8月号
触媒のうた 42
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字・六車明峰
宮崎翁のお話。
「芥川賞をお受けになった時のことを後にお聞きしました。当時尼崎に住んでおられたんですが、市長が表彰してくれたというんです。記念品に市長直筆の色紙がありましてね、「努力」と書いてあったと。努力の人、田辺さんに対してね、子どもじゃあるまいし。行政というものが、うっかり文化に手を出すと、そういう恥ずかしいことになるんですね」
この時のこと田辺さん、『しんこ細工の猿や雉』(文芸春秋・昭和59年)に書いておられる。
芥川賞受賞が決まって、お巡りさんがやって来るほどのてんやわんやの翌日、
《家にはまだインタビューや写真をとる人がいっぱい来た。尼崎市長が賞状と自筆の色紙、それにオルゴール付きの箱を持って来て「尼崎市の文化発展に寄与して下さい」といった。》
ここではさすがに色紙の文字が「努力」だったとは書かれていない。田辺さんの温情でしょう。
話を転じる。
「とにかくぼくはね、田辺さんには、二度と体験できないような所へお連れしました。すでに芥川賞を受けておられましたが、やがてはもっともっとお忙しくなる人だと思ってましたからね、今のうちに体験して頂こうと思って。有名になってしまうといいホテルにしか泊まれなくなり、もうこんな旅行はお出来にならないと思ってね」
翁の予想通り、その後の田辺さんは超売れっ子作家への道を歩まれる。
「岡山県の草間高原では、お寺の本堂に寝て頂いたこともありました。また、土産物屋などなんにもない所へ行った時のことですが、食事に付いていたお漬物が美味しかったんです。すると田辺さんは、残ったお漬物を包んで“おっちゃん”の土産にと持って帰られました。さすがに苦労人だなあと思いましたねえ。でもね、ぼくが僻地にばかりご案内するものだから、始めのころは戸惑っておられました。しかし、そのうち慣れてこられて、汚い旅館が目にとまると「あっ、宮崎好み!」と大きな声でおっしゃいました。嫌がっておられるわけではなく、そんな旅行を楽しんでおられる風情でした」
いい旅をされたのだ。きっとそれが田辺さんの後の文学に生かされたことだろう。
田辺さんの人気小説の一つに『すべってころんで』というのがある。朝日新聞夕刊に連載(昭和47年5月~12月)、後にテレビドラマ化され、世にツチノコブームを起こしたことでも知られている。この小説の舞台の一つが宍粟郡(現宍粟市)一宮町の福知渓谷。そこを田辺さんに紹介したのが宮崎翁だ。
そのきっかけ。
昭和44年8月から一年近く、神戸新聞サンデー版に「自然歩道 カーレスロードをさがす」という企画記事が連載された。画家の松岡寛一氏とともに能勢の妙見山から但馬の氷ノ山(ひょうのせん)までの約三百キロを歩かれた宮崎翁のリポートだ。道中、翁はマムシにかまれてパトカーに救助されたり、松岡画伯は足を捻挫したりと、紆余曲折を重ねながらの旅。わたし、そのスクラップをお借りして読んだが、さすが翁の紀行文、興味津津の読みものになっていて、一冊になっていないのが惜しい。
その第31回に福知渓谷が登場する。当時は知る人ぞ知るといった秘境。
「今日はここへ降りてくるだろうとぼくの歩くコースを予想してね、17人の青年が山道で並んで待ち構えていたんですよ」
福知の素晴らしさを世に知らしめようと村おこし運動をしている青年たちだった。
「そこで聞いた彼らの話が面白くてね、『老人の昔話にツチノコの話などは?』と質問したら、なんぼでもあると言って話してくれました。みんな朴訥ないい人たちで、すっかり意気投合しましてね、後々まで親戚づきあいをしましたよ」
翁はいろんなアドバイスをし、またPRもしたりと協力されたのだ。そんな時に、
「村人たちの話があまりにも面白いので、一度聞きに行きませんか?と田辺さんをお誘いしてお連れしました。すると田辺さんもすっかり気に入られて、折に触れては出掛けるようになられました」
田辺さんの著書、『楽天少女通ります』(日本経済新聞・一九九八年)に次のような記述がある。宮崎翁のことを記者ではなく友人と書いておられるのが印象的だ。
《神戸の友人が、当時まだ世に知られていない美しい渓谷を持つ村を紹介してくれた。兵庫県の奥の、一宮町福知である。揖保川の支流、福知川の渓谷がまことに美しく、それとともに故郷の自然を守ろうという村の青年たちの意気込みもさわやかだった。(略)私は渓谷の美しさも気に入ったが、村人たちも面白くて好もしく、小説に書くだけでなく、その地で小屋も買った。神戸から車で二時間ぐらいなので、夫が発病するまではよく行った。ここ数年はアシスタント嬢が車を運転してくれるので、また田舎暮らしを楽しむようになった。冬は〈ぼたん鍋〉〈もみじ鍋〉(鹿である)、毎夜村人が来て酒宴になり、面白いといったら、ない。私は彼ら彼女らをモデルに、〈夢野町シリーズ〉を何作か書いたりした。》
買った小屋とは別荘である。
このように田辺さんも濃密なおつき合いをしておられる。おかげで福知渓谷は世に知られることになり、やがて田辺さんの文学碑が建つことになる。
《私は身にあまることと思った。この小説は親と子の結びつきや、夫と妻のたたずまいを書いている。夫婦は転(こ)けつまろびつしながら助け合って生き、ついに人生の戦友なのだと私はいいたい。男も女も読んで心たのしくなり、鬱屈した気持ちをとり直せるような小説を、と願って書いただけに、その思いがひとしずくでもこの地にとどまり、何かの機縁になってくれれば、と嬉しかった。
(略)殊更にこのくだりを、と乞われたので、私は小説の一部分を書いた。
このあたり、
福知渓谷といって、
清い流れが岩をかんで
しぶきを散らし、
両側の緑が濃く、
風もまっ青に
感じられる、
眺望絶佳の
場所である。
小説「すべってころんで」より
田辺聖子 書
変哲もない文章だと思ったが、小説の地の文は一部だけ切り取ると変哲もないものだから仕方ない。(略)渓谷の、ひときわ風光よろしき場所に、それは建てられた。地縁、人の縁を思わずにいられない。除幕式は平成八年十月、町の紅葉まつりの日であった。》
この文学碑には後日談がある。田辺さんの著書『楽老抄』(集英社・一九九九年)より。
《除幕式から数日後、(ほんに裏側を見なかったっけ)と思って見に行った。小屋からは車で十分もかからない。碑の裏面は前・文人町長さんが建立の由来を書いて下さっていた。下さっていたが、(略)私はいそいであらぬ方を向き、ついで、あたまの中が真っ白になってしまった。冒頭、「文豪田辺聖子先生は…」とあるではないか。もう消しゴムでは消せない。どうしようもない。(略)私は消え入りたい。(略)》
田辺さんの狼狽ぶりが目に浮かぶ。
※ ※
ここまで書き上げたとき、わたしはどうしても福知渓谷へ行きたくなり、翌日にはもう車を走らせていた。平日で車は少なし、しかも快適なドライブ日和。揖保川沿いに北上し、支流の福知川にハンドルを切る。川の中には無数の岩。まるで岩石の川だ。五年前の台風による災害の名残だろうか。
やがて川の中に目を瞠る巨岩が見えた。「どんびき岩」と呼ばれている。「どんびき」とはガマガエルのこと。台風被害以前とは姿が変わってしまっているらしい。立っていたのが寝転んでしまったのだと。近くに駐車場があり、しばし休憩。傍らに「文殊の水」という水汲み場があり、そこに台風被害の写真が掲げられている。ひどくやられたものだ。
そこからほどなく、文学碑に到達。そこが福知渓谷休養センターの前だった。
わたしは早速碑を観察、撮影する。楓をデザインした趣のある碑だ。問題の裏側を覗いてみる。なるほど、田辺さんがエッセーに書かれていた通りだ。「文豪田辺聖子先生…」。わたしはつい笑ってしまった。田辺さんがこの前で身も世もあらぬ思いをされたのだと思うと、そのお気持ちはわかるが、なぜかわたしは無性におかしかった。
この辺りが福知渓谷のメーン。吊り橋が架かっていたり、広大なバーベキュー設備があったり、一帯には様々な施設が点在している。河原ではテントを張った若い家族が水遊びをしている。休日ではないので、人出はチラホラ。渓流の音以外、静かだ。ときおりウグイス、そして清らかな河鹿の鳴き声。台風の傷跡はまだ残っていたが正に別天地。しばらく森林浴を満喫して帰路に。
帰りに、田辺さんの別荘を探す。休養センターにあった大きな絵地図では、「清流山荘」という旅館の隣に描かれていた。それですぐわかるだろうと思って車を走らせた。ところが別荘らしき建物はあったが「清流山荘」が見つからない。しばらく走って、やはりさっきの建物が別荘だったのでは?と思い、引き返した。車を停めて近づくと、やはりそうだった。趣のある石を配した広い庭の中にオシャレな佇まいだ。屋根にはチムニーも立っている。すぐ裏を渓流が流れている。エッセーに書いておられる通りだった。
《床に腹這いになって目の下の川の流れ、岩を噛む急淵を見ることもできた。サンルームの天井には合歓の木がふさふさと生い茂り…》(『楽老抄』より)
しかし、テラスの椅子には枯れ葉がたまったままで、最近は人の出入りした気配がない。帰りに近くの人に聞いてみたが、「もう何年もお姿は見ません」とのこと。
さて、隣にあったはずの「清流山荘」だが、やはり五年前の台風の被害が甚大で廃業を余儀なくされ撤去されたのだ。しかし不思議だ。その隣の田辺さんの別荘がちゃんと残っているのが。
田辺さんについてはまだまだエピソードがあるが、今回はこの辺りで。また機会があればご紹介しましょう。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。