09.02
WEB版 スペシャル・インタビュー|映画『愛に乱暴』
森ガキ侑大監督に聞く
人気ドラマや舞台などに引っ張りだこの実力派女優、江口のりこの最新の主演映画『愛に乱暴』が全国で公開した。作家、吉田修一の同名の原作小説を気鋭の森ガキ侑大監督が実写化した話題作だ。江口の夫役には小泉孝太郎、小泉の母役にベテランの風吹ジュンを抜擢するなど、「家族の配役や演出、撮影手法など細部にまでこだわり抜いた作品。昨年の真夏、猛暑の中で撮ったことにも実は理由があります」と語る森ガキ監督に製作秘話を聞いた。
■世界照準で臨む
「原作を読んで〝今、描くべき作品だ〟と強く感じました。社会の隅で、葛藤を抱き、もがきながらも懸命に生きる主人公に心動かされました」と森ガキ監督は映画化の理由について語る。
主人公の初瀬桃子(江口のりこ)は41歳の専業主婦。夫、真守(小泉孝太郎)の実家の離れで暮らし、8年が経つが、突然、夫の態度が冷たくなり、母屋に一人で住む義母(風吹ジュン)との関係も良好とはいえず、平穏だった桃子の生活は乱れ始める…。
「桃子役には世界に通用する女優を選びたかった。ハリウッドスターのケイト・ブランシェットやシャーリーズ・セロンをイメージさせるような〝大型の日本女優〟を探し、この女優しかいない、と決めました」
森ガキ監督からこんな熱烈なラブコールを受けたのは、社会現象ともなった人気ドラマ『半沢直樹』(2020年)や、『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(2024年)など話題作への出演が相次ぐ江口だった。
オファーを受けた江口は当初、「原作が面白過ぎて映画化するハードルの高さにモヤモヤしていました」と明かしている。
森ガキ監督が撮影初日のこんなエピソードを教えてくれた。
クランクイン(撮影開始)は昨年の8月2日。
撮影現場に集まった江口たちキャストやスタッフを前に、森ガキ監督はこんなあいさつをしたと言う。
「この作品で世界に打って出たい。そんな世界規模の映画を撮りたいと思っています」
森ガキ監督は自分も含め、キャストやスタッフを鼓舞し、気合いを入れたつもりだったが、「いつも自然体の江口さんは、『監督は何を言っているの?』という感じで静かに笑っていました」と苦笑しながら明かす。
だが、この森ガキ監督の宣言通り、完成した映画は今年7月にチェコで開催された『カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭』のメインのコンペ部門に選出された。
「この映画祭のために特別に建設された会場のスクリーンでワールドプレミアの上映会が行われました。上映後は現地の映画ファンや映画関係者に囲まれて質問責めに合いました。日本の難解な内容の映画のはずなのに、チェコやヨーロッパの映画ファンは、桃子の心情まで理解してくれて、とても感動しました。本当にうれしかったです」
チェコから帰国したばかりの森ガキ監督は、興奮冷めやらぬ表情で臨場感豊かに現地の映画祭の熱狂ぶりをこう振り返る。
■35ミリフィルムに宿る魂
外から一見すれば、桃子の家庭生活は平穏だ。
だが、夫や義母との関係が明らかになるにつれ、不穏な空気に変わっていく過程が、ドキュメンタリーのようにリアルかつスリリングに展開していく。
「夫が重要なカギを握っているので、小泉さんの配役にはこだわりました。これまでのテレビドラマなどで見せてきた小泉さんの顔とは違う、彼が見せたことのない表情を出してもらいました」
小泉とは撮影前から役作りについて何度も話し合ったという。
小泉自身、「真守は何を考え、今、どんな感情なのか、とても分かりづらい男」と吐露し、「森ガキ監督と細かく話し合いながら独特なキャラクターを固めていきました」と役作りに腐心したことを打ち明ける。
笑顔をまったく見せないクールな真守=小泉の表情に驚く映画ファンは多いだろう。
「撮影現場で、共演する風吹ジュンさんが、最初、小泉さんがその場にいるとは気付かなかったぐらいですからね。そこまで小泉さんは〝別人の顔〟で演じてくれました」と語る森ガキ監督の表情は満足げだ。
撮影手法にもこだわり、デジタル全盛の時代にあえて、35ミリフィルムを採用した。
「デジタルカメラは何度でも撮り直しができますが、35ミリフィルムは失敗ができない。その緊張感の中で演じ切る俳優たちのワンテイクに懸けたかったんです」と森ガキ監督はその理由を説明する。
また、劇伴(劇中の音楽)では、数多くの国内外の映画やドラマなどの楽曲を手がけてきた作曲家、岩代太郎に依頼した。
映画『パラサイト』(2019年)でアジア人監督として初の米アカデミー賞作品賞を受賞したポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003年)の劇伴を担当したのが岩代だった。
「『殺人の追憶』の音楽が素晴らしくて岩代さんにお願いしたんです。岩代さんは映像に合わせ、いろいろなアイデアを出してくれました。桃子の心情に寄り添う音楽にも、ぜひ注目して観てほしい」と森ガキ監督は話す。
■暑い夏だから残せた映像
昨年8月2日から26日まで、撮影は続けられた。
「命の危険を感じさせるような記録的な猛暑日が続く中での大変な撮影でした」と振り返り、こう続けた。
「でも、そんな暑さの中でしか撮れない映像が、35ミリフィルムの中に焼き付けることができた。そんな自信があります」
森ガキ監督の、この滾(たぎ)るような創作への熱意が、江口や小泉、風吹たちキャスト陣や全スタッフを突き動かした…。
今年も連日、猛暑日が続く真夏の8月の封切り―というのも、この映画にふさわしい。
(文・戸津井康之)
■プロフィール
森ガキ侑大
1983年6月30日生まれ、広島県出身。
大学在学中にドキュメンタリー映像制作を始める。卒業後、CMプロダクションに入社し、CMディレクターとして活動。17年に独立してクリエイター集団「クジラ」を創設し、以来、Softbank、JRA、資生堂など多数のCMの演出を手掛ける。17年、長編映画デビュー作『おじいちゃん、死んじゃったって。』がヨコハマ映画祭・森田芳光メモリアル新人監督賞を受賞。その後、TVドラマ、ドキュメンタリーなど映像作品を演出し、「江戸川乱歩×満島ひかり 算盤が恋を語る話」(18/NHK)で第56回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞、「坂の途中の家」(19/WOWOW)で日本民間放送連盟賞テレビドラマ優秀賞を受賞する。その他の代表作に、TVドラマ「時効警察はじめました」(19/テレビ朝日)、初のマンガ実写化に挑戦した『さんかく窓の外側は夜』(21)、コロナ禍の日本における人と仕事を追ったドキュメンタリー『人と仕事』(21)などがある。