3月号
新連載 浮世絵にみる兵庫ゆかりの伝説
中右 瑛
姫路城の刑部姫(おさかべひめ)伝説
剣豪の名を欲しいままにした宮本武蔵の武勇伝は全国巷に数多く残っている。
姫路白鷺城に伝わる古狐退治は、武者修行中の若き武蔵のエピソードである。真偽はともかく、理屈ぬきにおもしろく、ドラマチックである。
今から三八〇年ほどの昔、白鷺の天守閣に、夜な夜な妖怪が現れるという奇っ怪な噂がたち始めた。
「身のたけ六尺、口は耳まで裂けて、火炎を吐く…」
「いや、白肌の美女が現われ、殿方を誘惑する…」
「それもこれも古狐のしわざだ!」
夜番をつかさどる侍詰所では、そんな話でもちきり。それ以来、当番の侍どもは戦々恐々、夜番を辞退する者が増えはじめたのである。
そんな噂の中で、みずから夜番をかってでた勇敢な若侍がいた。名を又三郎という。新参の又三郎は、仕事は良くやるが一徹で頑固、朋輩衆の間では変り者でとおっており、それに、眼光鋭く無精ひげの相貌、前歴不詳、ともすれば皆に怪しまれていた人物なのである。
その又三郎が、「天守閣に登って妖怪の正体を探る」というのである。
一同、ただあきれかえるだけだった。
夜が更けると、又三郎はただ一人、恐れもなく天守閣へ。閣内はまっ暗やみ、又三郎は龕灯(がんどう)で足元を照らしながら登ってゆく。三層階に登り着いた時だった。突如、閃光が鋭く走り、轟音とともに怪しい白雲が現われ、真っ赤な火炎が又三郎を襲った。
「さてこそ妖怪めが!」
とっさに又三郎は刀を振り上げ斬りかかろうとすると、たちまちにして、火炎も失せ、怪しい影は最上階へと逃げ失す。又三郎は後を追う。
天守閣の最上階は、“不開(あかず)の間”。城の守護神・刑部(おさかべ)明神が祀られていて、今まで誰も登った者はいない。その暗やみを龕灯の光が追う。照らし出されたのはナント! 十二単(ひとえ)をまとった美しい刑部姫。妖しい微笑を浮かべ、又三郎を差し招いた。
さしもの又三郎も、姫の美しさに心を奪われ、ついには誘惑に負け、はからずも姫を抱いた。しかし、姫の白肌は氷のように凍(つめた)い。そればかりか、肌には怪しい白狐の入れ墨。その入れ墨の白狐の眼が一瞬、光った。
「怪しき狐め!」
又三郎の鋭い眼光に恐れをなした白狐は、姫の肌から抜け出し、いずことなく逃げ去った。姫に古狐がのりうつっていたのだ。正気に戻った姫は、
「われは刑部姫なるぞ。汝がわが肌に触れしゆえ、われは助かったのじゃ。古狐を退治せし功により、汝に宝剣を与えん!」
姫は又三郎に刀剣を手渡すと、不思議や不思議、消え失せてしまった。姫は刑部明神の霊だったのだ。又三郎は、次々に起こる不可解な現象に、ただただ驚き入るのみだった。
しかし、この妖怪退治は大団円とはいかない。これには続きがある。古狐を退治した又三郎であったが、この後、思わぬ窮地に追い込まれるのだ。
(つづく)
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。