6月号
水木しげる生誕100周年記念 知られざる 水木しげる|vol.9
心に迫る反戦の思い『総員玉砕せよ!!』
戦後80年近くたっても、何かというと戦争反対、平和を守れというような発言を聞かされ、少々ワンパターンすぎて現実味が薄れてしまいかねない。しかし、水木サンの描く戦争はちがう。リアルで具体的で、かつ強烈に胸を打つ。
たとえば『総員玉砕せよ!!』の一場面。驟雨の中の行軍で、いきなり機銃掃射を受け、兵士たちが逃げ惑う。水木サンがモデルの「丸山」が退却すると、戦友の「加山」が被弾して倒れる。衛生兵が「遺骨を作るんだ」と丸山と駆けもどり、円匙(小型のショベル)で小指を切れと命じる。丸山は「まだ生きてますよ」と言いつつも、衛生兵に急かされ、懸命に円匙を当てるが、うまく切れない。弾丸と雨粒が降り注ぐ中、「早くやらんかーっ」と怒鳴られ、なんとか小指を切って、息のある加山を置き去りにして退却する。命より遺骨を大事にするという、倒錯した現実が描かれる。
兵士たちの死も、通常の戦死ばかりではなく、マラリアで死に、デング熱で死に、衰弱で死に、味方の誤射で死に、手りゅう弾の自決で死に、海で捕まえた魚をのどに詰めて死に、ワニに食われて死ぬ。
もちろん戦死も多く、銃弾に当たって死に、爆撃で死に、戦車に轢かれて死に、敵に狙撃されて死に、小便の途中に艦砲射撃で吹き飛ばされて死に、故障した機銃を修理しようと焦っているところを砲撃されて死ぬ。
そんな過酷な状況を、水木サンは「小便をするような感じで人が死んでいく」と、評していた(「水木しげる漫画大全集」の月報の対談)。それくらい死が日常的だったということだろう。
かと思えば、決戦の前に童貞を捨てるため、従軍慰安婦のいる「ピー屋」に行くと、営業終了の五分前なのに、七十人ほどが並んでいたり、一日中塹壕掘りをさせられる兵士たちの話題が、今、目の前に女と芋が現れたら、どちらに飛びつくかという問題で、答の出ない議論が延々と繰り返されたりする。つまり、性欲と食欲が極限まで飢えさせられるのが戦争という赤裸々な描写で、凡百の平和論などよりはるかに強く「戦争はイヤだ」と感じさせてくれる。
また、水木サンの戦争漫画では、運と偶然の要素についても考えさせられる。
大河の両岸に張った綱を手繰って、二人一組で小舟で渡るとき、水木サンは前に乗り、対岸に着くと、後ろの兵隊がいなくなっていた。途中で風が吹いて、後ろの兵隊の帽子が飛ばされ、それを拾う気配はあったが、水に落ちた音もしない。不思議に思って現地人に聞くと、「おー、ワニ、ワニ」と言われる。ワニに食われたというのだが、半信半疑でいると、数日後、ワニに食いちぎられた下半身が川べりに流れつく。この状況から、水木サンは偶然によって生かされていると感じる。なぜなら、自分が小舟の前に乗ったのはまったくの偶然で、仮に後ろに乗っていても、風は同じように吹き、帽子も飛ばされただろうから。
水木サンの所属する小隊が、明け方の奇襲に遭い、水木サン以外は全滅したときもそうだ。小隊は十人で、順に不寝番に立っていたが、水木サンはたまたま明け方の十番目で、離れたところにいたため小隊が攻撃されたときに生き残ることができた。
これはもちろん戦時だけの話でなく、事故も災害も病気も事件も、偶然の重なりによることは否めない。
「総員玉砕せよ!!」に話をもどせば、ラストでは誤った玉砕報告のせいで、理不尽に自決に追い込まれる軍医や小隊長が描かれる。兵士たちは軍上層部の都合で、死の突撃を敢行させられ、丸山も「みんなこんな気持ちで死んでいったんだなあ。誰にみられることもなく」とつぶやきながら、血まみれになって死ぬ。
これほど強く、また真剣に戦争を忌避させる作品を、私はほかに知らない。
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。