8月号
草葉達也の神戸物語
ゲスト: ネルソン松原さん
(サッカー指導者)
神戸の異人館街の外れに、日本から旅立ったブラジル移民の方たちが日本での最後の夜を過ごした旧神戸移民センター(現・海外移住と文化の交流センター)があります。ネルソン松原さんは、その中にある「関西ブラジル人コミュニティ」の一員として、日系ブラジル人たちのサポートをしていらっしゃいます。
草葉 松原さんはブラジル生まれですね?
松原 そうロンドリーナというところで生まれて、二歳からサンパウロだから故郷はサンパウロですね。
草葉 サッカーを始められたのは?
松原 何歳かはわからないけど、まぁみんな子どもの時からボール蹴ってるね。
草葉 そういう国ですからね。じゃプロには?
松原 サンパウロFCというところがあって、そこはアマチュアとプロのカテゴリーに分かれているのだけど、アマチュアのトップで成績が良かった何人かは毎年プロに呼ばれるようになっていて、私も選ばれたのだけど、大学に入学する時期だったのでプロには行かなかった。
草葉 そうですか。ブラジルでプロになるということは凄いことですよ?
松原 凄いことです。
草葉 日本からブラジルへは、どなたが移住されたのですか?
松原 父のお父さん、おじいちゃんね。母の方もそう。父が十歳の時、母は五歳ぐらい。
草葉 この旧移民センターから、松原さんのお父さんとお母さんは別々にブラジルに行ったわけですね?
松原 そうですね。昔は、このセンターに来ないと船に乗れなかったからね。
草葉 そこに今現在、松原さんは日系ブラジル人のサポートとしているわけじゃないですか、どんなお気持ちですか?
松原 なんか不思議な縁ですね。
草葉 ここからご両親が旅立って行ったことは知っていたのですか?
松原 それが最近知りました(笑)
草葉 へー、それは本当に運命ですよね。そんなことがあるんだ。最初は北海道に来られたと聞きましたが。
松原 札幌に留学生として来ました。それから一度ブラジルに戻って、スポーツ関係の仕事をして結婚して家族ができたところに、今度はサッカーのコーチとして札幌から呼ばれました。
草葉 そのあと神戸ですね。
松原 その次は岡山の水島です。川崎製鉄です。
草葉 あっ、それが後のヴィッセル神戸ですね?
松原 そう、川鉄水島が神戸でJリーグを目指すために立ち上げたのがヴィッセル。
草葉 確か阪神淡路大震災の日が、ヴィッセル神戸の立ち上げの日でしたね?
松原 私はヴィッセルのジュニアユースのコーチとして、契約するために神戸に行く予定の日でしたが、結局神戸に引っ越したのは震災から三ヶ月後でした。生活もですが練習場所を探すのが大変でしたね。景色もずっと一緒。ガレキとトラックと空地。
草葉 そんな神戸からスタートして、今の神戸は?
松原 復興して綺麗になって、本当に住みやすいね。
草葉 二十年住んで神戸好きになりましたか?
松原 神戸好きになったね。大阪みたいにごちゃごちゃしていないのと、海と山が近いのと、西から東の電車が便利!(笑)
陽気で真面目な日系ブラジル人のネルソン松原さん。サッカーの教え子も多く、誰からも愛される、まさにサッカーの伝道師ですね。
ネルソン松原(ねるそん まつばら )
1951年生まれ 神戸市長田区在住。1992年から川崎製鉄(JFL)ヘッドコーチ、 1995年からヴィッセル神戸ユースコーチ・監督を歴任した。現在もサッカー指導を神戸市内で続けている。
くさば たつや
神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員、日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員、大阪大学文学部研究科
阪南大学国際コミュニケーション学部非常勤講師
ひょうご老舗会実行委員長