4月号
早逝の女流作家 久坂葉子はとまらない|vol.9 川崎家の久坂葉子
久坂葉子は短い生涯で多くの人と関わりを持ったが、もっとも身近だったのはやはり家族だろう。
私が神戸にいたころには、久坂葉子の母久子氏はすでに他界していたが、「久坂葉子研究」vol1に、研究会のメンバーが行ったインタビューが掲載されている。それによると、久坂葉子は早熟で、幼少時からものの見方が特異で、ほかの兄姉弟とはまるでちがっていたとのことだ。ボビという呼び名も自分で言いだしたらしい。
私が直接、話を聞いたのは、実兄の芳久氏が最初だった。「久坂葉子の世界**展」の展示品を返却に行ったとき、ご自宅で話を聞いたことは連載の第2回にも書いた。芳久氏は久坂葉子と父親の関係を次のように語った。
「久坂は小さいころから親父の蔵書を読んだりするんで、親父もびっくりしながら喜び、号を与えて句会に連れて行ったりしてました。けど、親父はゆくゆくは平凡な妻になることを望んどったわけで、久坂が本気で小説家になろうとしたときには反対してました」
芳久氏は取材に協力的で、私に久坂葉子のアルバムを貸してくれ、コピーを取ることも了承してくれた。
私が出会った芳久氏は、気さくで闊達な印象だったが、若いころは繊細で、エリート意識の強い父親との関係に葛藤を抱え、久坂葉子に相談を持ちかけたりしていた。だから自殺の報に触れたときには、「身体が畳の中にめり込んでいくような感じに」なったと話していた。
一九八八年の七月に私は外務省に入省し、医務官としてサウジアラビアの日本大使館に勤務することになって、一ヵ月間、東京の本省で研修を受けた。その機会を利用して、当時、群馬県在住だった実弟の芳孝氏にもお目にかかることができた。芳孝氏はホテルの喫茶室で、久坂葉子を偲びながらこう語った。
「姉は小さいころから想像力が豊かというか、突拍子もない嘘をつくんです。小学校の友だちにパリへ行った話をしていましたが、嘘をついているというより、創作している気持ちだったと思います。父は文学や陶芸など、芸術に興味があって、その才能を受け継いだのは兄弟姉妹の中で下の姉だけでした。作品の中では父を悪く書きすぎています。『灰色の記憶』のマネキン事件も事実ですが、あれで父を嫌いになったということはありません。芥川賞の候補になったときも、姉にはそれくらいはなるだろうという気があったんじゃないでしょうか。茶目っ気があって、自殺未遂をしながらモーツァルトを反復プレイにしたり、自殺のあと発見された原稿に、死後の他人のセリフを先取りしてあったりしてね」
自殺については、芳孝氏はこう話した。
「姉の死はもともとプログラムされていたものだと思います。家族にもひしひしと予感があって、連絡を受けたときはとうとうやったかという気持ちでした。母と私が現場に行って、トッパーとセーターの色で私が確認しました。死の衝動については、父が反面教師になっていたかもしれません。喘息がひどくて、薬をのんでいるところなどを見ていると、生への執着にうんざりするようなものを感じましたから」
実姉の敏子さんには長らくお目にかかる機会はなかったが、二○○六年十二月に、神戸文学館で企画展「久坂葉子がいた神戸」が開かれたとき、初日に会場で会うことができた。七十代後半で、若い人が介護についていたが、私が久坂葉子のことを訊ねると、「あんな妹を持ったら大変ですよ」と、上品に微笑んでいた。
もう一人、私が神戸にいたとき、久坂葉子の父の従弟の鬼塚信彦氏が、私の勤務していた神戸掖済会病院に入院していて、その夫人である猶子さんに話を聞くことができた。
猶子さんは川崎家の近くに住んでいて、久坂葉子を姪のようにかわいがっていたらしい。久坂葉子も猶子さんには気を許し、親には見せない手紙を見せたり、身体に赤い斑点が出たとき、神妙な顔で相談に来たりしたとのことだった。いっしょにダンスホールに行ったり、鏡の前に寝転んで脚を持ち上げて長さを比べ合ったり、クリスマスに人を呼んでパーティをしたこともあったそうだ。文学の話はほとんどせず、芥川賞候補になったことも、さほど重要視していないようすだったという。死を口にすることもなく、前日に訪ねてきて香水の瓶をくれたが、自殺は猶子さんには寝耳に水とのことだった。
猶子さんの前では、久坂葉子は文学も死も語らず、無邪気な姪っ子のようにふるまっていたのだろう。
家族にとって、久坂葉子の存在はアンビヴァレントなものだったにちがいない。しかし、その功罪は、今や薄れてしまったことだろう。
PROFILE
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。外科医・麻酔科医として勤務したあと、在外公館の医務官として海外赴任。同人誌「VIKING」での活動を経て、2003年「廃用身」で作家デビュー。2014年小説「悪医」で第三回日本医療小説大賞受賞。近著に「寿命が尽きる2年前」「砂の宮殿」がある。