3月号
南京町春節祭@オンライン「春節祭誕生物語」座談会 Vol. 1
20万人超えの人気祭事はどのようにして生まれたのか。
新型コロナ禍のため、「南京町YouTubeチャンネル」でオンライン開催した南京町春節祭。2月11日~14日の初日は「春節祭誕生物語」と題し、創生期を知るメンバーによる座談会を実施。えっ(⁉)という秘話を含め、楽しい思い出満載の内容を3月号・4月号2回に分けてご紹介。
反則?若手の挑戦から
始まった南京町春節祭
…本日は南京町春節祭のチャーターメンバーの皆さんにお集まりいただいています。今や毎年20万人以上の観客を迎える「南京町春節祭」ですが、その歴史が始まったのはいつからですか。
曹 記念すべき第1回は1987年(昭和62年)1月29日です。現在64歳の私が29歳のときでしたね。旧暦で節句を祝う中国では、旧暦のお正月を「春節」として盛大に祝います。それで南京町でも旧暦の正月に合わせ、中国の伝統行事「春節」をアレンジし、「春節祭」として開催が始まりました。
中野 きっかけは、その約半年前のことです。商工会議所で神戸市の都心型商店街の青年部を集めた「NETWORK KOBE21」という会があり、神戸商工会議所の小売商業部会長だったUCC上島珈琲㈱の上島達司社長(当時)が「神戸の魅力アップのために南京町も何かアイデアはないのか?」と南京町青年部を叱咤激励したことに発しています。といっても何からどう着手すればいいのかわからない。そこでまずはイベントについて勉強することからスタートしました。UCCコーヒー博物館の創設準備をされていたUCCの諸岡博熊氏を講師に迎えて勉強会を企画しました。諸岡氏はもともと神戸市役所に勤めておられ、1970年に開催された大阪の日本万国博覧会の運営に従事されたのち、81年のポートピア博、85年のつくば科学万博のイベントなど、様々な博覧会に関わられ、イベントに関するプロ中のプロだったので、「イベントの魅力とは何か?」という基本から講義をしてもらいました。そうして南京町らしい中華のお祭りには春節が一番!春節祭をしようということになりました。
畑 夜中まで続く会議を何回も繰り返し、商工会議所の方や大丸神戸店さんからわからないことを教えてもらいながら、手探りで進めていきました。その勉強が後につながっていきましたね。
曹 確かに会議や勉強会で出てくる専門用語がわからなかったですよね。「この祭りは“販促”につながるから」と言われても、“反則”ってやってはいけないことじゃないの?(笑)。街に貢献する販売促進ということさえ知らないお兄ちゃん達が学びながら作りあげていきました。
困難を乗り越えて
龍舞で一致団結!
…南京町春節祭といえば、やはり龍舞です。派手な「龍舞」が祭の目玉的存在ですね。
中野 10月に青年部長たちと長崎のくんち祭りに「龍舞」を視察に行きました。しかし、これは諏訪神社の守り神「白蛇」の舞であって、「龍」ではなかったんです。その後、青年部の有志が香港に出張され、当時では日本一の長さとなる40mの龍を買い付けてこられました。
曹 ところがもうすぐ祭りが始まる年末になっても龍が届かないんです。仕方がなくホウキやモップの柄にロープを結んだ仮想龍で練習しました。仕事を終えた夜、私たちは必死で踊っていましたが、周りから見ると、怪しげな風景だったと思いますね(笑)。
その現場にたまたま通りかかったNHKの番組制作スタッフさんが「何をしているんですか(⁉)」と驚かれていましたね。経緯を説明すると面白そうだからとドキュメンタリー番組として取り上げてくださいました。
畑 僕も参加しながら「何しているのやろ…」とちょっと思っていました(笑)。ホウキの先に龍の胴体や顔があると言われても、実際はホウキしかないわけですから。
曹 ようやく祭りの直前になって届いた龍はバラバラに分解されて梱包されていました。それで零下2度の寒空の下、畑さんたちと小さな模型を見ながら作りあげましたね。組み立てた後、なぜか部品が余っていたのも思い出です。この龍舞をきっかけに連帯感が一気に芽生えたように思います。龍を組み立て、練習することで仲良くなった。何事も少々困難がある方が人はまとまりやすいのかもしれませんね。
…お囃子太鼓など演奏もすごく練習されたとか。
曹 ええ、南京町の春節祭のためにつくった南京町のオリジナルの演奏です。全て一から手作りして、やりがいもありました。
中野 練習している段階からすでに次々と取材依頼が舞い込みました。私がよく覚えているのは、テレビ朝日の収録です。早朝の極寒のなか、番組が始まる1時間前から薄いカンフーのコスチュームに着替えて震えながらキュー出しを待ちました。そのため本番ではカラダが縮こまってしまっていてギクシャクした踊りしかできず、番組を見た街の人たちから「へったくそやなぁ~」と苦笑され、悔しい思いをしました。
曹 「遊んでいるんちゃうか?」という目で見ている人も少なくなかったんですよね(笑)。
4日間で27万人!
大盛況の幕開け
…ところが当日はすごい数の人が見に来られて、人、人、人の洪水だったんですよね。
畑 夢を見ているみたいでしたね。
曹 色々な踊り方をお披露目するはずでしたが、広場も立錐の余地もなく、ただ龍を上下させるだけ。4日間で27万人の方が集まるほどの大盛況でした。皆でこの行事を作り上げたのだという実感へと変わっていきました。
中野 色々な方が関わってくださって出来上がったことに改めて感動しました。メインスポンサーとして陰で支えてくださったUCCの上島さんをはじめ、当時の大丸神戸店店長だった長澤昭さん、周辺商店街、神戸市や兵庫県、協賛いただいた企業の皆さんなど、多くの方のご協力があったからこそ安心してスタートができたと思います。神戸に対する大きな愛情があったから春節祭が誕生し、今に至ると思いますね。実行部隊は商店街だけれど、地域をもっと広げて関わる。それが今も続いています。南京町春節祭実行委員長を、イクシマヤの生島厳彦さんやUCC上島珈琲㈱の上島達司さん、兵庫トヨタ自動車㈱の瀧川博司さん、そして2018年より㈱ロック・フィールドの岩田弘三会長が務めるという流れもそこから来ています。
曹 皆さんには感謝してもしきれないですね。中野さんがおっしゃる通り、南京町だけで完結させてしまうと、発展性が限られてしまいます。考え方や立場が異なる色々な方々を巻き込むことで街は活性化するし、イベントにも面白みや深みがでてくる。時代の流れとして次世代の担い手が減少していることもあり、それならば南京町を好きな人達にシンパとして加わっていただいて一緒に運営していこうと。
それが楽しい雰囲気を盛り上げ、「なんか楽しそうなことやっているな」とあまり興味をもっていなかった街の人達も参加してくれるという、いい循環ができていきました。
失敗さえも糧にして
神戸のお祭りに成長
…初期の春節祭では龍舞に加えて、西遊記のパレードも印象深いですね。なかでも主役級の人気を誇ったのが畑さん扮する三蔵法師でした。観光客が記念撮影するなど、お祭りの雰囲気もアップしていった気がします。
曹 畑さんは三蔵法師になるために生まれてきたのでは?と勘違いするぐらい似合っていました(笑)。
畑 最初は恥ずかしかったものの、おばあちゃんが拝んでくれたりするものだから、だんだんその気になって、子供の頭をなでたりしていました。
曹 97年には南京町春節祭が神戸市の地域無形民俗文化財に指定され、その頃からメイクをするなど本格化して、登場人物の多い史人游行へとグレードアップしていきました。一般の方にも参加してもらって、街のみならず、多くの方とともに春節祭を楽しんでいただくスタイルとなり、20年30年を経て、神戸を代表するお祭りという自覚ができてきましたね。
…通常、お祭りは規模が大きくなるにつれ、イベント会社さんや広告代理店さんが間に入るものですが、春節祭はそれが全くないですね。手作りで続けてこられた理由は?
曹 専門会社に頼む方が楽なのでしょうが、それでは経験値と経験した人の存在が街の財産として残らないからです。自分達で運営するから決定も早く、日本一のスピードです。それは恐らく阪神・淡路大震災を経験して、すぐ動くことが大切とインプットされているからかもしれません。まず動いて、ダメならば方向転換すればいい。例えば、こんなエピソードがあります。初めて春節祭を開催したときにお土産用に記念絵葉書を2万冊作りました。ところが1万9000冊も売れ残ってしまいました。どうしよう?と思い悩み、翌年、賞品として再利用しようと残念賞が絵葉書というハズレなしの「ポチ袋くじ」を考案。百円のくじで百円の絵葉書をもらえれば、お客さんも文句なしですし、私たちも仕入れをクリアできる。案のダメ出しをしない、実現可能なものを見つけ出していく、失敗しても次の手を考える。失敗をどうフォローするかさえも楽しんで、春節祭の歴史を重ねてきました。
…皆さんの春節祭にかける想いや、考え方などが明らかになってきました。では座談会後半ではそもそも祭りの中心メンバー、南京町青年部がどのように結成したのか?など、核心に迫っていきたいと思います。次回、4月号まで待ちきれない人は、「南京町YouTubeチャンネル」でもご覧いただけます。
南京町春節祭のチャーターメンバー
春節祭の準備段階から参画。西遊記行列の伝説の三蔵法師として有名
春節祭創設&成功に向け、皆の意見を集約したり、勉強会開催などに尽力
その功績が認められて20代から組合理事を務める
明るく、ちゃきちゃきした進行にファン多数