6月号
<特集> Dolce Vita! 人生は笑っているほうがいい!
世界を魅了するビスポークシューズ- La spigola
世界を魅了するビスポークシューズ La spigola
神戸・長田はくつの街。その一角に瀟洒なアトリエを構えるスピーゴラを訪ねると、イタリアで研鑽を積んだ鈴木幸次さんが笑顔で迎えてくれた。
物心ついた時から
ぎゅうぎゅうと建物がひしめく路地で、ガシャンと裁断機の音が響き、カタカタとミシンが軽快なリズムを刻む。そんな街の鼓動を、1995年1月17日、大地の震えが拭い去ってしまった。「この一画で残ったのは2軒だけ。あとは全部瓦礫になっていました」と、鈴木さんは静かに振り返る。「震災が直接影響した訳ではないと思うのですが、どこかで〝このままではいけない〟という思いに結びついていたのでしょう」。
物心ついた時から、靴づくりはそこにあった。鈴木さんの父は長田で腕を振るう婦人靴のシューズパタンナー、祖母も内職で中敷きの加工に携わるなど、まるで心身にものづくりの魂が染みるような環境がやがて堅固な土台を築いていく。
神戸っ子らしくファッションにも興味を抱くようになった彼は、高校を卒業する頃から靴にさらなる興味を持つように。大学へ進学したが特に目標もなく、父の勧めもあり中退して靴づくりの道へ進んだ。父からパターンの仕事を学びつつ、近所の靴メーカーでアルバイトを重ね技術を覚える毎日を過ごすうち、知れば知るほど靴づくりの魅力に惹かれるとともに、〝このままではいけない〟と、違う環境に身を置きたいという思いが芽生える。そんな1997年のある日イタリアへ渡り、ビスポークの紳士靴と出会い衝撃を受け「自分がやりたいのはこれだ!」と確信、フィレンツェの職人に弟子入りする。
新たな靴づくりの道
その師こそ今や世界屈指の靴職人との誉れ高いロベルト・ウゴリーニ氏だが、当時はまだ若く無名で、鈴木さんは最初の弟子だった。職人として伸び盛りの師匠のもと、鈴木さんは靴づくりのすべてを習得するだけでなく、工芸の街フィレンツェに息づくクラフトの空気を思い切り吸収する。
そして3年後、確かな技術と研ぎ澄ませたセンスを手にして長田へ戻り、靴づくりをはじめ、神戸はおろか日本においてのイタリア系ビスポークの草分けとなった。分業が当たり前の長田の職人たちはすべての工程を一貫しておこなうスタイルに一抹の懸念を抱きつつも、熱い励ましと温かい支援を惜しまなかったという。
当初はオーダーが少なく苦労したというが、セレクトショップへ積極的に営業をかけて販路を開拓し、そこから高いクオリティが口コミで広がっていく。その輪は神戸にとどまらず東京でさらに広がり、SNSの牽引もあって気づけば香港やマニラ、ハワイやニューヨークへと海を越えていった。
本物には国境はない。長田のものづくりの魂がイタリア仕込みの技と融合し、震災から立ち上がったこの街に新たなモデルケースを確立。壊滅的な被害を受けた長田の靴づくりは不死鳥の如く甦っただけでなく、あの日の青年が世界へと通じる新たな一筋の道を、努力と才能、そして情熱と絆で切り拓いたのだ。
未来に評価される一足を
シューズは工芸品であるとともに、ファッションアイテムのひとつでもある。ゆえに流行は大切。スピーゴラではトレンドとトラディションの絶妙なバランスを見極めデザイン、イタリア仕込みらしい遊び心をアクセントに添えつつ、顧客の希望や用途、素材特性に合わせてイメージを熟成させていく。
その造形を実現するのが、ウゴリーニ氏の教えを礎に自らの知見を深めて磨いた靴づくりの技術だ。ルーペを覗かねばわからぬほど細やかなステッチは息を呑むほど。やや踵が小ぶりなスタイルは手づくりのビスポークシューズならではだ。
見えないところに一切の妥協も許さない。仮縫いで丹念に履き心地を確認、薄皮を剥ぐように彫った木型が足と一体化するようなフィット感を実現し、ソールの中の複雑な構造は雲を履くような感覚をもたらせる。
天窓からやさしく明かりが注ぐアトリエは、意外にも静かだ。時に鳴る槌音やミシンの音もやさしく、作業の丁寧さがうかがえる。丹念に丹念を重ねたハンドメイドゆえに価格は決して安くはないが、価値は確か。素材から意匠まで希望通りに仕上がるので、自らもものづくりの楽しさに触れられるのも魅力だ。完全オーダーメイドのビスポークは敷居が高いと感じるならば、パターンオーダーをおすすめしよう。
スピーゴラというブランド名は、イタリア語で魚の鱸のこと。自らの姓にかけているが、鱸は回遊する出世魚でもある。長田の靴づくりに新しい風を─その気概を胸に大海を泳ぐが如く世界を駆け巡り、気づけばわが国におけるビスポークシューズの第一人者と評される巨魚となっていた。後進の指導にも尽力し、3名の弟子がここから巣立ち関西で活躍している。
しかし鈴木さんはいつも気さくで自然体、年季の入った愛用のエプロンを軽やかに掛けて、今日もまたその手で極上の靴を縫い上げている。「私がこの世から居なくなっても、靴は残る。それを手にした未来の人たちに〝こんな良い職人がいたんだ〟と言ってもらえるよう、これからも精進していきたいですね」。
スピーゴラ
神戸市長田区細田町5-2-16
TEL.078-641-1343
不定休(土・日は予約制)