親交が始まり、メジャーデビュー前の綾戸さんにも、レッスンを受けることとなり、歌詞の内容を伝える大切さを教わりました。心を解放すること、自由自在に歌を表現することの楽しさを教えてくれたのは、遊び友達でもある、先輩ボーカリストのミキ勝山さん。3人との出会いが、今の私にとって大きな糧となっています。仲間達とライブ活動をしたり、セッションに行ったり、毎週プロミュージシャンのライブを聞きに行き、かなりの熱量で取り組んだ修行時代でした。
―その後、プロとして活動を始めたのですか。
2002年ごろから、依頼を受けてギャラを頂ける仕事が増えてきました。それを聴いた楽器店の方から講師のお話を頂き、教えることで自分の勉強になるだろうと引き受け、楽器店で教え始めました。その頃、仕事で出会ったピアニストの夫(飯田一樹)も、音楽をもっと深めていく上で大きな存在になってくれましたね(笑)。今はプロとして歌いながら、鈴蘭台の「ハンキーパンキー食堂」2階のナナイロミュージックスタジオで夫はピアノ、私は歌を教えています。ジャズボーカルを習いたい方はもちろん、引っ込み思案を何とかしたいと親御さんに連れられて来た幼稚園児、JPOPを歌いたいという高校生、4歳から83歳まで年齢も目的もいろいろ。私自身が子どものころ、先生が怖くて「早くやめたい」とばかり思って、その後すっかり音楽から離れてしまったという苦い経験があるので、音楽は楽しいものだと知ってもらうのが一番だと思っています。
―ハンキーパンキー食堂とは?
若い人もお年寄りも、障がい者も健常者も、誰もが一人ででも気軽に立ち寄れる場所を作りたいと始めたのがハンキーパンキー食堂です。夜はライブスペースとして毎月、プロミュージシャンを招いてステージを開催するほかは、誰でもどんな楽器演奏でも使ってもらえる場所を開催したり、様々な目的で集える場として提供しています。
―ジャズが楠元さんの人生を大きく変えたのですね。
自由に憧れながら、本質的に四角四面で固いところがある、そんな私の心をジャズが解放してくれて少しは破天荒になれたかな(笑)。
―今後については?
ボーカリストとして技術を磨くことはもちろん、自分で自分の表現を追求することに終わりはありません。共演する様々なミュージシャンから、影響を受け続けたいですね。別の日には解釈を変えてみたり、リズムや、テンポ、いろいろな要素で音楽は変わってきます。言葉でも「アホか!」「アホやなあ…」「アホや~」で違うように、英語でも違いが伝わるよう歌いたい。表現の仕方は一つではない、一緒に演奏するミュージシャンと、毎回新しく織物を紡いでいるような感覚で、ライブを続けていきたいです。音楽はエンドレス、だから面白いのでしょうね。これからも生で伝えられるライブを大切にしながら、皆さんにもその場を提供し続けたいと思っています。