11月号
未来を駆ける神戸の新風 VOL.6|地域を想う ランドスケープで 新たな価値を 生み出す!
神戸のまちづくりの キーパーソンに聞く未来
近年、どんどん新しくなっていく神戸。その中で、名前を拝見する人物がいる――。今回取材した村上豪英氏だ。村上氏は、神戸市兵庫区に本社を構える総合建設会社「村上工務店」の3代目。村上工務店は創業以来、地元密着型の工務店として成長し、地域のつながりを大切に、集合住宅から幼稚園やホテルまで様々な建物を手がけてきたそう。また村上さんの代になってからは、「旧湊山小学校跡地活用事業」や「東遊園地の拠点施設整備」など、まちづくり分野にも注力し、地域に新たな賑わい、そして価値を創出しようとしている。そんな、神戸のまちづくりのキーパーソンに話を伺った。
建築だけでは伸ばすことが難しい時代
クリエイティブが成長の鍵!
まずは、村上工務店についてお聞かせ下さい。
歴史を遡ると、1946年に、私の祖父・村上隆信が創業した会社です。祖父は大工で、親方から独立の許可を貰っていたのですが、戦争に行くことになったそうです。そして、無事に帰り、自分が学んできた大工の技術で戦災復興に役立ちたいと、故郷の兵庫県佐用郡佐用町で起業。その年のうちに神戸市内に移ってきました。
元々は、木造の大工から始まっているんですけども、現在はマンション、工場、オフィスビルなどの新築・リノベーション工事をメインに行っています。
村上さんで3代目ですが、それぞれどのような経営者でしたか?
祖父は、求心力が凄い人でした。その分、「俺がこうやと思ったらこうや!」みたいな、そういう印象が強い、分かりやすい創業者でしたね。一方で、先代の父は、民主的な人というか、色んな人の意見を聞きながら進めていくスタイルで、会社を安定的に成長させる軌道に乗せ、大きくしました。
私は、ひょっとすると創業者に近い気質も持っているのかな、という風には思いますね。それだけ変化の激しい時代にまた戻っているのかな、という気もするんですよね。というのも、今は建築だけでは伸ばすことが難しい時代に入ってきていると思うんです。なので、創業者気質のようなものが、私にもしあるとしたら、ありがたい時代に戻ってきている――というか、そういうものが必要とされている時代かな、という気はします。
村上さんは、一度シンクタンクに就職した後に家業を継がれていますが、会社をどのようにご覧になられていますか?
当社の社訓は、「誠実・忍耐・努力」なんですね。――世の中の3つの言葉を選ぶとして、これらって割と近いところにある言葉じゃないですか? 転職してきたときに、「何か…えらい堅い会社やな」と思いました。しかし、やはり建築の仕事は、そういう真面目一徹に技術に向かい合う姿勢が大変大切な仕事なんだな、ということを再認識しています。
一方で、この三つの言葉の中には、何かクリエイティビティに近い言葉は今のところ無い。 その辺りが当社としての成長のポイントだと考えています。
そういったお考えが、NATURE STUDIOや東遊園地の再整備に繋がってきているわけですね!
そうですね。全部、“振り返ると”、なんですけどね。スタート地点としては、そういうものを探そうとして色んな仕事をしたわけではないので。
2つの震災がきっかけとなった、東遊園地のリニューアル構想
東遊園地はとても素敵な場所に生まれ変わりましたが、その辺りの経緯をお聞かせいただけますか?
順を追って話すと、私自身の話からになるのですが、転機となったのは阪神・淡路大震災でした。
子どものときから自然が好きで、建築の業界は自然を壊す側面がありそうに感じて、少し敬遠していました。でも、そういう一方的な思い込みを壊してくれたのも震災で、建築業ってまちに凄く大事なんだなと考えたのが1つのきっかけになって、他の会社に勤めてからですけど村上工務店に入ったんです。
そして、2011年に東日本大震災が起こりました。
阪神・淡路大震災がきっかけで家業に就き、色々と神戸に対する思いがあったはずなのに、そういえば自分は16年間、何もしていないと、この時に気がつきまして、その年に神戸モトマチ大学という勉強会を開きました。
神戸のまちや世界で活躍する人が先生となり、まちづくりなどについて学ぶ取り組みですね。
はい。その取り組みの中で神戸市の職員さんとも知り合い、2014年頃「神戸のまちを良くするために、何かアイデアはないですか?」と聞かれたことがあったんです。それを聞かれたことが嬉しくて、何がええんやろかと考えたときに、東遊園地という公園がまちのど真ん中にあるのに、日常的な利用が少なすぎるじゃないか、と。これは良くないから活性化しましょう、と提案して、2015年に社会実験「URBAN PICNIC」がスタートしました。これが東遊園地リニューアルへの第一歩でした。当初は実行委員会の形式を採っていましたが、現在は、それを一般社団法人リバブルシティ イニシアティブに発展させ、実行部隊の有限会社リバーワークスとともに運営に当たっています。
なぜ違う会社で挑戦したかというと、そもそも公園に施設を建てようと考えるまでは、村上工務店を巻き込むつもりは入れてなかったんですよ。公園のことを良かれと思って活動しているのに、工務店が営業活動でやっていると思われたら嫌じゃないですか。逆に言うと、村上工務店のスタッフにも公園の話はあまり伝えていない、みたいな状態でしたが、結局は、建築投資が必要になるプロセスの中で村上工務店が役割を担うことになりました。
東遊園地を神戸っ子のライフスタイルの中心に―
東遊園地について、社会実験から見えてきたものは何でしたか?
東遊園地は大きなイベントのとき以外にはほとんど使われていない公園でした。でも、そこに芝生があったり、カフェがあったり、行くきっかけがあると、人が来る公園なんだということが見えてきました。やっぱり、潜在的には、みんな神戸のセントラルパーク的な場所だと思っているんですよ。思っているけど、実態としては殺風景だったから行かなかっただけで、実態がついてきたら、人が来る――。
あと、公園を良くするとか、公園からまちが良くなっていくプロセスみたいなものに関わりたい人がこんなに多いんやな、っていうのも実感でしたね。英語で「Be a part of it」(何かの一部になる)みたいな言い方がありますけど、何か大切なムーブメントの一部になりたい、みたいな気持ちをもっている人は多くて、公園やまちへ貢献することも喜びにつながるというのが実感でした。
神戸の経済という目線で、東遊園地をどのようにご覧になれますか?
2つあります。1つは、神戸はコンパクトシティとして魅力を出すしかないですよね? “ウォーカブル”(「walk」(歩く)との「able」(できる)を組み合わせた造語)という言い方をしますけど、神戸がもっと歩き回って気持ち良いまちになって、人が訪れたい、住みたくなるまちに近づけるのに、東遊園地は重要な位置にあります。だからこそ、殺風景な場所ではなくて、お金も払わずに誰もがゆったりと過ごせる空間であるっていうのが凄く大事なことになってくるんです。
そしてもう一つは、神戸の魅力ってやっぱり、観光名所があるというよりは、恐らく、神戸の人のライフスタイルみたいなものが、色んな方に憧れられてると思うんですけど、これを実感できる場所が東遊園地のような位置にあると、神戸に来た観光客が初めに行く場所になれるんちゃうかな、と思っています。「神戸へ来たら、まずあそこへ行こうよ!」という場所が今まで無かったような気がするので、そういう場所になれば、ツーリズムとして良いですよね。今後が期待される神戸の最後の一等地が港のエリアだと思うんですけども、そこに人が流れていくときに、大変重要な繋ぎのポイントになると思います。
東遊園地だけでなく、NATURE STUDIOも、今まであった場所に、新たな付加価値をつけて再生させた取り組みですが、こういったビジネスモデルって、これから先、すごく可能性がある気がします。
仰る通りで、再生・活用にとどまらず、行政が自分たちだけでは有効活用できない案件は増えてきています。これから先、行政だけではできないから、官民連携で、この建物に誰か投資してくれへんかな? 誰かが企画や運営をしてくれへんかな?みたいなことは絶対増えていくと思うんですよね。その時に村上工務店は、そういうことに対応できるので、ぜひ伸ばしてチャレンジしていきたいと思っています。
「まだ何も成し遂げてない」という気持ちでしょうか。
村上さんのモチベーションの源をお聞きしても良いですか?
「NATURE STUDIO」を例にすると、他の方が、「これええやん!丸々パクッて持っていったら、うちのまちも良くなるやん」と、仮に思ってもらったら、それは一つの成果だと思うんですが、まだそこまでいっていない感じがあります。
それに、人生のなかで働ける時間は結構短いと思っています。例えば、明日子どもが交通事故にあったら、こんな風に働き続けるのは難しくなる。だからこそ、ちゃんとクリエイティブな取り組みをして、人に真似してもらえるようなレベルの、活性化に繋がる仕事をしたいというのがモチベーションに繋がっています。
最後に読者の皆様にメッセージをお願いします。
これまでの活動の中で、神戸で頑張っている方とか、凄く気持ちの良い方と、いっぱい知り合ってきたんですけど、もっともっといらっしゃると思うんですよね。そういう方々が活躍できる神戸になったら良いなと思うし、読者の中にもたくさんいらっしゃると思いますが、既に活躍されている方をもっと知りたいという気持ちがあるので、これからも色んなことに挑戦していきたいと思います。