11月号
「僕自身も衝撃を受けました」─富野由悠季の世界
今も世界的に人気の続く『機動戦士ガンダム』を生み出し、数多くのアニメ、映画作品の総監督をつとめるなど、アニメ界の伝説である富野由悠季の仕事をたどる展覧会「富野由悠季の世界展」が、兵庫県立美術館で行われている。自身の世界展について、富野さんにお話をうかがった。
不可能だと思っていた
─ご自身の展覧会について、富野さんは当初「不可能だから、やめた方がいい」とおっしゃっていたということですが?
僕みたいな、マンガ・アニメが媒体として認識される以前の古い世代の人間から見て、美術家ではない僕の展覧会を美術館でできるわけがないと思ったからです。だから一年以上、学芸員が来ては断りを繰り返して、結果、これも時代か、美術館の権威もクソもないのかと思って(笑)、お受けして、やっていただいたのです。
そういうわけで、今回の展覧会に当たっては、学芸員の方に丸投げして、僕は一切の主導権を放棄しました。その代わり、手元にある仕事関係の資料は全部出すことだけは、覚悟を決めてやりました。これをこうしてくれ、ああしてくれといったことも一切言っていません。それで、まず福岡会場でオープンして、結果的に大変多くの方が来ていただいたと聞きましたけれど、それでもこの後全国6館でやるような意味はない、と思っていたんです―昨日までは。実は昨日、ここ(兵庫県立美術館)でだいたいの展示を見せていただいたのですが、非常にびっくりしました。というのは、出展者側の僕から見て、福岡会場で「ちょっと気に入らないな…」と思ったところが全部改善されていたからです。並べ方ひとつとっても、学芸員というのは編集者みたいなもので、その編集者がちがうとこんなにちがうのか、という“違い”が見えてきて、前に見えなかったものが見えてくる。僕は、作り手ではない、作品のディレクションをやっているだけの立場の人間なんだけど、そのディレクションをこういう並べ方にするとこういう方向性が見えてくるんだな、というのは、展示してみなくちゃわからないわけです。つまり、場所が変わるというのは単純に会場が変わるということだけではなくて、その展示の中身も意味あいが変わってくるということで、僕自身も衝撃を受けました。まさかこんなことを自分で言うようになるとは思っていなかったんだけど、「福岡(会場)を見ただけで安心するなよ」と(笑)。つまり、ここを見たら次も見なくちゃいけない。6館全部見てください、というぐらいです。
─たくさんの作品がありますが、思い入れが深い作品はどれかというのはありますか?
そういう常道的な質問には答えないようにしているんですけど(笑)というのは全部思い入れがあるので、どれかは選べません。仕事だから、ガンダムばかりを言い続けること、それが苦痛になったりもします。結局ね、できの悪い子ほど可愛いんですよ。たくさんの中から、この子忘れられてるな、お父さんの力が足りなかったからな、というのもあって、全部が全部楽しいわけじゃない。でも今回の内容に関しては、これは展示しないでくれというようなことは僕は一切言わなかったから、こう並べられればグウの音も出ないし、それに全部良いものだけを並べていると、他人に対してウソをつくことになるかもしれない。だから僕にとっては何人か、みにくい子がいるわけだけれど、みにくい子が可愛いということはあります。
虫プロで場数を踏んで
ガンダムにたどり着いた
─富野さんは大学を卒業してすぐに手塚治虫のプロダクション(虫プロ)に入りましたが、どんな夢を?
ロケット工学に興味があったのですが、受験で工業高校に落ちたんです。工学系に行けなかった挫折は大きかったですね。じゃあどうしようかとなって、就職したところがテレビマンガの仕事だったわけです。だから僕は純粋に文系の人間じゃない。一方で映画のカットを積み上げていくことはかなり理詰めの仕事で、文系の仕事じゃありません。手塚治虫は当時、東映動画で映画の総監督もやっていたし、それに僕は『鉄腕アトム』のファンでした。アトムに惹かれたのはまずその“21世紀感”の未来志向の部分。手塚作品には正統的なSF作品があり、ドストエフスキーなど文芸作品をマンガ化した作品もあって「マンガ家でなく作家なんだ」と理解していました。他のマンガとはちがう文化論が香る、アトムにはそれがありました。
入社当時、アトムが放送2年目で、スケジュールは地獄でした。一年間で毎週、もう50本ぐらいやってるんですから、原作はほとんどオンエアされてしまったために、オリジナルで毎週作っていく状態でした。だから僕のような新人はそこが付け目だった。脚本を書いたら、内容関係なく絶対に採用される。毎週話が消費されていく段階で、ホームビデオもなかった時代だから、一回オンエアされたらもうこっちのものだ。だったら自分でどこまでアトムを書けるのかな、という勝負を賭けました。本邦初のテレビアニメ、130話以上ある中で、僕の脚本が数話まぎれ込んじゃっているのは、強引に仕掛けたからです。
そしてまた、絵が描けないわけですから、演出家でしかいられないのですが、物語を提供できる立場にいるわけ。その「演出」っていう考え方を、アトムの現場でわけもわからず2年半ぐらい、シナリオを書きながら、他人のシナリオも絵コンテ(※)に書きながら、スタジオでの演出作業もしながら身につけたものっていうのは、かなりありましたね。いってしまえば、そのおかげでガンダムにたどり着いた、ということです。
─ガンダムの最初の主人公、アムロ・レイのナイーブな性格というのは、なぜ生まれたのですか。
虫プロをやめてフリーになって、いろいろなプロダクションの仕事をやっていたときに、高畑勲(※)と、そのそばに宮崎駿っていう人がいるのを見たんです。もちろん名前は知っていました。その、高畑監督の『アルプスの少女ハイジ』の仕事が取れたんです。シナリオを渡されて、じゃあそれをコンテにしてって言われたとき、質問したんです、「この話で良いんですか? アニメに似合わないと思うんですけど」、そう言ったら、高畑監督とそばにいた宮崎さんが、お前はバカかって顔をしていました(笑)。
というのは、高畑さんのシナリオって400字詰め原稿用紙に書かれていたりするんですけど、ただペーターと羊が山を登っていくだけのシーンが1ページ書かれているんです。「それで良いんですか」と言ったら、「何がいけないんですか?」と高畑さんは言う。「アニメとして絵が持たないでしょう」と言ったら「だって宮崎もいるし」って、そういう返事、それでおしまいですもん。『母をたずねて三千里』では、400字すべてが一人のセリフだったりするんですよ。「これで良いんですか、絵が変わりませんよ」と聞くとまた「何が悪いんですか」って。でもそれはそうなんです、言葉に意味があったら、15秒や20秒、絵が変わらずキャラクターの口だけが動いているってだけでいいんですよ。ロボット物では絶対にあり得ないことだけど、高畑監督の説明はただ一言、「何がいけないんですか」で終わりです。あとはこっちで理解するしかないというキャラクターです。
ああ、あの2人のインテリジェンスにかかれば『ハイジ』や『赤毛のアン』はこうなるのか、と、思い知りました。僕は虫プロで仕事をしてきたと思っていたけど、このお二人にかかれば、あれは仕事だと評価されていなかったんだ、って徹底的に思い知らされました。だからその後の仕事は、やってくれないかって言われたときは、いつも二つ返事で引き受けました。もらったシナリオで僕がコンテを切って、それが実際に使われたのかどうかはわかりません。たまに忙しい中で番組を見て、徹底的に直されたコンテってのもありましたけど、そういうのは今まで経験したことがなかったことです。それまでは、自分のコンテは無条件で作画をしてもらってましたからね。『ハイジ』や『アン』あたりでもこれをやるのかっていうのを本当に見せつけられて、あのお二人を叩きのめしてやろうと、そこであのアムロ・レイというキャラクターが生み出せたんだと思いますね。
アムロのようなキャラクターを、僕が創出できたのは、つまり作家性のない僕がそれをできたのは、そういうモチベーションがあったからです。当時、ガンダムを作る半年ほど前から『ハイジ』のコンテを切っていたのかな。ああいう気分を持たせてくれる人に出会っていなかったら、ガンダムはできませんでした。リアリズムを想定しないとキャラクターは動かせない。キャラクターのリアリズム。巨大ロボットものの敵味方なんて、もともと絵空事でしょ。だけど、ハイジ見てごらん、『母をたずねて三千里』のマルコ見てごらん、覚えているでしょ?あれは体感があるからなんです。高畑監督は、存在論として考えられる方で、とても重いのです。高畑監督が亡くなるまでは、彼がガンダムに影響している人だなんて思っていなかったんです。だって、高畑さんと宮崎さん、その下に富野が来ていたらおかしいでしょう。若さゆえに認めたくなかったっていうんじゃなくて、年をとってもこれは認めたくないことです。が、影響下にあったと認めます。
─科学技術論と人間、という作品を創られてきた富野さんから見て、AIの時代をどうご覧になりますか。
20世紀までの科学技術の進歩、というのは基本的に認めます。ですが、AIという言葉が出てきて以降に関しては懐疑的、これは人類の首を絞めるものだと思うようになりました。だからこれで、人類は絶滅していくでしょう。そういう技術を使うことによって、人間自身の“自力”がなくなっていくから自滅します。だって介護までロボットがやるようになってしまったら、介護という努力をしようという意識を削ぐことになります。そういうことがあらゆる面で起こってくるでしょう。便利になりすぎていったら人間は自堕落になるだけです。ゲームをするしかなくなる。でもゲームをする人間で生産性のある人間がどこにいます?人類は、自分の首を絞めるところまで行きつきました。これは取り戻しがきかないでしょう、一度死に絶えるところまで行かないとダメでしょうね。
そして次世代の子どもたちには、この悲惨な現在を脱出する方法を見つけ出してほしいと思うし、そういう子どもに育ってほしいと願っていますが、恐らく今後500年ぐらいはありえないでしょう。それぐらいのことです。今の技術が突出しすぎてしまったという問題に気が付いていない、技術論だけでなく、それを使う政府など組織論までがそうなっているからです。だから、我々の時代はここまでしかできなかったです、ごめんなさい、と言って子どもたち、孫たちに受け渡さなきゃいけない、という自覚を持つべきだと思います。
(※)絵コンテ…映像作品の撮影前に用意されるイラストによる表で、映像の設計図と言えるもの。
(※)高畑勲…映画監督、プロデューサー。宮崎駿らとともにスタジオジブリ設立に参画。自らの脚本・監督作品として「火垂るの墓」、「平成狸合戦ぽんぽこ」など。2018年没。
富野由悠季の世界
■会期 12月22日(日)まで
■会場 兵庫県立美術館
(神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1)
■時間 10:00~18:00
(金・土20:00まで、入場は閉館30分前まで)
■休館 月曜日
(ただし、11/4〈月・休〉は開館、11/5〈火〉は休館)
■料金 一般1,400円、大学生1,000円、70歳以上700円、高校生以下無料
■交通 阪神「岩屋駅(兵庫県立美術館前)」から南へ徒歩約8分
■お問い合わせ TEL.078-262-0901
富野 由悠季(とみの よしゆき)
アニメーション映画監督
1941年生まれ。1964年日大芸術学部映画学科卒。『鉄腕アトム』の制作に携わる。72年に『海のトリトン』で初監督。79年に『機動戦士ガンダム』の原作・総監督を務め、ガンダムブームを呼び起こす。代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』などがある