4月号
阪神タイガース・才木 浩人さんに聞く|「初めての甲子園は360度に観客がいて、率直にスゴイ…と思いました」
2017年10月5日(対中日ドラゴンズ戦)、幼少期から憧れたマウンドに地元・神戸市出身の選手が立った。チームの要として活躍が期待される中、2020年オフにはトミー・ジョン手術を受けリハビリ生活を余儀なくされるも1159日ぶりに白星を挙げ見事に復活を遂げた。昨シーズンは大事な場面で起用されることが多くチームの日本シリーズ優勝に大きく貢献した。そんな、地元の星に神戸のことや今シーズンへかける思いをお聞きしました。
近所というか親近感はあった
神戸市西区王塚台で生まれ育った才木浩人さん。幼少期は遊びの延長でサッカーに夢中だったが小学校へ入学すると兄の影響で市内のクラブチーム『枝吉パワーズ』に入団した。「別の種目を習うと両親の送迎が大変なので野球を始めました」と原点を振り返る。恵まれた体格と強肩が評価され主に捕手を任されたことについて「少年野球なので、めちゃくちゃ考えながら野球をやっていたわけではないです。ただ今は、ピッチャーの方が好きですね。キャッチャーは大変ですよ」と笑う。初めての『阪神甲子園球場』は父親とライトスタンドで観戦。「阪神タイガースは近所というか、地元の球団なので当時から親近感はありました」と現在の職場を語った。
レジェンドたちとの出会い
『神戸市立王塚台中学校』時代は軟式野球部で汗を流し2年の秋から現在のポジションである投手へ転向した。卒業を控えた冬、地元で開催された野球教室にゲストで来ていたのが後に先輩となる能見篤史さんだった。「褒められたというか…キャッチボールを見ていただき、声をかけてもらった」と不思議な縁を口にした。『神戸市立須磨翔風高等学校』へ進学すると1年から頭角を現し2年の春にはエースとしてチームを牽引し兵庫県大会準決勝進出を果たした。「公 立高校出身でも活躍する人はたくさんいます。うちの高校は環境もよく設備が整っていました。高2の春、背番号1を付けたあたりからプロの世界を意識するようになりました」。当時、身体が細かった才木さんに対して同校監督の中尾修さんは「今のうちから勉強をしておいた方がいい」と気遣い、家庭科教員の坂元美子さん(元オリックス球団専属管理栄養士)に対し「食」に関する指導を依頼した。「その頃から栄養学やトレーニングが好きになりました。スカウトから声がかかるようになりましたが特に希望の球団はなく、プロの世界でやれるならどこでもいいと思って練習をしていました」。
念願だったプロ野球選手としてデビュー
プロ志望届を提出し迎えた2016年ドラフト会議で『阪神タイガース』から3位指名を受け入団。神戸市出身の新星誕生に地元は大きくわいた。初めて甲子園のマウンドに立った時の感想を尋ねると「ブルペンからリリーフカーに乗りマウンドへ向かう時が一番、緊張しました。いざ、ゲームが始まれば意外と冷静になれました」。長きに渡るリハビリ生活やコロナ期間中は寮の部屋にいることも多かった。しかし、トレーニングを欠かさず、専門書を読み、常にポジティブでいられるよう自分の中で理由を見つけて打ち込んだ。「昨年、チームは日本一に輝きました。でも自分自身の結果には納得できていません。今シーズンは先発ローテーション入りし、規定投球回数(143イニング)を投げることは最低限の目標にしたいです。獲れるタイトルは、しっかり獲っていきたいですね」と決意を新たに自身の目標を掲げた。
インタビュー・文 岡力
撮影 服部プロセス
才木 浩人(さいき・ひろと)さん
1998年11月7日生まれ・神戸市西区出身・右投右打・身長/体重(189cm/88kg)
王塚台中から須磨翔風高に進学し投手としてプロのスカウトから注目を集める。2016年のドラフト会議において地元球団である阪神タイガースから3位指名を受け入団(背番号35)。今シーズンは先発ローテーションの一角として活躍が期待される。
阪神タイガース
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