8月号
有馬温泉歴史人物帖 ~其の弐拾九~ 田中 邦衛(たなか くにえ) 1932~2021
いまやアイドルは大量生産の時代でございますが、江戸時代の有馬温泉にはその前身とも言える女子たちがございました。これは小湯女と申しまして、本来のお仕事は浴場への案内ですが何せかわい子ちゃん揃い!だから当時のエロおやじもヲタも小湯女目当てに有馬へ馳せ、下心を抱きつつ推し活に勤しんだそうでございます。
で、アイドルにスキャンダルがつきものなのは、古今東西変わりませぬ。1731年、大黒屋の小湯女、たけチャン19歳が大坂島之内の小間物屋の手代、松吉クン22歳と鼓ヶ滝のあたりの松の木で首吊り心中するという大事件がございました。いまならワイドショーや週刊誌の格好の餌食ですがそんな下品なメディアではなく、たまたま湯治に来ていた狂言作者の金沢蝶助がこの事件を芝居「湯之葉悲恋鼓ヶ滝」に仕立て、舞踊の名人で人気歌舞伎役者の佐渡島長五郎が率いる一座によって、大坂芸能の繁栄を象徴する道頓堀五座の1つ、大坂大西芝居で上演されたのでございました。
実はこの劇場、2002年に惜しまれつつ閉館した浪花座のルーツでございます。浪花座は戦後しばらく映画館になってございまして、その運営は松竹だったんですね。松竹配給の映画にも多く出演していた田中邦衛さんも、ここのスクリーンを何度も彩ったことでしょうな。
邦衛さんは岐阜県、現在の土岐市に生まれ、学校を出て教師になったものの役者の夢を捨てきれず、俳優座養成所に3度目のトライで合格。そして狭き門を乗り越え座員となり、やがて強い個性が評価されてアクションや任侠ものの映画で出番を増やします。その後映画からテレビに軸足を移し、1981年からは「北の国から」の黒板五郎役が大ハマり!「食べる前に飲む!」の胃腸薬のCMも印象深いですよね。
1989年のこと。お仕事で撮影所のある京都に滞在していた邦衛さんは、お休みの日に思い立ち阪急と神鉄に揺られ有馬温泉へ。これがはじめての有馬だったそうですが、当時の温泉会館の湯槽に浸かっていたところ、見知らぬじいさんから声を掛けられ「口突ん出して、つば飛ばしてしゃべる、奇妙な役者おるやろ。あんた、あれにそっくりや」と言われたとか。
ともあれ金泉と街の風情がお気に召したようで、邦衛さんはその後たびたび一人でふらりと有馬を訪ねるように。御所坊では気さくにサインに応じていたそうでございます。おだやかな大地から自噴する有馬の名湯のように、大らかで飾らぬ人柄からあの名演技が自ずと湧き起こってくるのでしょうね。













