9月号
神戸で始まって 神戸で終る 51
『レクイエム 猫と肖像と一人の画家』と題する展覧会が、9月14日から横尾忠則現代美術館で開催されることになりました。本展のキュレーションは、学芸員の平林恵による「横尾が見送ってきた親しい人々と愛猫に思いを馳せる展覧会」で、肖像作品や作家の言葉で構成されたものです。
「肖像(遺影)」を展示する部屋では、家族や友人をはじめ、作家の生き方や創作に影響を与えた人の肖像画や関連資料を紹介し、「肖像」の部屋に対して「猫」の部屋では、愛猫タマを偲んで描いた『タマ、帰っておいで』(講談社刊)の原画シリーズのほか、在りし日のタマの写真やスケッチを展示すると聞いています。本展は、いわゆる死者との交流を、此岸と彼岸を往来しながら時空を越えて共存するヨコオワールドを体感する場になればと平林は言っています。
ここ数年の間に、かつて創造を通して交流した、日本の代表的な文化人、芸術家が驚くほど沢山鬼籍に入ってしまいました。僕がグラフィックデザイナーとして本格的にスタートしたのは1956年。神戸新聞社の勤務デザイナーを退職して1960年に上京、日本デザインセンターに入社した時点から始まります。
この会社には、日本有数のトップデザイナーが集結していました。しかしその多くは、すでに鬼籍の人となっています。
4年間勤めたあと、僕はフリーランスのデザイナーになり、この時代を形成した多くの芸術家と交流しながら、様々な現場でコラボレーションを繰り返してきました。本展では、このような芸術家の仲間とコラボした作品が展示されています。この時代を共有した芸術家の大半は、もう現世にはいません。ということは、こちらが彼らより老齢になってしまったということです。だからこのような展覧会が可能になっているのです。
本展がレクイエムと名付けられたのは、本展に登場する人達全員が死者だからです。ここ数年の間に、友人、知人が大量に亡くなりました。僕の電話帳のほとんどの名前は死者です。用のない電話帳になってしまいました。此岸にいる友人、知人はほんのひと握りで、親しかった人達は、全部彼岸へ出掛けてしまいました。あと何十年もしないうちに、それらの有名人は無名人になってしまいかねません。「あの人は―」なんて言っても、「その人は誰ですか?」と聞かれそうです。
僕はあと何年生きるか知りませんが、かつての僕の友人、知人もそのうち、現在の人達とは無関係の歴史上の人物になるか、忘却の人になるか、どっちかです。
現に僕の周辺の友人、知人も、どんどんいなくなっています。誰かの話をしても、大半は死者になった人のことばかりです。いよいよ人との会話も通じなくなりつつあります。僕の口から出る人の名前の大半は死者です。そのうち、「横尾さんと話していても、出てくる人は死んだ人ばかりで、この時代の人の話は出てきません」と言われそうです。
もう死んだ人に用はないのです。死んだ人は全て過去の人、何人かは歴史上の人物になるでしょうね。時代の進行は物凄く早いので、死んだ人の時代遅れの話など聞きたくも知りたくもないでしょうね。亡くなった人の大半はスマホもパソコンも操作のできない人が大半です。生きているこの僕も、スマホもパソコンも扱えません。AIの日常化は、もう目の前に来ています。そのような時代に僕が、この現世に生きている価値のない人間として社会的に葬られるのは、時間の問題かも知れません。
今回の展覧会を見に来た人の中には、「この人は一体誰ですか?」と首をひねる若い人がいてもおかしくないと思いますよ。そのうちあと何十年、いや、あと何年もしないうちに古典になってしまうかも知れません。『横尾忠則現代美術館』という名称も、いずれ「現代美術館」から「博物館」に変わってしまうかも知れません。あと何十年もすれば、完全に過去の作品で、そこに登場するレクイエムの人達はもはや時代物です。そんな時代がもう僕には見えています。あちらの世界、つまり彼岸から、僕は自分の作品が江戸時代などの延長に並んでいるような気がしています。だったらまだマシでしょうが、展示してもらえない時代のゴミにされてしまうかも知れません。まあ、そんな消滅していく状況を向こうから見るのも、愉しみのひとつになるかも知れません。
まあ、レクイエムとはそういうことを語る展覧会じゃないでしょうか。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。