11月号
連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第29回〜
暗黒物質の探索実験
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する︱― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
高エネルギー加速器研究機構の多田と申します。
前二回で、「冷たい暗黒物質」の候補二つ、ニュートラリーノとアクシオンについて、どんなものか、お話ししました。どちらも「理論上は存在してもよい」粒子でした。この言い方はつまり、現時点では、それは発見できていないことを意味しています。今回は、これらの粒子を探す実験についてお話ししましょう。
まず、探索の方法について考えるために、暗黒物質がどんなものなのか、を思い出していただきます。そもそも「暗黒」とは、現時点で見つかっておらず、つまりそれは見つけるのが困難であることを意味します。かんたんに見つかるのであれば、もぅ見つかっているはずですよね。この二一世紀になっても見つかっていないなんて、相当なものです。
なんらかの粒子を見つけるときに、電磁力に反応するものであればかんたんに見つけることができます。荷電粒子(たとえば電子)や電磁波がそうです。荷電粒子であれば、放射線測定器をはじめ、それを測定する方法はいくらでもあります。電磁波の場合でも、可視光なら装置を使わず肉眼で見えますし、赤外線、紫外線、X線、γ線、いずれもそれらを検出する装置はたくさんあります。電波も、それを通信やレーダーに活用しているくらいですから、検出は容易です。しかし、荷電粒子や電磁波以外となると、とたんに検出は難しくなります。電荷を持たない粒子で、この連載に登場したものとしては、中性子とニュートリノがありますが、どちらもそのままでは検出できません。そこで、これらの粒子は、「荷電粒子に置き換える」ことで検出します。「置き換える」というのは、いったん、通常の物質と反応させておいて、その反応によって代わりに跳び出す荷電粒子を測定するのです。
次に考えるのは、その暗黒物質がどこにあるのか、です。これについては、第26回でお話しした通り、密度は低いが、宇宙全体にまんべんなく広がっていると考えられています。宇宙全体、そう、つまり、この地球、われわれの身の回りにだって、暗黒物質は存在しているのです。ですから、特別な場所に探しに行かなくとも、今われわれがいるこの地球上のどこでも暗黒物質を手に入れることができます。
この二点を頭に入れた上で、さぁ、具体的な探索方法です。前回と前々回で、有力な候補であるニュートラリーノとアクシオンについてお話ししましたが、この両者は、その性質がまるで違っていました。ということは、探索方法もまるで違うということです。
ニュートラリーノのほうから見ていきましょう。これはとても重い粒子でしたね。しかも「冷たい」暗黒物質ですから、ほとんど静止しています。
ところで、みなさんには自覚がないかも知れませんが、たとえば椅子に座ってこの『神戸っ子』を読んでくださっているみなさんも、実は結構な速度で移動しているのです。なぜか。それは、地球そのものが移動しているからです。この動きのひとつは、地球の公転です。これが意外に速くて、秒速三〇キロメーターにもなります。人工衛星を打ち上げるロケットでも秒速八キロメーターていどですから、驚くほど速いでしょう? そして次に、われわれがいる銀河系は回転しているので、その動きもあります。この速度は、さらに速くて、地球のところで、秒速二三〇キロメーターにもなります。そしてもうひとつ! この銀河系そのものも移動しています。第23回で、銀河同士が互いに運動しているという話をしたのを憶えておられるかも知れません。この速度は、第14回でお話しした、ビッグバンの名残りである宇宙背景輻射に対してどれくらいの速度か、ということが測定できます。その速度は、秒速六〇〇キロメーターにも達します!
このように高速で移動しているわれわれに対して、「冷たい」暗黒物質はほとんど静止しています。ということは、高速移動しているわれわれは、止まっている暗黒物質に衝突しうるのです。このとき、ニュートラリーノのような巨大な質量をもつ粒子に衝突すれば、われわれを構成する普通の物質の粒子、たとえば電子や原子核などは、弾き跳ばされてしまいます。弾き跳ばされた電子や原子核を「反跳」粒子と呼びます。電子や原子核は電荷を持っていますから、これはまさに「検出が容易な」荷電粒子となります。つまり、今回の前半でお話しした、「荷電粒子への置き換え」によって検出する方法になるわけです。われわれがなにもしなくとも、地球は高速で移動してくれますから、反跳させる「標的」としての検出器を置いておくだけで、暗黒物質が勝手に衝突してくれるわけです。この方法を利用した探索実験には、液体キセノンを用いたものがあります。キセノンと言えば、車に乗っておられる方は、ヘッドランプに使われているので耳にされていることでしょう。このキセノンは、荷電粒子が通ると蛍光(シンチレイション)を出す「シンチレイター」としても使われる物質で、暗黒物質が衝突する「標的」と、標的から跳び出した反跳粒子が通った際に光るシンチレイターの両方を兼ねて使われます。衝突しやすいように密度を高めるため、沸点(摂氏マイナス一〇八度)以下に冷却して液体にして使います。
この原理はとても単純ですが、いっぽうでそのままでは「雑音」が多すぎて実験になりません。反跳粒子以外のどんな荷電粒子にも反応するので、当然ながら放射線にも反応します。そして、自然界に存在する放射線は、暗黒物質が衝突する可能性よりも、桁違いに多いのです。ですから、この実験の鍵は、いかにして放射線による「雑音」を減らすことができるか、にかかっています。たとえば地下深くに設置することで大気に降り注ぐ宇宙線を防ぎ、さらに純水の水槽内に設置することで地下の岩盤などからの放射線を遮蔽する、などです。現在世界各地で行われているこの方法を利用した実験では、涙ぐましいまでの「雑音」低減対策が採られているものの、未だどの実験でも暗黒物質を発見できていません。
次回は、もうひとつの「冷たい」暗黒物質の候補であるアクシオンの探索実験についてお話しします。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。












