6月号
映画をかんがえる | vol.39 | 井筒 和幸
1990年。世の中では何が起きていただろう。映画ばかり見て暮らしていたから、これといったことはあまり憶えていない。ソ連とアメリカの冷戦が終わり、モスクワの街にはマクドナルドの店が開店し、大勢の市民が列を作っていたニュースはテレビで見たように思うが。でも、ハンバーガーというアメリカの味がボクにはもう感動的でなかったように、街で封切られるアメリカ映画に人生を揺さぶってくれる物語は見つからなかった。ハリウッドの夢の工場たちが、自由気ままな作風に観客は集まらないので金が儲かる映画を作り出した所為だろうか。お金を払って見たのに見終わったらすぐに忘れてしまう話が多く、映画館を出る度に後悔していた。そして、掴みどころのない“混沌”の時代がすでに始まっていたのだ。
社会の景気はどうだったんだろう。バブル崩壊という言葉を耳にするのもまだ先のことだが、ブランド品を身につける趣味はないし、土曜日に人気のディスコで踊る人間でもないし、ボクの生活は相変わらず、退屈と鬱屈感が同居する日々だった。そんなことを吹き飛ばしてくれるものとは何だろうか。憂さを晴らして、ボクに明日を生きる気力をくれる、ガソリンタンクみたいな大衆映画はどこに消えたんだ。空虚な心を満たしてくれる映画を探し回っていたように思う。この年の2月、ローリング・ストーンズが初来日したと雑記帳メモにあるが、東京ドーム公演に行ったわけではなく、ボクにはもう刺激がなかった。前年のニューヨークのシェイ・スタジアムから漏れ聞こえる彼らの咆哮を聞いた時も刺激はなかった。“START ME UP!”(オレを昂奮させろ!と訳せばいいか)と吠えてくれても、そんな気分にさせる映画はなかった。R・ストーンズの曲をよく場面に流すのはマーティン・スコセッシ監督だが、彼の新作、『グッドフェローズ』(90年)が撮影中だと聞いたのもこの頃だ。ニューヨークのマフィアの世界に憧れて、現金強盗や麻薬密売に加わり、最後はFBIと司法取引きしてギャングから足を洗った実在の男の半生を描いた作品だ。早く見たいと思っていたが、半年後に見た時はどうもスカッとしなかったのだ。新顔のレイ・リオッタは感情表現が巧みで、主人公の感情は手に取るように解ったが、ギャングなりの向上心が乏しく周りを気にして迎合してばかりで、まるで、ボク自身を見ているようだった。彼はケチなチンピラを熱演した。レイが顔を出す映画はその後も何本か見たが、いつも自分を重ね合わせてしまう。ジョニー・デップが実在した伝説の麻薬ディーラーに扮した『ブロウ』(01年)は胸を打つ作品だが、そこでも小心な父親役を演じたレイがボクには面映ゆかった。映画は観る側にとっても自己分析器かも知れない。
ソ連のゴルバチョフ大統領も祖国のあり方について悩んでいたことだろう。かつての共産党の強権政治ではない別の社会主義を模索していたようだ。夏に封切られた『レッド・オクトーバーを追え!』(90年)は、ソ連邦の崩壊を予感させる映画だった。原子力潜水艦の艦長が処女航海の任務に就きながら、アメリカへの核ミサイル攻撃を企むソ連政府に愛想を尽かし、アメリカに部下と亡命するスリリングな物語だ。ボクはこの映画で生きる気力を貰ったわけではないが、この先、世界はますます混沌とするだろうと思った。艦長役はショーン・コネリー。彼を見ると英国の秘密情報部員のボンド役が懐かしくなる。007シリーズで面白いのは、中学一年の時に観た『007/ゴールドフィンガー』(65年)だろう。アメリカ政府が軍の貯蔵庫に保管する大量の金塊を放射能で汚染し、金価格を高騰させて西側世界を混乱させようと企む悪党の話だ。悪党に雇われた無口な日系人の用心棒も不気味に際立っていた。昔の物語は悪者が悪者らしかった。
米ソの冷戦が終わると、世界の物語は途端に荒唐無稽になり、何が悪で何がいいことか見分けられなくなっていた。そんな中、ボクにとって映画とは何なのか、自問する日々は続くのだった。
PROFILE
井筒 和幸
1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。