10月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から101 ブルーグラス
「ブルーグラス」。訳せば青い草。
だが、これに「ミュージック」と続けばわたしの胸はワクワクしてくる。
神戸ではジャズが身近な音楽として知られているが実はブルーグラスミュージックも昔から根付いているのだ。
ラジオ関西のパーソナリティー谷五郎さんがやってる音楽といえば神戸の人にはわかってもらえるだろうか。もっといえば、先ごろお亡くなりになった高石ともやさんが「ザ・ナターシャー・セブン」でやっておられた音楽。ギターやバイオリン、ベース、マンドリン、五弦バンジョーなどの、基本的には電気を使わない弦楽器で編成され、ギターを弾く人が主にリードボーカルを担当する。
この音楽にわたしが夢中になったのは、まだ二十歳前後の頃。友人があるライブハウスに連れて行ってくれた時だ。
「こんな音楽があったのか!」と瞬時に魅かれ、早速ギターを買い、その友人と楽しんだ。しかしわたしは父を早くに亡くし、17歳から一家を背負って家業を営む身で、本格的なバンドに参加する余裕はなかった。仕事が終ってからライブハウスに通うのが楽しみだったのだ。
そのライブハウスは大丸神戸店の何筋か北の路地にあった「ロスト・シティー」。今や伝説となっているそこはわたしの青春の一ページといっていい場所。
そのうち、ボブディランのフアンだったわたしの弟がわたしに影響されてブルーグラスにはまった。彼はバンジョーを購入し、わたしのギターボーカルとの二人バンドで地域の敬老会のステージにも立った。
時移り、やがてわたしは中学生になった長男とバンドを組み、「喫茶・輪」でライブを開いたりした。そこに「コンサートに出演を」との話が来て、西宮のアミティーホールに出演した。二人だけでは淋しいので、関西のブルーグラス界で活躍するA元氏を助っ人に三人のバンドでステージに立った。怖いもの知らずで、満員のホールでわたしは堂々とギターを弾いて歌ったのだった。しかし今思うと冷や汗ものである。その録画が残っているが、長男は「誰にも見せるな」と言っている。
ここからが今回の本題。
このほど、親しくさせて頂いている日本を代表するブルーグラッサー、稲葉和裕氏が本を出されたのだ。
『あるブルーグラス・シンガーのひとり言』。
期待したブルーグラスのことはそれほど書かれてはいない。主に二人の子どもさんとの触れ合いである。そう、ブルーグラスはファミリーをも幸せにする音楽なのだ。
ページを開くと、なんとも微笑ましい笑顔の写真がいっぱい。これは子どもさんの成長記録にもなっている。この本を手に取る者はほのぼのとした幸せ感に浸れる。わたしも自分の子育てのころを思い出して感慨ひとしおになった。
こんな場面がある。日付は2006年11月22日。
「ラジオデビュー」と題して。
《西宮のコミュニティー放送、さくらFMで「稲葉和裕のミュージックジャーニー」という生放送番組を担当させていただいていて、早や3年半が経ちました。生放送ということで毎回緊張の1時間を楽しませていただいております。
今夜の放送は、いつもの緊張感の数倍はあったでしょうか。というのは、幼稚園児である娘と息子が出演したからです。(略)「パフ」「甲陽幼稚園の歌」「静かなクリスマス」などを歌いました。》
幼い二人の子どもさんのスタジオでの楽し気な写真もあって、この文章を綴る稲葉さん自身が幸せそうだ。そして最後のページを、立派に成長した二人の子どもさんの写真が飾っている。これまた笑顔だ。さらにCDの付録が付いていて、子どもさんの幼い時の歌声など、これもほのぼのとしていて、いいなあと思っていたら、後半に入っている成長したアリサちゃん(長女)の歌唱力にびっくり。思わず「上手い!」と声が出た。まあ、彼女も今はプロとして活躍する人。「上手い!」なんて上から目線で言うのがおかしいのではあるが。
結論。子育てには父親も大いに参加すべし。それにはブルーグラスが最適なのだ。
『あるブルーグラス・シンガーのひとり言』(稲葉和裕著・サザン・ブリーズ出版・税込み三千円)をご希望の方は「オフィス・ホワイト・オーク」(0798(72)0984)へ。
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。