10月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 神戸の芸術・文化人編 第45回
剪画・文
とみさわかよの
日本舞踊協会・兵庫県舞踊文化協会
花柳 五三輔(いさすけ)さん
花柳五三朗師のもとで鍛えられた踊り。古典を踏まえながらも、これまでになかった方法の演出。華やかさを競う日舞の世界にあって、神戸生まれ・神戸育ちの舞踊家、花柳五三輔さんは、どこかクールな独特の空気を纏っておられます。「僕は演出、振り付けの方が性におうてる気がします」とおっしゃるだけあって、新しい発想の演出や振付には定評があります。「でも指導するからには、自分が踊れないとね」という花柳さんに、お話をうかがいました。
―日舞を始められたのは、何かきっかけが?
母の実家が湊川神社の西門あたりで、福原も近く芸者衆が行き来する環境で、祖母も母も芸事が大好きでした。子どもに何か芸事をさせたくて、祖母が弟を師匠(花柳五三朗)のところへ連れて行ったんですが、何せ弟はやんちゃで、ついて行った僕が習う羽目になってしまったんです。6歳になってなかったし、特に踊りが好きで始めたわけではありませんでした。祖母と母は祖父に内緒で習わせたんですが、神戸駅前の八千代座での初舞台「藤娘」の写真を見た祖父は「男の子なのにこんなことができるのか!好きならやったらいい」と言って、その後ずっと援助してくれました。
―踊りを仕事とされるようになったのは?
僕が高校3年生の時、祖父の会社が倒産して自立せざるを得なくなって。師匠が「うちに来い、助けてやるから教えなさい」と言ってくれまして、内弟子になりました。既に名取りでしたから、師匠の手伝いをしたり教室で教えたり、母の世話で婦人会館で教え始めたのもこの頃です。踊りを続けたのは、趣味ではなく仕事になったからです。趣味だったら、続けなかったでしょうね。ただ踊りが好きで好きで…というだけでは、仕事になりません。よく弟子にも「好きなのはいいけど、惚れたらあかん」というんですよ。仕事にするなら客観的に踊りをとらえることが必要だと思うのです。
―お母様も舞踊をなさっていますね。
母は黒石紫月といって民舞の指導者で、「紫月会」を主宰しています。最初は婦人会の体育指導員として、フォークダンスや各地の郷土舞踊を教えていたんですが、サークル活動の輪踊り的な踊りをステージで観客に観せるものへと変えていき、国際会館で公演を始めました。僕が母の公演のために振り付けをするようになり、現在に至っています。始めたのは45年程も前でまだそういった民舞形式は無く、時代を先取りした舞台演出と評判になり、人気の公演となりました。
―演出や振付のお仕事をたくさんなさって、指導者としてもご多忙ですが、教え方について思われることは?
「自身の踊りは下手でも教えるのは上手い」と言う方もおられますが、そんなはずないんです。理論ばかりで体が動かない人が、他人に教えられるわけがない。理屈がわかったら上手くなった気になりますが、それは違う。僕も頭で処理しようとして、師匠に叱られたことがあります。でもこれからの時代は、ある程度合理的に習得することも必要になるでしょうね。現代は情報が多いから知識はどんどん増えるけど、今度はそれを処理するのが大変。効率よく練習しないと、時間がいくらあっても足りませんよ。昔はお稽古の振りを書き留めることさえ許されませんでしたが、今は携帯電話で動画撮影が簡単にできる。文明の利器に頼り過ぎてはいけないけど、もうタブーだとは言っていられないでしょう。僕はビデオを見て振りだけ覚えてきた生徒には、画面では見えない内面的な身体の動かし方、心の表現を教えるようにしています。
―今の時代のあった練習方法を採ってもかまわない、と。
僕は若い子には、前の時代の舞踊家を越えるためには、踊りの知識を調べるより基礎の反復練磨をしろ、と言っています。何でもインターネットで簡単に調べがつくんですから、昔の舞踊家が調べものに費やしていた時間を、体の鍛錬にあてなさい、と。多様化した時代は、先程言ったように動画などを利用して、合理的に覚えればいい。昔の指導者は「芸は盗むもの」と言っていましたが、それは見えないところで努力しなさいということです。僕は知識に関しては知っていることを教えますが、踊り方はまず本人が考えて自分なりに努力してから指導します。
―踊りと指導をずっと続けてこられて、変化を感じることはありますか?
僕も60歳前くらいから、年齢を感じ始めました。プロですから筋力を維持する努力はしていますが、頭は変わらなくても体が衰えてくるのは否めません。だから今は無理や無謀なことはしない。指導法も最近はその人に任せると言うか、押し付けなくなったかな。昔は正しいことはひとつと考えていましたが、今は「正しい」は幾通りかあると思うようになりました。舞踊家にとって頭脳・技術・体力、いわゆる心・技・体が合致する時期はそう長くはないんです。特に体力の維持は大変です。それを補うために基礎を大事にするわけですが、若い人たちにはその時を見越して、徹底して基礎技術の鍛錬を怠らないようにと言っています。
―これからの日舞と、ご自身の抱負は。
僕はもともと舞台に立つことに情熱を燃やすタイプではないし、団体の中での役職に固執するつもりもありません。でも醒めているわけじゃないですよ、それより作品創りに工夫を凝らしたい。古典をまともにやったらカツラや衣裳、舞台装置に費用が掛かります。演出やアイデアでもっと負担を軽くして、皆が参加しやすくできないか…と。小さなホールで構いませんから、そこへ行けば毎週何曜日には必ず日舞公演を鑑賞できる、というくらい身近になれば理想ですね。「日舞かくあるべし」などと言うつもりはありませんが、我々舞踊家は日本舞踊を後世につないでいくための努力を怠ってはならないと思います。
(2013年8月2日取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。