4月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第10回〜
前回は、「我々はなぜ存在しているのか」につながるCP対称性の破れを説明する理論と実験について、クォークに関してお話ししました。今回は残るレプトンに関してお話ししましょう。
前回、小林・益川理論とそれを証明したBelle実験についてお話ししました。クォークでCP対称性の破れが証明されたのであれば、次はレプトンです。実は、それを説明する理論は、小林・益川理論の一一年前にすでに発表されていました。そう、第5回でご紹介した「ニュートリノ振動理論」、あれこそが、レプトン(ニュートリノ)におけるCP対称性の破れを説明する理論だったのです。実際、ニュートリノ振動理論と小林・益川理論はよく似通っており、その中心をなす、三世代のニュートリノ間/クォーク間の関係を示す(同時にCP対称性の破れを示す)行列式は、ほとんどまったく同じものです。それもそのはずで、小林先生と益川先生はニュートリノ振動理論の坂田先生の弟子で、同理論を参考にして小林・益川理論を構築したからです。
では、そのニュートリノ振動理論を証明する、とくにそのCP対称性について証明する実験は行われているのでしょうか。その答えは、この連載をずっと読んでくださっているみなさんならご存じのはずです。そう、我々の行っているT2K実験(第6回)こそが、それに当たります。この実験では、ミューニュートリノを人工的につくり出して、それをスーパーカミオカンデまで飛ばし、その間に電子ニュートリノへと変化する様子を捉える、という話をしました。実はこのとき反ミューニュートリノもつくることができます。正確に言えば、ミューニュートリノと反ミューニュートリノは同時につくられていて、そのどちらを神岡に向かって飛ばせるかを選べるのです。第6回が掲載されている号をお持ちの方は、そこに載っている「電磁ホーン」という装置の写真をご覧ください。この電磁ホーンにある向きの電流を流すとミューニュートリノがビーム状に絞られ、それが神岡に向かって飛ばされ、逆向きの電流を流すと反ミューニュートリノが神岡に向かって飛ばされるようになります。こうやって電磁ホーンの電流の向きを切り替えることによってどちらで実験を行うかを選択できます。そして、ミューニュートリノから電子ニュートリノへと変わるときのその変わり方と、反ミューニュートリノから反電子ニュートリノへの変わり方とで、違いがあるのかどうか、違いがあればそれはCP対称性の破れを意味していますので、どの程度の違いがあるのか、つまりどの程度CP対称性が破れているのか、を調べているのです。現在のところ、九五パーセントの確率でこの違いが見られています。そう言えば「ついにニュートリノでもCP対称性の破れが見つかったか!」と思われるかも知れません。しかし、物理学においては九五パーセントなど「兆しが見えた」程度に過ぎません。物理学で「発見」と呼べるのは、九九・九九九九パーセントの確率で正しいと言えたときです。そのためには、これまでに貯めたデータより、あと一桁多いデータが必要です。このままの状態で続けていると、これまでの十倍の時間がかかってしまいます。そこで我々は、J-PARC側で加速器とニュートリノビームラインの両方を改造して強化し、従来よりはるかに大強度のビームで運転し一層大量のニュートリノを生成するとともに、神岡側でも一桁大きな新型検出器ハイパーカミオカンデを建設することで、短期間でこの目標に到達することを目指しています。両者が完成し実運転が開始されるのは二〇二七年で、そこから数年のうちにニュートリノにおけるCP対称性の破れを「発見」できると考えています。
これが達成できれば、「我々はなぜ存在しているのか」という人類最大の謎に対して、クォークでもレプトンでも、理論でも実験でも、日本人と日本の実験施設が解き明かしたことになるのです。どうですか、胸が熱くなってくるでしょう!
しかし!
この実験にもライヴァルがいるのです。アメリカ合衆国イリノイ州に、東西・南北ともに四マイルにも及ぶ巨大な研究所があります。敷地内ではバッファローも飼っています。それは、フェルミ国立加速器研究所(フェルミ・ラボ)という、第4回でご紹介したニュートリノの名づけ親であるエンリコ=フェルミの名を冠した、世界で二番目に巨大な加速器を持つ研究所です。そのフェルミ・ラボが、日本からニュートリノ研究のトップランナーの座を奪うべく、同じ長基線ニュートリノ振動実験を行って猛追しているのです。我々のほうが先に実験を開始したので今のところはリードしていますが、米国では加速器の研究所の予算はエネルギー省(核兵器や原子炉を管轄する省)から出ており、文部科学省からの乏しい予算で運営している我々とは規模が違います。このままではいずれ追い越されてしまうでしょう。ですから我々は、前述の大改造に加え、充分な運転時間を確保するための予算獲得に必死なのです。なんとしても先にCP対称性の破れを「発見」する必要があります。最先端科学においては、最初に発見した者は神のように崇められますが、二番目以降には何の価値もなく、忘れ去られ、やがて実験をやめてしまうのです。
この「人類最大の謎」に挑む、絶対に負けられない闘いの真っ只中に、我々はいるのです。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。