1月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.15
現代美術家 日比野 克彦さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第15回は現代美術家、日比野克彦さん。
垣根を超えろ…
平面、立体から社会概念も突破する現代美術家の挑戦
40年の集大成
「そもそも創作活動においては、平面も立体も関係ありません。段ボールは平面ですが、折り曲げれば立体になるし、また、元に戻したら平面になるのですから…」
今から40年前。現役の東京藝大大学院生が美術界の権威である「日本グラフィック展」大賞を受賞したが、これが物議を醸すことになる。
なぜなら、その受賞作は、段ボールに描いた作品だったから。
平面作品に限る―とされた応募規定に挑むかのような応募に、「果たして段ボールは平面か立体か?」と論議され、審査会はもめにもめたという。
「私の受賞作は、厚さわずか1センチの段ボールだったのです。それが翌年から、段ボールから5センチも飛び出した、もう立体としか呼べない作品の応募が急増。審査委員たちは、それを私のせいにしていたらしいですよ」と当時の〝美術界の混乱ぶり〟を振り返り、日比野さんは笑った。
1982年、独創的な段ボールアートで鮮烈にデビュー。以来、〝ポップアートの旗手〟として約40年にわたり、現代芸術の世界で第一線を駆け抜けてきた。
その創作人生を振り返る美術展が、今、兵庫県姫路市の姫路市立美術館で開催中だ。
タイトルは「The Museum Collection Meets HIBINO『展示室で会いましょう』」(1月16日まで)。
〝色彩の魔術師〟と呼ばれ、フォーヴィスム(野獣派)を牽引した20世紀を代表するフランスの画家、アンリ・マティス(1869~1954年)や、〝スペイン最大の画家〟と呼ばれた宮廷画家のフランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828年)ら6人の世界の巨匠たち。彼らに挑む形で、日本の現代アート界の代表として日比野さんが〝参戦〟。
「現代日本の姫路市立美術館の展示室で、世界の芸術家と日比野さんが出会ったら…」。そんなユニークな発想から生まれた、趣向を凝らした特別展だ。
マティスとの出会い
「平面も立体も関係ない…」。そんな日比野さんの言葉通り、美術館の壁面や棚だけでなく、床や天井など縦横無尽に作品が展示。同館所蔵の6人の作品100点と、日比野さんがこれまで手掛けた作品100点とが〝競作〟のようにして並べられている。
壁面に展示されたマティスの絵画作品の前の棚には、日比野さんが磁器の産地で知られるフランスのリモージュで制作した陶芸作品50点が並ぶ。
まさに、時空を超えた絵画と立体の贅沢な競演だ。
「パリで個展を開いていたとき。大学教授が、『リモージュへ来て陶芸作品を作ってほしい。その創作過程を陶芸を学ぶリモージュの芸大生たちにも見せてほしい』と招待されたんです。作品を100個制作し、その半分の50個は日本へ持ち帰っていいが、半分の50個はリモージュの大学へ置いていってほしい…。それが制作の条件でした」と日比野さんは説明する。
今から26年前。1996年、リモージュの工房でリモージュ焼に取り組んだ。そのとき、日本に持ち帰った自身の50作品と、美術館が所蔵するマティス作品とのコラボについて、「この展示室で、憧れのマティスと私が出会う…。かつてない面白い試みですね」と感慨深げに語る。
というのもマティスは小学3年の頃からの憧れの存在だった。
「小学生の頃、病弱で学校へ通えない時期がありました。そんな頃。病院のベッドの上で夢中で見ていたのがマティスの画集でした。マティスの絵が空想の世界へと誘ってくれたんです」
ただ、眺めるだけで終わらせないのが、〝日比野アート〟の醍醐味だ。
「耳と足」のコーナーの前で、日比野さんが自ら実演しながら、この企画内容を説明してくれた。
「この床に並べている私の絵画にはすべてキャスターがついています。来館者は、好きな作品を選び、このリード(ひも)を作品に引っかけて一緒に連れて歩き、美術館を鑑賞するんです」。リードを引っ張る姿は、まるで犬の散歩のようでもある。
「視覚、触覚を表す『目と手』は、人間の重要な感覚としてよく使われますが、『耳と足』はあまり使われないでしょう。でも、人にとってこの二つはとても大切な感覚です。それを身体表現としてとらえるために考えた企画。聴覚で空間をとらえ、足で歩く…。来館者にアートを見るだけでなく体感してほしいと思っています」
展示室の壁も抜け出し…
デビュー以来、「創作の照準」は国内にとどまらず常に海外へも向けられてきた。
シドニー・ビエンナーレ、ヴェネチア・ビエンナーレなどにも精力的に出品。「訪れた国の数?いろいろなテーマで個展やイベントなどを開催してきました。30カ国以上は回っています」
その活動は展示室にとどまらない。
現在、力を注いでいるのが、「明後日朝顔(あさってあさがお)プロジェクト」だ。
「朝顔の種をまき、そこで育った種を別の土地にまく…。2003年に新潟で始まり18年間続けてきた、このプロジェクトは現在、日本全国29地域まで広がりました。今年は姫路市内の幼稚園、小・中・高校など100カ所で朝顔を育て、みんなで一緒に種を収穫しました」
なぜ、明後日なのか?
「明日(あした)と違って『明後日(あさって)』って、何かあやふやではっきりしないけど必ずやって来るでしょう。不確かなんだけれど希望がある。そう信じているんです」
この姫路市内100カ所で収穫した種も美術館で作品として展示されている。
さらに、この種をモチーフに、段ボールの上に絵画を描いたり、船を作って海に浮かべたり…。
「段ボールを使った創作活動と種をまいて育てる活動、種をモチーフにしたワークショップ。美術館と街と山と海を同時につなぐアートプロジェクトは初の試みなんです」
芸術で世界を救え
現在、東京藝大美術学部長。4月からは学長に就任することが決まった。
〝プレーイング・マネジャー〟の重責を担い、現役のアーティストであると同時に教育者として、学生の指導にも力を注ぐ。
「明後日朝顔プロジェクトは、芸術を通じ、美術館や姫路城、姫路市内の学校や商店街などの市街地、そして山や海もつなぐ環境全体を考える場。子供たちや学生たちに『SDGs』(持続可能な開発目標)を考えてもらう教育の場にもなっているんです」と、とめどなく構想は膨らむ。
阪神・淡路大震災のときには、知人のアーティストの安否確認のために、兵庫を訪れた。以来、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震…。大災害のたびに被災地へ駈けつけ、地元の子供や大人たちと一緒にワークショップなど創作活動に取り組んできた。
「芸術は本当に世の役に立つのか? 職業として食べて行けるのか? かつて、こう心配する学生の親御さんたちは少なくなかったのですが、将来、環境問題を解決し世を救う学問こそが芸術だと信じています」
かつて、平面と立体の垣根を超え、美術界の常識を覆し、〝時代の寵児〟となった現代美術家は今、芸術を武器に社会概念の垣根をも超えようと挑み続けている。
(戸津井康之)
The Museum Collection Meets HIBINO
「展示室で会いましょう」
姫路市立美術館
姫路市本町68-25
TEL.079-222-2288
10:00~17:00(入場16:00まで)
2021.11.20(土)~2022.1.16(日)
月曜休館(1.10は開館)、
12.25〜1.5、1.11
https://www.city.himeji.lg.jp/art/
日比野 克彦(Katsuhiko HIBINO)
1959年 岐阜県生まれ。1984年 東京藝術大学大学院美術研究科修了。東京藝術大学美術学部長、先端芸術表現科教授。岐阜県美術館館長、日本サッカー協会理事・社会貢献委員会委員長、熊本市現代美術館館長。