11月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第5回〜
ニュートリノ振動とは?
宇宙のはじまりとは―。最初に存在した最も基本的な物質、つまり素粒子を組み上げて恒星や銀河系をつくり、宇宙は出来上がったと考えられています。素粒子のひとつニュートリノを研究することで、なぜ宇宙の始まりが解明できるのか、この連載で素粒子物理学者の多田将先生に教えていただきます。
前回は僕の研究対象であるニュートリノについてお話ししました。しかしそれは「紹介した」程度で、その奥の深い性質の、まだまだ一端に触れただけです。今回は、ニュートリノの性質の中でももっとも重要な、ニュートリノ振動についてお話ししましょう。
第3回でもお話ししたように、ニュートリノはじめ素粒子というのは、あらゆるものの素となるものです。「その中」の構造はないものと考えられています。ですから、それがこの世に生まれ出でたあとは、勝手に他のものに変わらないと考えるのが普通です。たとえば放射性物質が放射線を出して崩壊するのは、「中身」があるからです。また、このことは、我々の世界の秩序にも関わってきます。たとえば我々の身体を構成する電子が、ある時間で別のものに変わってしまうとすると、我々の身体はいつの日かなくなってしまうかも知れません。明日朝起きたら身体がなくなってしまうかも知れないと思うと、心配で夜も眠れないでしょう。でも、普通はそんなことを心配したりしませんよね。それは、このような基本的な構造は、そうかんたんに変わったりしない、という自然な思い込みがあるからです。そしてそれはごく普通の考え方です。
ところが、この素粒子の中で、ニュートリノだけは別で、「ある時間が経てば」どころか、生まれてすぐに他の素粒子へと変わってしまうかも知れない、という理論が登場しました。その論文が発表されたのは一九六二年。論文の著者は日本人、坂田昌一、牧二郎、中川昌美の先生方です。
ニュートリノが変化すると言っても、たとえば電子に変わったりするわけではありません。前回、ニュートリノとは、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの三種類の素粒子の総称だと言いましたが、この三種類の間で互いに変化をする、ということなのです。たとえば電子ニュートリノとして生まれたら、その瞬間から、ミューニュートリノやタウニュートリノに変化していく、しかも、また電子ニュートリノに戻ってきて、また変化する、という変化、「変身」を、絶えず行う、ということなのです。この現象を「ニュートリノ振動」と言います。
この論文が発表された当時は、その現象が本当に起こっているのかどうか、調べる術がありませんでした。というのも、前回お話しした通り、ニュートリノは極めて反応性に乏しく、本格的に研究できるほどニュートリノを捉える検出器がなかったからです。しかし、その三〇年後、その「本格的に研究できる」ニュートリノ検出器が登場します。それが、カミオカンデを経て建設されたスーパーカミオカンデです。
岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデは一九九六年から運用開始されましたが、そこでは自然界に存在する様々なニュートリノが観測されました。そのうち、今回のお話でもっとも重要なのは大気でつくられるニュートリノです。宇宙には非常に多くの放射線が飛び交っていて、とても危険です。我々がそれを気にせずに暮らしていけるのは、大気が放射線から我々を守ってくれているからです。それは逆に言うと、大気が我々の代わりに放射線を浴びてくれているということを意味します。大きなエネルギーを持った放射線、たとえば陽子が、大気を構成する窒素や酸素の原子核と衝突すると、それらの原子核は破壊されてしまいます。このとき、その「破片」の中に、パイ中間子というものが含まれています。パイ中間子はとても寿命が短くて、数十メーター走っただけで壊れてしまいます。その壊れた先が、ミューニュートリノとミューオンです。このミューニュートリノが、大気ニュートリノに相当します。大気は地球上全てを覆っていますから、全世界で大気ニュートリノがつくられています。それをスーパーカミオカンデで観測しよう、というわけです。スーパーカミオカンデは日本にありますが、前回お話しした通り、ニュートリノは極めて反応性に乏しいので地球などないも等しいですから、地球の裏側でつくられた大気ニュートリノでも観測できるのです。
ところでみなさんは海外旅行に行かれたとき、外国の空港に降り立って、途端に呼吸ができなくなって倒れたりしたことはありますか。そんなことはありませんよね。海外でも、日本と同じように呼吸ができるはずです。それは、日本だろうが海外だろうが、地球上の大気の主成分はどこでも同じだからです。ということは、地球上どこでも、同じだけの大気ニュートリノがつくられていると考えられます。それでは、途中でほとんど地球と反応したりしないニュートリノは、どこから来たものでも、スーパーカミオカンデで同じだけの量が観測されるのではないでしょうか。
ところが、それが違っていたのです。日本上空の方角から来た大気ニュートリノに比べて、日本から離れた方角になるほど、そこから来る大気ニュートリノの観測量は減っていったのです。言い方を変えれば、スーパーカミオカンデまで到達する時間が長いほど、大気ニュートリノ(ミューニュートリノ)の数が減っていく傾向が見られたのです。
実は、スーパーカミオカンデで採られている検出方法では、電子ニュートリノとミューニュートリノは観測できますが、タウニュートリノは観測できません。たとえば、ミューニュートリノがタウニュートリノに変わってしまったとしたら、その変わった分は観測できないので数え漏らしてしまい、まるでニュートリノの数が減ってしまったように見えます。減ったのではなく、タウニュートリノに変わっただけですが。
つまりこの現象は、まさにニュートリノ振動が実際に起こっていることを観測しているのではないか、とスーパーカミオカンデの実験グループは考えたわけです。そして、三〇年前の論文を引っ張り出してきて、その理論通りだとどれくらい「減ったように」観測されるかと計算すると──なんと、ニュートリノ振動理論にぴったりと合っていたのです。スーパーカミオカンデの実験グループは、一九九〇年代後半の大気ニュートリノの観測によって、素粒子なのに別の素粒子に変わってしまうという、ニュートリノ振動現象が、現実に起こっていることを証明したのです。その功績によって、その実験グループのリーダーであった梶田隆章先生はノーベル賞を受賞されたのです。
PROFILE 多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。