9月号
「ヒューマンなまち」三宮を目指して
三宮センター街2丁目商店街振興組合が
建築家・隈研吾氏の講演会・シンポジウムを開催
7月13日、中央区文化センターで、「神戸三宮の未来を考える」をテーマとした三宮センター街2丁目商店街振興組合主催のシンポジウムが開催された。基調講演の講師に招聘されたのは、国立競技場の設計に携わった隈研吾氏。建物のみならずまちづくりにも手腕を発揮し、モンゴル新首都建設など40以上の国々でさまざまなプロジェクトを手がける世界的建築家だ。
梼原町の自然と人に魅了された
基調講演は、「ヒューマンなまちづくり」をキーワードに、高知県の梼原町の話題からスタート。「ヒューマンな」とは自然を感じられるということで、世界中でこれを大切にしたまちづくりがおこなわれているが、隈氏がこれに気付いたのは梼原だとか。友人に誘われ1948年築の芝居小屋「ゆすはら座」の保存・活用に関わり、この町の自然と人に魅了されたという。それがきっかけとなり設計した町役場や雲の上ギャラリーなど6つの建物をスライドで紹介したが、現在はこれらが人気の観光スポットとなっている。
自然が身近なだけでなく、腕の良い職人と直接話ができる梼原で、地元産の木材や和紙、かやぶきなどの素材や伝統的手法を通じ、コンクリートと鉄に替わる新しい自然素材の可能性を見出した隈氏は、これらを各地で応用するようになっていったそうで、東京の浅草文化観光センターをその一例として挙げたが、スクリーンに映し出されたそのユニークなビルのデザインに観衆たちの視線が集まった。
続いて東日本大震災で甚大な津波被害を受けた南三陸町の復興プロジェクトについて解説。高台に街ごと移転することになり、その際にヒューマンな街にすべく隈氏がこだわったのは、歩いて楽しいストリート。このように人々が集い交流する場を設けることがにぎわいに結びつくと隈氏は語り、そのもう一つの例として新潟県長岡市の「土間のある市役所」をピックアップしたが、ここは実際に年間100万人が訪ねるようになったそうで、その効果には驚くばかりだ。
そして国立競技場のほか、フランス、アメリカ、イギリス、デンマーク、シンガポールの自身の作品を通じ、新しい流れを世界の例で紹介。その流れとは「自然が感じられる」ことと、「歩いて楽しめる」ことで、歴史があるところにそういう要素が加わると、新しいまちづくりに古い歴史が感じられるようになるので、そういう街を三宮でもと語った。
ストリートの中にノード(結節点)を
基調講演を受けておこなわれたシンポジウムのパネリストは隈氏、吉田尚人梼原町長、久元喜造神戸市長、久利計一KOBE三宮・ひと街創り協議会会長の4名。まずは吉田町長が梼原町の概要と魅力を紹介。隈建築が梼原の景観と溶け込みつつ世代を越えた交流の場にもなって町の一体感を生み出しており、特に図書館には人口わずか3千人にもかかわらず年間12万人もの来館があったとか。また、脱炭素の先行地域としても取り組みを進め、「子々孫々に幸せな暮らしを繋ぐ理想郷」の実現を目指しているが、このようなまちづくりは世界的に高く評価され、国内外からの視察も多いという。吉田町長の話を受けて隈氏は、梼原の持つ「別世界感」をどう糧にするかを考えながら梼原のプロジェクトに取り組んだと振り返った。
続いて久元市長が来年阪神・淡路大震災から30年を迎える神戸のまちづくりについて、作家の陳舜臣が綴った「自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ」という一説を引用してここにその方向性が示されていると指摘しつつ、玄関口である三宮を歩いて楽しいウォーカブルなエリアにする、将来的にはLRTで三宮とウォーターフロントを結ぶといった構想を披露。また、都市機能の分散や自然との共生を課題に挙げ、山の再生や森林資源の活用では梼原から学ばなければならないと見解を示した。これに対し、久元市長が進めている脱高層住宅は神戸らしさを保つ秘訣で、ヨーロッパでは高い物を避けてきた都市がキャラクターを維持していると隈氏。吉田町長は「神戸は大好きな街。守るべきものをしっかり守っている」とコメントし、ひと街創り協議会を中心に市民が主体となってまちづくりを進めていることも評価した。
続いて久利会長は梼原町とのご縁を三宮の「外交の成果」と評し、交流に最も必要な要素がスピーディーで誠実で明るい「神戸気質」であり、梼原に学ぶべきことは多いと話した。神戸の都市という側面について隈氏は、大きな街でネットワークを築くことは難しいが、人がすれ違い出会うストリートの中にノード(結節点)をうまく配置することで人口の150万という数が抽象的な数字から具体的な数字に変わっていくので「ぜひやっていただきたい。神戸だからそれが可能」と提案するとともに、神戸各所の場所性を生かして文化に繋げていくことが都市再生のきっかけとなるとアドバイス。これ呼応して「行政でなく民がどれくらいやるか」といくつかの具体例を挙げた久利会長は、「私たちがやっていく」という意識をしっかり持ってまちづくりに取り組むという決意と、神戸のランドマークとなるような六甲山を背にした木造の高層建築という夢を熱く語り、最後に隈氏に「建築家は神に次ぐ」という画家の鴨居玲の言葉を捧げ、万雷の拍手の中でシンポジウムは幕を下ろした。
今回の企画はもともと令和3年に開催予定だったがコロナ禍のため断念し、ようやく3年越しに実現。観衆も240名の定員に対し1300名の応募という大盛況だった。
なお、梼原町は高知県西部、愛媛県との境にあり、車で高知から1時間半、松山から2時間前後というアクセス。隈建築のみならず、四国カルストや坂本龍馬脱藩の道、神楽など見どころも多く、宮本常一の名作『土佐源氏』の舞台でもある。〝雲の上のまち〟梼原へぜひお出かけを。