10月号
地域と共に考えたい 未来のまち 夢のわが家
神鋼不動産株式会社
代表取締役社長
公文 康進さん
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美術家
多摩美術大学客員教授
田窪 恭治さん
不動産と空間美術という全く違う世界で活躍するお二人。〝ものをつくる〟ということに対する考え方で相通じるものがあるのだろうか。
衝撃的な出会い
公文 神戸製鋼時代に四国金毘羅山を訪ねました。書院の奥で大きな襖に椿の絵を描いておられたのが田窪先生でした。3メートルはある釣竿の先に筆を付け、遠くから全景を見ながら描いている。これが衝撃的な出会いでした。ただし、この印象は私にとってのことで、先生にとっては、「誰か見に来てるな」程度だったと思います(笑)。翌日、先生の作品がある資生堂パーラー「神椿」で偶然お会いし、食事をご一緒させていただきました。壁一面が先生の椿の作品で、夜になると反対側のガラスに映るのです。とても神秘的で、すっかり魅了されてしまいました。
田窪 2007年に神椿が竣工した翌年だったと思いますね。初対面にもかかわらず、会話がすごく楽しかったというイメージが今でも残っています。それ以来、色々と交流させていただいています。
公文 家族で美術展の作品を見に行かせていただいたり、食事をご一緒したりと、楽しいお付き合いをさせてもらっています。
子どもたちの笑顔をぜひ神戸に!
公文 数年前から、近隣の小学校の子どもたちを対象として「未来のまち 夢のわが家」をテーマとした絵画コンテストを開催しています。昨年の表彰式の時、保護者の方からの「誰が審査してくれたのですか?」という質問に、「私が審査委員長です」と答えると「そうですか…」と、落胆というか(笑)、何とも言えない表情。「これではいかん」と今年は田窪先生にお願いすることにしました。
田窪 「審査員になってくれないか」と言われた時には冗談かと思いました(笑)。
公文 田窪先生とは、審査員をお願いする以外にも一緒に何かをできないかと常々考えていました。そんな折、先生が今年1月NHKの番組「ようこそ先輩 課外授業」に出演されたことを聞き、拝見しました。内容は田窪先生が郷里の愛媛県宇和島の小学校で自分たちの手で夢の小学校をつくるというプロジェクトでした。宇和島の子どもたちの笑顔が実に素晴らしいものでした。今後の成長にきっとプラスになると思える笑顔、少なくとも、私たちおじさんには決して作れない笑顔ですね(笑)。
偶然にも先ほどの子ども絵画コンテストのお願いに、近隣のなぎさ小学校をお訪ねした際に、校長先生から「何か、子どもたちの思い出に残る活動をしたいと考えています」とお聞きしました。そこで田窪先生のプロジェクトのお話をして、「ぜひ、あの笑顔をHAT神戸のなぎさ小学校にも!」との我々の思いを伝え、「なぎさ小学校の子どもたちと田窪先生のワークショップ」が実現することになりました。
長い、長いスパンで形にしていこう!
田窪 私もお引き受けする以上は、単に絵画コンテストというものではなく、長年追求してきた風景や環境の中で、どういう表現ができるかというテーマの延長上にあるものにしたいと思いました。「ようこそ先輩 課外授業」では古い校舎が建て替え時期になっていましたので、思い切って子どもたち自身でデザインしてもらうことにしました。初めは「無理だ」などと言っていた子どもたちがどんどん盛り上がってくるんですね。
ちょうどその頃、初めて神戸に来てHAT神戸を見ました。まちびらき15周年という区切りの年であることから、「子どもたちと一緒に街づくりをしよう!」と話がまとまりました。
公文 結果として、「未来のなぎさ小学校をデザインしよう」をテーマに9月に全体レクチャーを実施し、11月にワークショップを開催することになりました。一番楽しみなことは、子どもたちの自由な発想でどんなデザインが出来上がるかです。出来あがった作品は、12月に兵庫県立美術館をお借りして、絵画コンテスト応募作品と共に展示する予定です。
田窪 公文社長は豊かな発想力と将来へのビジョンをしっかりもっておられるから、このような未来を担う子どもたちとの取り組みができるのだと思います。小さな試みですが、アイデアや絵だけが残るのではなく、長い、長いスパンで継続していき、HAT神戸が住みたい街、ふるさととしての街になっていくことに期待しています。
全ては人と人の出会いから始まる
田窪 私がフランスのサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂の再生に関わったのには村長や村人達との出会いがありました。琴平山再生計画には金刀比羅宮の琴陵容世宮司との出会いがありました。今回は公文社長を始め神鋼不動産スタッフの皆さん、なぎさ小学校の山本校長先生、図工の三原先生との出会いがあり、企業と子どもが一緒になってものをつくっていくという、あまり例を見ないことが始まろうとしています。
公文 個人的に私は、田窪先生の作品は上品さの中に、創造性と遊び心を感じています。それは私が思い描く「高級感より高品質を感じてもらいたい」というマンションづくりのイメージに通じるものがあります。マンションで最初に入る場所はエントランスです。そこで当社の新築分譲マンション「ジークレフ御影パークグレイス(2014年5月竣工予定)」では田窪先生の絵画をエントランスに配して人々を温かくお迎えする計画です。また今後は建物の共用部のデザイン等、計画段階からご一緒いただき、力をお借りしながらより居心地の良い空間づくりに取り組むことも考えています。
田窪 私はそんな大した者じゃありません(笑)。マンションでも一戸建ての家でも、特定の風景の中でそれぞれの形があります。神戸ならどうなのか?人や風景が歴史と絡みながら、私なりの表現で空間とどう関わっていけるかを考え始めているところです。
企業のCSRは新しいものを生み出すこと
田窪 昨年、東日本大震災の被災地・陸前高田市の松月寺で6曲1双の屏風を製作しました。
公文 東北へ行って感じるのは被災者の心が深く傷ついたままだということです。HAT神戸は震災後3年2カ月でまちびらきに至りました。ところが3・11から2年半が過ぎようとしているにもかかわらず、まだ多くの街が手つかずのままです。12月には、県立美術館で陸前高田市の子どもたちの絵も展示する予定です。今回は展示だけですが、いつか交流という形になっていくことを願っています。
田窪 東日本大震災では津波や原発のほかにも、都市と地方の違いなど地域的な問題もあるのでしょうね。
そんな環境の中でも子どもたちは成長していきます。そこで、「松月寺寺子屋プロジェクト」を立ち上げ、老若男女が集い、未来をつくる空間を提供しようと考えています。屏風絵もその一つです。神戸も東北も未来の街をつくる主役は子どもたちです。私は教育のプロではありませんが、つくることはプロです。神鋼不動産のマンション建設現場も見せていただきましたが、やはり、つくることでは共通しています。私たちは共にものづくりの大切さを伝えることはできるのではないでしょうか。まず神戸のなぎさ小学校で投げかけてみようと思っています。
企業のCSRとは単に与えるものではなく、提供したものから何か新しいものが生まれてくるものだと思います。先に震災を経験した神戸が、未来に夢のある街づくりをしていくことが東北に元気を与える方法の一つではないでしょうか。
公文 企業は地元に根を下し、地域と一緒になって活動することがベースですから、神戸・阪神間で何かをするのは当然のことだと思っています。企業が得た利益をいろいろな形で地域に還元して、共に幸せになり成長していく。これが企業の基本だと思います。これからも神鋼不動産は、不動産開発から管理・サービス等のノンアセットビジネスまで質の高い商品・サービスの提供を通じて、それぞれの事業が成長すると共に、CSR活動にも積極的に取り組むことで、企業価値の向上を目指していきたいと考えています。
インタビュー 本誌・森岡一孝
田窪 恭治(たくぼ きょうじ)
1949年、愛媛県今治市生まれ。1972年多摩美術大学絵画科油画卒業。フランス、ノルマンディー地方、サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂の再生プロジェクトに着手。礼拝堂の完成で「村野藤吾賞」を受賞し、2000年フランス共和国政府より芸術文化勲章(オフィシエ)を受賞。香川県琴平町に住み、2011年まで金刀比羅宮文化顧問として「琴平山再生計画」に着手。2012年より、陸前高田の松月寺『寺子屋』プロジェクトにて、六曲一双の屏風製作
公文 康進(くもん やすのぶ)
1953年、兵庫県神戸市生まれ。1975年慶応義塾大学卒、同年神戸製鋼所入社。主に鉄鋼営業部門を歩み2007年同社常務執行役員を経て2010年神鋼建材工業社長。2012年6月より神鋼不動産社長に就任、現在に至る。人との出会い、繋がりを大切にし、仕事関係だけでなく、今回の田窪氏のように趣味の芸術鑑賞、スポーツ観戦、ゴルフ、園芸等を通じた幅広い交友関係を持つ