9月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第146回
英国のかかりつけ医制度と医療制度について
─かかりつけ医制度の導入が議論されていますが、そのモデルといわれる英国の医療制度にはどのような歴史がありますか。
生島 英国の医療制度National Health Service(NHS)は原則無料で、ほぼすべての医療サービスを提供することを基本理念として1948年に始められました。1980年代のサッチャー政権下で市場競争原理を導入したNHS改革が始まり、1997年に発足したブレア政権では医療サービスのスタンダードを示し、2010年代のキャメロン政権からは治療から予防へとプライマリ・ケアを前面に押し出すようになり現在に至ります。
─NHSの特徴は何ですか。
生島 税財源を基礎としており、国民一般にほぼ無料で医療サービスを提供できる国営システムです。一方で民間保険や自費によるプライベート医療も行われ、国民医療費の約1割強を占めております。英国民は救急を除きあらかじめ登録した家庭医=General Practitioner(GP)の診察を受けます。GPが必要と判断しないと専門医を受診することができません。これがゲートキーパー制度であり、患者は日本のように受診する医療機関や医師を選ぶことができません。
─NHS制度にはどんなメリットがありますか。
生島 医療費は税金で賄われているので、保険料負担も窓口負担もないためためらわずに診察を受けることができます。また、病院や診療所は国によって計画的に整備されるため、地方でも安心して医療を受けることができます。患者が振り分けられるので、特定の病院や診療所に患者が集中することもありません。ちなみに、救急医療はNHSに加入していない人へも原則無料で提供されています。
─逆に、どんなデメリットがあるのでしょうか。
生島 税方式なので、財政状況により医療費が左右されます。医療の提供状況については、医師やスタッフが不足しており、少ないインセンティブのため競争原理が働かず、待機時間が常に長く混雑状態で、サービス提供や質の低下がみられます。特に地方ではGPの数が少ないため医療機関も選べません。専門的な医療が受けにくく、GPの紹介があっても専門医が緊急性が低いと判断すれば長期間の待ち時間が発生するのも問題です。
─英国での外来診療の現状はどんな感じですか。
生島 まずは登録したGPの診察を受けますが、基本的に要予約で、当日受診は希望者の半数程度しかできません。専門医の診察が必要かどうかはGPが判断しますが、GPに紹介されてから専門医の治療を受けるまでの時間は現在平均2か月以上のようです(図1)。
─医師の診察を受けるのはハードルが高いですね。
生島 その一方で、英国ではタスクシフティング(医療行為の一部の他の職種への委譲)が進んでいて、看護師などのコメディカルもプライマリ・ケアに対応しています。診療所看護師は医師から独立した形で診察をおこなっており、一定の研修を受けたプラクティスナースは風邪などの軽度な疾病や、高血圧や糖尿病などの慢性疾患の対応が可能で、専門の修士コースを修了したナースプラクティショナーは検査依頼、診断、薬の処方なども担います。薬剤師は、調剤以外にも症状に応じた市販薬を販売しています。「多職種協働+多職種参加型のチーム医療」は英国医療の特徴の一つです。
─もし日本にイギリス型のGP制度を導入するとなると、どのような問題があるでしょうか。
生島 (表1)のような数々の問題が考えられます。かかりつけ医でも診察は基本予約制になりますから、待機時間はやはり長くなるでしょうし、発熱外来などの対応も難しくなるでしょう。かかりつけ医も患者それぞれが選択して登録することになりますが、そもそも日本では家庭医や総合診療医の数が少ないのが現状です。医療の質の面からも、医療機関側の実務的な面からも、GP制導入は現実的に難しいものがあります。
─英国と日本の制度を比較して今後のかかりつけ医制度をどのように考えますか。
生島 医療制度は、歴史、経済、風土、文化等の所産であり各国固有の形態をとるため、他国の制度より普遍性を見出し取り入れるべきところは取り入れる必要がありますが、英国のGP制度は英国の国民性を大いに反映したものであり、我が国とは非常に大きな彼我の制度差を実感します。我が国が歩んできた自由開業制、フリーアクセスは優れている点が多く、もっと評価されていいのではないかと思われます。
─制度改革は医療削減を目指すものですが、英国方式で効果があるのでしょうか。
生島 (図2)のように英国と日本の医療費を比較しても大差がないどころか、日本の方がやや低いのが現状ですので、英国のシステムを導入しても医療費適正化の効果は見込めないと思われます。医療費適正化のために制度改革を考えることは確かに重要なことですが、その後に起きうる様々な可能性についても十分検討する必要があり、拙速にかかりつけ医制度という容器だけを変えても内在する医師と患者の意識、医療に対する教育、医師養成制度の設計図を考えなければ「木に竹を接ぐ」ことになりかねないですね。
─私たち市民は、かかりつけ医を持つべきなのでしょうか。
生島 高齢者は特に、日頃の体の状態を把握していて何でも相談できるかかりつけ医が身近にいると、いざという時の対応や日々の健康づくりに役立つでしょう。一方で日本医師会が発信しているように、かかりつけ医についてはあくまでみなさんが選ぶものであり、かかりつけ医を割り当てたり登録を義務付けたりすることはいかがなものかと思います。また、診療科別や専門性の観点から複数のかかりつけ医をもつことも自然なことではないでしょうか。